(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意ください)


『警官嫌い』に続いて87分署シリーズを手に取ってみました。
『警官嫌い』はシリーズの1冊目、そしてこの『麻薬密売人』はシリーズ3作目。もう初期作品は図書館にも揃ってなくて、2冊目はなかったんですよね。

原著は1956年(昭和31年)の刊行、原題は『The Pusher』。そのままスラングで「麻薬の売人」を指す言葉なのだとか。
日本語訳は1960年に出ていて、私が手に取った文庫版は初版が1978年
訳者はこないだ読んだ『裁くのは俺だ』と同じ中田耕治さんで、やっぱりあとがきが「この翻訳は私にとって…」というお話。「またか!」と思ってしまいました。1978年時点ですでに30作近い邦訳が出版され、著名なシリーズとなっていた87分署、今さらエド・マクベインや87分署の解説を載せても仕方がないと言えばそうなのでしょう。

早川書房が87分署シリーズを刊行するに当たって複数の訳者を集め、用語の統一などを打ち合わせた上で競うように翻訳させた――という逸話は興味深く、また、中田さんは「自分でいうのも烏滸がましいことですが、私の翻訳の仕事のなかでは、いちばん自信のある作品の一つでした」(P277)とおっしゃっています。

訳者さんが自信作とおっしゃることもあってか、『警官嫌い』よりも面白かったです。サクサクどんどん読み進んでしまった。
『警官嫌い』では「今年の夏は暑すぎる」という感じで、冒頭で殺されてしまう被害者も「子どもたちのためにエアコンを買わないと」と言っていたのですが、今作は冬。
「冬はまるで爆弾をかかえたアナーキストのように襲いかかってきた。」(P7)という一文から始まります。

クリスマスを控えた凍てつく夜、一人の少年が首をロープに絡ませた状態で発見されます。駆けつけた殺人課の刑事ははなから「なんだ、首つりか」という態度ですが、それに異を唱えるのが87分署の新米刑事クリングと、我らが主人公キャレラ。日本で言えば、上から目線の県警の刑事と、所轄の刑事との丁々発止という感じなのでしょうか。
この冒頭から、ぐいぐいと引き込まれていきます。

キャレラの睨んだとおり、少年の死因はロープによる窒息ではなく、過剰なヘロインを投与されたこと。少年は明らかに麻薬中毒だったようなので、「投与された」のではなく、自分で誤って大量のヘロインを打った可能性もなくはないのですが、それならなぜ首にロープが巻かれ、あたかも「首を吊った」ように偽装されていたのか。ロープの結び方から、そのロープを被害者が自分で掛けたとは考えにくい。けれども、調べればすぐに「少なくとも首吊りでの自殺ではない」とわかるそんな偽装を、なぜ犯人はわざわざ施したのか。むしろそのまま放置しておいた方が「馬鹿なジャンキーがヘロイン打ちすぎたんだな」で済まされたかもしれないのに。

死んだ少年はただの中毒患者ではなく「売人」だった。彼女の姉も麻薬の常習者で、何か隠しているような素振りだった彼女もまた、何者かに殺されてしまう。
一方、87分署の捜査主任バーンズのもとには怪しい電話が。バーンズの息子ラリイも実は麻薬に手を出していて、被害者の少年アニーバルから麻薬を買っていたのだった――。

今回はむしろキャレラよりもバーンズが主役で、「捜査主任」という立場でありながら、息子の素行にまるで気がつかなかったこと、初めて目にする息子の意外な素顔に戸惑う父親の心情描写がとても良いのですよね。

心の中で、自分の一人息子と遊んでやる暇もない警察官の仕事に苦い思いをした。しかし、いっさいの責任を自分の仕事のせいにするほど不正直ではなかったので、一方では、自分とおなじように長時間不規則な勤務をつづけながら、息子が麻薬患者になったりしない連中もいるのだと思い直した。 (P149)

ラリイは自室に軟禁され、「ヤクを持って来てくれ!」と騒ぎます。バーンズが毅然とした態度を取るのはもちろん、母親も拳銃を持って息子に対峙するのがすごい。「ドアを開けてくれなかったら飛び降りてやる!」とわめく息子に向かって、

「この部屋からは出られないのよ。ドアからも窓からも。どっちに向って動いても、お前を撃つことになるわ」 (P199)

一般人がこういう時普通に銃を持ち出してくるのがさすがアメリカという感じがします。息子に銃をつきつけながら「色々話しあいましょう、パパへのクリスマスプレゼントは何にするの?」などと言えるお母さん、腹据わってるわぁ。

売人だったアニーバルの母親のこともけっこうしっかり描写されていて、こちらはプエルトリコからの移民。夫の度重なる失業にもめげず懸命に働き、子を育て、たどり着いた都会で、娘も息子も麻薬中毒になり、あげく死体で発見される。

「わけがわかりません」やっと彼女がいった。「夫は立派な人よ。働きどおしに働きました。今、この瞬間だって働いてるんですよ。それに、このあたしに何かいけないところがあるんですか? 子どもたちに対して、あたしのやりかたが間違ってたの?」 (P33)

この場面ではまだ娘は健在なんだけど、その後娘もやっぱり無惨な殺され方をしてしまう。「何がいけなかったの?」――すんでのところで「こちら側」に踏みとどまるバーンズ一家と、おそらくは「よくある話」として片づけられてしまうだろうアニーバル一家の不幸。

同じ街に暮らし、同じように息子が麻薬に手を出していながら、かたや警察の捜査主任で、かたや貧しい移民の労働者。二つの家族のコントラストがつらい。

最終盤に出てくる情報屋(密告屋)のダニーの描写もすごくいいんですよね。キャレラの依頼で「ゴンソ」という人物のことを調べていたダニー。その結果をキャレラに報告しようと分署に顔を出すと、なんとキャレラは撃たれて重態。「密告屋なんて人間のクズ」だと思っている当直警官はけんもほろろの扱いしかしてくれないんだけど、ダニーの方はキャレラの容態が心配でたまらない。

自分でも理由がわからなかったが、スティーヴ・キャレラが息を引きとらないうちに一眼でいいから会いたかった。キャレラにあって、やあ、といってやりたかった。 (P231)

ダニーは一張羅を着て、キャンディのお土産まで持って病院に見舞いに行くのですが、そこでまた木で鼻をくくったような対応をされるのです。「このリストに載っている方以外は面会できません」と。
まぁ容態が容態なので、家族と警察関係者以外は面会できなくて当たり前ではあるんですが、ダニー、警察が喉から手が出るほど欲しがってる情報を持ってるんですよ! ダニーの見事な調査がなかったら、事件はお蔵入りだったかもしれない。もっとみんな親切にしてあげて~~~。


主役ではない人物の描写に心惹かれる一冊でした。


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