(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意ください)
原著は1959年(昭和34年)の刊行、1977年にハヤカワから旧訳が出されていて、2024年にこの新訳版が出版されました。
訳を手がけたのは警察小説で有名な堂場瞬一さん。とても読みやすく、面白かったです。
グレンジャー製靴の重役ダグラス・キングは今、正念場を迎えていた。自分を追い落とそうとする他の重役たちを押しのけ、秘密裡に株を買い占めて社長の座に上りつめる。彼の運命を左右する重要な株取引の直前、彼の息子を誘拐したという電話がかかってくる。しかし実際に誘拐されたのは運転手の息子だった。
犯人たちは「間違っていても同じことだ」と、キングに五十万ドルを要求してくる。キングにとってそれは払えない額ではない。けれどもそれを払ってしまえば、「株」を買うことができなくなる。ここまで積み上げてきたキングの苦労、努力、夢、人生そのものと言っていい計画が潰えてしまうのだ。
「身代金は払えない」と宣言するキング。果たしてさらわれた子どもジェフの運命は――。
「身代金を要求する相手は必ずしも誘拐された人物の身内でなくていい」というのがまず、「発見」ですよね。
作中でもマイヤー刑事が
「こんな巧妙な手口は初めてだ」マイヤーが首を振った。「すごい手だ。その辺にいるワルが、誰でもいいから子どもをさらい、考えつく一番の金持ちに身代金を要求すればいいんだから」 (P157)
と言っているのですが、もしもキングが二つ返事で身代金を払ってしまったら――そんな前例ができたら、どんな貧乏な子どもでも「人質」にできることになってしまう。
誘拐されたのは運転手の息子で、キングの息子ボビーとジェフは遊び友だち、まったく無関係な「よその子」というわけではない。なのでキングの妻ダイアンは「会社よりジェフの命の方が大事でしょう!?」と夫をなじり、あげく家を出ていってしまいます。
キングとダイアンの間で交わされるやりとりはなかなかツラくて、「身代金は払えない」というキングの気持ちもわかるんですよねぇ。よりによって会社の命運が決まるこの時に、自分の息子でもない子どもに「50万ドル」を払えるのか。
ダイアンは夫を「人殺し!」となじるんだけど、ダイアンにしたって、もし誘拐されたのが遠い町の見ず知らずの子どもだったら、そこまで熱心になれるのかって話で。
ダイアンの友人リズなんかはきっぱりと、
「あなたの子のために五十万ドル手放すかどうか、自信はないわ。自信がないのよ、ダイアン」 (P230)
と言っています。たとえ親友の子どもであっても、そんな身代金を払えるかどうか。
タイヤ痕から車の車種を割り出したり、捜査の描写もありますが、メインはこの「キングの葛藤」、そして犯人側の描写です。犯人側も一枚岩ではないのですよね。サイという主犯格の男、無線機を扱うのが得意なエディという小悪党、そしてエディの妻キャシー。
エディもキャシーも、そんな大胆な事件を起こすような人間ではなく、夫の職業が「こそ泥」であることを除けば、いたって普通の、“善良な”夫婦。
なので、「銀行強盗に出かけた」と思っていた夫が小さな子どもを連れて帰ってきたことに驚くキャシー。「まさか、誘拐なんて!」
いわゆる母性本能ということもあるのでしょうが、キャシーの中で「盗み」と「誘拐」の間には大きな隔たりがあったのですね。
主犯格の男サイを自らの手でとっ捕まえるキング。相手がナイフを持っていてもおかまいなしに向かっていく――天晴れな男なんですよねぇ。妻になじられ、自分でも「腐った人間かもしれない」と自嘲するけど、彼には彼なりの信念があり、覚悟がある。
まぁ、「自分をこんなふうに振り回したクソッタレを絶対に許さない」という思いが強かったのかもしれませんが。
キャレラの見せ場はほとんどありませんが、捜査に非協力的なキングに対して
「ミスタ・キング、あなたの心にくすぶる疑念をはっきりさせるために言います。私はいい警官です。非常にいい警官なんですよ。自分の仕事をよく分かっているし、上手くやれます。私の質問は、『ドラグネット』の真似じゃありません」 (P91)
と言い放ったり、うちひしがれたジェフの父親の姿に心を痛めたり、いい男ぶりは健在。夏に双子の父親になったことにも言及されています。
キャレラが「これまでの捜査の中で決して忘れられぬ光景」として、アニー・ブーン殺人事件(『被害者の顔』)、銃を持った少年と対峙した時のこと(『麻薬密売人』)、恋人テディの部屋でで殺人犯と鉢合わせした時のこと(『警官嫌い』)を挙げていて、うまい具合に私が読んだ作品ばかり。なんか嬉しかったです。
刑事部屋での軽口、誘拐が報道されたとたんひっきりなしにかかってくる嘘の目撃情報、差し挟まれる警察の描写も面白く。ラストシーンも粋でした。
もしも50万ドル払えるお金があって、でも人質が自分の子ではなかったら――あなたは身代金を払いますか?
