87分署シリーズ3冊目です。私が手に取るのは3冊目だけど、シリーズ全体では5作品目。1作目、3作目、5作目とひとつ飛ばしで読んでいることになります。単に図書館の所蔵の都合なのですが。

原著は1958年刊行、私が読んだハヤカワ文庫版は1978年初版原題は『Killer's Choice』

1作目『警官嫌い』は暑さのひどい8月、3作目『麻薬密売人』はクリスマスを控えた寒い12月。そして今回は6月のアイソラが舞台。

この六月という月が、万物みな息づき、䕺生の春を情熱の夏に結びつける時季だけに、どうにもそぐなわなかった。キャレラには生きていることが何よりも尊かった。 (P8)

そんな、「生を謳歌すべき」6月に、殺された一人の女。酒屋の床で、割れた酒瓶とぶちまけられた酒、そして自らの血の海に溺れるように倒れていた被害者。
女の名はアニイ・ブーン。赤毛の美人で、その酒屋に勤めていた。離婚歴があり、モニカという幼い娘の母親だった。店にあった現金には手が付けられておらず、たまたま強盗と出くわして殺された、というわけではなさそうだった。87分署の刑事たちは彼女の身辺を洗っていく。酒屋の主人、アニイの母親、別れた夫、そして彼女の友人たち。ある者は彼女を「とても賢い女性」と言い、ある者は「飲んだくれ」と、そしてある者は「彼女は酒はほとんど飲まない」と。食い違う証言。

アニイ・ブーンという女には、いくつもの顔があった――。

なので邦題は『被害者の顔』となっているわけです。一人の人間に、いくつもの顔がある。母親として、妻として、働く女として……というのは別に珍しくもない話ですが、アニイはその人となりの振り幅が大きいんですよね。「え?誰の話が本当なの??」となってしまう。別に誰かが嘘をついているわけではなく、どれも彼女の一面、というのが面白い。そして「死人に口なし」、アニイ自身がどんなつもりでそのように多彩な顔を使い分けていたのか、たとえば事情聴取に来た警官にはどんな態度を取るのか、それはわからないまま。

彼女を殺す動機がありそうな人物にはことごとくアリバイがあり、捜査は難航。

「誰が彼女を殺したのだろう?」みな最初はこう考えていた。
ところが、いま考えていることはちがっていた。「殺されたのは誰なんだろう?」これがいま考えていることなのであった。
 (P249)

犯人は「どの顔」のアニイを殺したのか。
それが『Killer's Choice』という原題の意味なんですよね。「殺人者の選択」――犯人が選んだのはどのアニイなのか。被害者側に焦点を当てる日本語と、加害者側に立つ英語。この違いも面白い。

今回捜査の中心となるのはクリング刑事とマイヤー刑事。アニイの事件と並行して描かれるもう一つの殺人事件の方は、新しく87分署にやってきたコットン・ホース刑事がメイン。殺人事件などめったに起こらない、「お行儀の良い地域」からやってきたホース刑事、いきなりポカをやらかしてしまい……。
同じアイソラでも地区によって治安がずいぶん違うこと、すでに出来上がっているチームの中にぽんと一人放り出されるのはやっぱり大変、ということが描かれていて、『太陽にほえろ』の新人刑事たちの描写をちょっと思い出したりしました。
関係者への地道な事情聴取、裏取り、ふらりと署にやってくる目撃者――「刑事ドラマのバイブル」と言われるのも納得の一冊でした。

飲んだくれの浮浪者の目撃者のことを「あんたの親父さん、何の用だったんだ」と冷やかすミスコロ刑事。腹も立てずに「あまりくるなといってあるのに、やって来るんだよ。おれが可愛いんだろうな」と返すマイヤー刑事(P221)。会話も洒落ています。

訳者は加島祥造さん、巻末の解説は推理作家・脚本家の島田一男さん。

このシリーズの手法は、最近のテレビドラマに多くみられるようになった。例えば日本では、わたしの書いた“事件記者”以来、古くは“七人の刑事”から最近の“太陽にほえろ”まで、(後略) (P262)

『太陽にほえろ』が“最近”だった時代の作品、今読んでも面白かったです。



【関連記事】
『警官嫌い』(87分署シリーズ)/エド・マクベイン
『麻薬密売人』(87分署シリーズ)/エド・マクベイン