『あぶない刑事インタビューズ 核心』で言及されていたこの本、なんと図書館にあったので借りてみました。
映画『もっともあぶない刑事』の公開が1989年の4月。そしてこの本の発行は1989年7月20日。『あぶ刑事』シリーズがついに終焉を迎えるということで企画されたもののようで、半分以上ファンの投稿からできています。
ファンレターやイラスト、ポエム、ロケ目撃時の写真、小説およびマンガなどの二次創作などなど。奥付によると「1806人から作品が寄せられた」そう。もちろん全部は収録されていないようなのだけど、ネットもない時代、一体こんな本の企画、どうやって募集したんだろう。ファンレターとして日本テレビに送られてきたやつを編集したわけじゃないでしょう??? 知ってたら私も絶対応募したのに!!!
なんか悔しいのでファンの投稿部分はパラパラッとめくるだけで、ほとんど読みませんでした。ごめんね。
でもちょろっと目を通しただけでも「『もっと』はつまらない、ギャグに振りすぎた」って意見が複数あって、やっぱりみんなおんなじ印象なんだなぁ。

投稿者の年齢としては10代の子が多くて、そういう「若いファン」を意識してか、出演者へのインタビューでも「青春時代の思い出」「若い皆さんに一言」といった質問がされていました。

ファンの熱い投稿の間に挟まる出演者及びスタッフへのインタビュー。出演者18人、スタッフ46人、総勢64人! 『核心』の50人より多い!
ほんのコメント程度の人も多いとはいえ、近藤課長中条静夫さんや良美ちゃん役の監物房子さん、長谷部安春監督や手銭弘喜監督、伊地智啓プロデューサーなど、『核心』では読めなかった方々のお話も入っていてとても嬉しい。
舘さんや恭兵さんもね、まだ30代の頃の肉声――『もっとも』クランクアップ直後ぐらいの頃の『あぶ刑事』への想いですから、“今”のインタビューとはまた違ってとても貴重。

当たり前だけど、皆さん「その後何度も『あぶ刑事』を撮ることになる」とは思わずに、「『あぶない刑事』を終えて」というスタンスで話してらっしゃるわけで、それを「ン十年経った未来」から読むの、すごく面白い。

村川透監督はこの時すでに「もう、ちょっとしたらさ、『帰ってきたあぶない刑事』というのをやったらどうですかね」(P177)と言ってらっしゃるし、谷村刑事役の衣笠健二さん「出来れば『帰ってきたあぶない刑事』を、横浜を舞台にみんなでチームワークよく、アクションをバンバンとやりたいですね」(P261)とおっしゃっている。
直接的には『リターンズ』として実を結ぶ話ではあるけど、ここでもう『帰ってきた』が約束されていたか!と思うと胸熱です。谷村刑事、残念ながら『帰ってきた』には出てないけど、『さらば』までは皆勤でしたものね。

良美ちゃん(監物房子さん)「「港署より各移動、港署より各移動、緊急事態発生」という声を覚えていてくださって、「ああ、あのときの声の人」って思い出してくれたら、とっても嬉しいですね」(P262)と。
覚えてます、覚えてますとも! 真似したくなるあの「港署より各移動」。『リターンズ』以降は出演されていなくてとても寂しかった。

中条静夫さんはまず「青春時代はどうでしたか?」と訊かれ、「二十歳の頃は兵隊でした」と。ああ、そうか……。1926年のお生まれ、満二十歳の9月10日に復員なさったのだとか。
役者として一番印象深かったこととして「昭和53年にテレビ大賞の優勝個人賞を受賞したこと」を挙げられ、「そうした脇に徹してそれを完璧にこなすというのが、自分に与えられたポジションだから」(P180)とおっしゃっています。
『あぶない刑事』については、「他の課にいる刑事諸君も、みんないいんですよ。上から下まで良い連中が集まった。この力は大きい」「この作品は、やっている者も楽しかった。それが素晴らしいことだったんですね」(P180)。
本当に港署は素晴らしかったですもんね。交通課や警ら課もみんなみんな。そして中条さんにとっても楽しい撮影だったというお話、すごく嬉しいです。
「これからどんな役をやってみたいか」という質問には「私のモットーは「生涯一通行人」」「とにかく、役者を続けていたいということですね」(P180)とのお答え。もしも早世されていなかったら、定年後の近藤課長はどんなふうに鷹山大下と絡んでくださったのか……。