彼女は、犯罪というものを、奇妙なやり方で二つに分けていることを自分でも分かっていた。 (P251)
実際、キャシーは正と不正、法と無法、善と悪の違いは知っていた。それでも、彼女の夫が悪党だということにはならないのだ。 (P253)
キャシーにとっての悪党とは「重さを誤魔化すような肉屋」「お釣りを持っていないタクシー運転手」「労働組合の連中」「金で雇われる殺し屋」「大きな会社を経営しているような連中」であって、エディのような「泥棒」は悪党のうちに入らない。けれども今、愛する夫エディは「盗みで生計を立てている普通の男」から「誘拐という悪事に手を染める本物の悪党」になろうとしている。
そこでキャシーは「それは妻である自分の責任なのでは?」「自分が“盗みは罪ではない”と彼の生き方を許してしまっていたせいではないか」と自問するのです。
キャシー、いい人。
犯人側も被害者側も、女性が「良心」として描かれていて、結果的にこの二人の「妻」がジェフを救うことになります。
「身代金は払えない!」と言いながらも、犯人からの呼び出しに応じてみずから車を運転するキング。車中でのキングとキャレラの会話がまた良いのですけど、彼は妻のために、そして自らの誇りのために、車を走らせるんですよね。
「だが私はこれまで、人生を戦い抜いてきた。奴らの要求通りに金を渡さなければ、こういう戦い方ができる。ぶつかって、何かやるだけだ」 (P305)
実際、キャシーは正と不正、法と無法、善と悪の違いは知っていた。それでも、彼女の夫が悪党だということにはならないのだ。 (P253)
キャシーにとっての悪党とは「重さを誤魔化すような肉屋」「お釣りを持っていないタクシー運転手」「労働組合の連中」「金で雇われる殺し屋」「大きな会社を経営しているような連中」であって、エディのような「泥棒」は悪党のうちに入らない。けれども今、愛する夫エディは「盗みで生計を立てている普通の男」から「誘拐という悪事に手を染める本物の悪党」になろうとしている。
そこでキャシーは「それは妻である自分の責任なのでは?」「自分が“盗みは罪ではない”と彼の生き方を許してしまっていたせいではないか」と自問するのです。
キャシー、いい人。
犯人側も被害者側も、女性が「良心」として描かれていて、結果的にこの二人の「妻」がジェフを救うことになります。
「身代金は払えない!」と言いながらも、犯人からの呼び出しに応じてみずから車を運転するキング。車中でのキングとキャレラの会話がまた良いのですけど、彼は妻のために、そして自らの誇りのために、車を走らせるんですよね。
「だが私はこれまで、人生を戦い抜いてきた。奴らの要求通りに金を渡さなければ、こういう戦い方ができる。ぶつかって、何かやるだけだ」 (P305)
主犯格の男サイを自らの手でとっ捕まえるキング。相手がナイフを持っていてもおかまいなしに向かっていく――天晴れな男なんですよねぇ。妻になじられ、自分でも「腐った人間かもしれない」と自嘲するけど、彼には彼なりの信念があり、覚悟がある。
まぁ、「自分をこんなふうに振り回したクソッタレを絶対に許さない」という思いが強かったのかもしれませんが。
キャレラの見せ場はほとんどありませんが、捜査に非協力的なキングに対して
「ミスタ・キング、あなたの心にくすぶる疑念をはっきりさせるために言います。私はいい警官です。非常にいい警官なんですよ。自分の仕事をよく分かっているし、上手くやれます。私の質問は、『ドラグネット』の真似じゃありません」 (P91)
と言い放ったり、うちひしがれたジェフの父親の姿に心を痛めたり、いい男ぶりは健在。夏に双子の父親になったことにも言及されています。
キャレラが「これまでの捜査の中で決して忘れられぬ光景」として、アニー・ブーン殺人事件(『被害者の顔』)、銃を持った少年と対峙した時のこと(『麻薬密売人』)、恋人テディの部屋でで殺人犯と鉢合わせした時のこと(『警官嫌い』)を挙げていて、うまい具合に私が読んだ作品ばかり。なんか嬉しかったです。
刑事部屋での軽口、誘拐が報道されたとたんひっきりなしにかかってくる嘘の目撃情報、差し挟まれる警察の描写も面白く。ラストシーンも粋でした。
もしも50万ドル払えるお金があって、でも人質が自分の子ではなかったら――あなたは身代金を払いますか?
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