「役者を続ける」ということで言えば、浅野温子さんはこの本のインタビューの中で「女優を続けるかどうかは、分からないですね」(P74)とおっしゃっています。当時浅野さんは28歳。「気負わないで、ウソつかないで、そのまんまできる役をやりたい!」「真山薫なら真山薫を、28歳の私がやった」「私の中ではウソじゃないって、28歳の真山薫そのものなんです」(P72)
テレビシリーズ『あぶない刑事』の時はまだ25歳の真山薫。最高ですよね、25~26歳の真山薫。再放送見るたび「あああああああああああ、可愛いぃぃぃ、薫ちゃん好きぃぃぃ!」ってなるもの。当時すでに人妻どころか一児の母でいらっしゃるのがほんと、信じがたいです。
『あぶ刑事』については「身近すぎてエピソードが思いつかない。自分の実家、自分のファミリーの中で起きたことだから」と。また、「中条さんにベンガルさん、山西さんにしても、それぞれ一家の大黒柱ですよ」(P73)と述べられ、それだけのキャストが集まって、普通なら食うか食われるかになるところ、「それが今回は本当にうまい具合に力になった」と。本当にねぇ、奇跡のキャスト陣ですよねぇ。

そんな「大黒柱」のお一人、山西道広さん「これまでワルとかハミダシ刑事といった役どころばかりやっていましたから、この『あぶない刑事』ではじめて普通の人がやれるようになったんではないかなと思いますね」(P208)とおっしゃっていて、「パパさん」以前を知らなかった私にはとっても意外。あの温厚で家族思いのパパさんが、『あぶ刑事』以前はワルだったなんて!
去年『仮面ライダーV3』第30話にデストロンハンターとして出演なさっているのを発見してびっくりしたけど、V3は1973年だからえーっと、山西さんは25歳? Wikiを見るとデビュー直後のご出演だったよう。
『もっとあぶない刑事』第4話「奇策」ではドヤの管理人変装がめちゃめちゃ様になってて、「パパさん巧すぎるw」って思ったけど、それまでの「ワル役」の経験が生きたってことなんでしょうか。
港署にパパさんがいてくださって本当に良かったし、皆さんほんとに面白くて巧かったなぁ。

「奇策」と言えば、全作品リストコーナーで『もっとあぶない刑事』第3話「閉口」の写真が「奇策」のものになってました。3話も4話も写真が「奇策」。3話として載ってるのはタカさんが青年実業家のふりをしてミキとデートしてる写真、そして4話の写真はドヤ管理人パパさんと凶悪犯ユージが「俺たちが警察だよ」と手帳を見せてる写真。
どうして取り違えたのかわからないけど、パパさん変装写真を載せてくれてありがとう、編集部さん。

舘さんインタビューのところはもう読みどころしかなくて、全部コピペしたいぐらいなんですけど、そうも行かないのでちょっとだけ。
まず『あぶ刑事』に関しては「すばらしい番組、映画だった」とおっしゃり、恭兵さんから非常に刺激を受けたというお話、みんなにゴルフをさせて、ご自分のことを「遊びの引率者」だったと形容。
そして「二十歳の頃に熱中していたことは?」と訊かれ、「オートバイに夢中だった」と答えたあと、「自分の中ではまだ何も成功していないんです」「挫折の青春時代でしたから」「ぼくが欲しかったものはいまだに手に入れていない」(P60)と。
当時の舘さんが「欲しかったもの」って何だったんだろう。そして、「毎日は一生懸命走っていますよ。だから、いつか何かを手にするかもしれない」(P60)という言葉から30年以上の月日が経って、今、舘さんには「手に入れた」という実感がおありになるのかしら。それともそれは、永遠に追い求め続ける何かだったりするのかな。
「夕焼けが好き」というお話も、「美しさとは“瞬間”」という発想もとても素敵。やっぱり舘さん好きだぁ♡

トオル君は1989年当時まだ24歳。まだ24歳なのにやっぱり「二十歳の頃はどうでしたか?」と訊かれているのがちょっと面白い。
『あぶ刑事』について問われて「だいぶあとになってから、自分の代表作の一つだったんじゃないかと思うかも知れませんね」(P114)と答えてらして初々しい!
今後のことについての質問には「自分が生きていたっていう証拠をね、なんとか世の中に残したいっていうか」「何十年経ってからも、リバイバルで見てもらえるとか、テレビで再放送されたらということで、こういう人がいたんだ、こういう人が生きていたんだと思ってもらえればいいなと」(P116)とおっしゃっている。
こういう人がいたんだどころか、すっかりベテラン・イケおじ俳優になられてしまって、テレビ等でお見かけするたび「あのトオル君が立派になって」と近所のおばさん目線で見てしまうんですけども。
何十年経っても再放送で楽しませてもらっているし、「町田透」は間違いなく仲村トオルの当たり役の一つだし……あの頃のインタビューを“今”読むの、ほんとに感慨深い。

恭兵さんのインタビューでは東京キッドブラザーズでのお話がとても興味深かったです。「青春時代に熱中していたものは?」の質問には「マージャンしかしなかった」(笑)。
『あぶ刑事』については「「代表作になりましたね」といわれることに対して、すごく嬉しいような、また、そんなもんじゃないよというような感じもしています。半分半分ですね」(P281)と。「『武田信玄』のときも「これが代表作」みたいなことを言われたけど、二~三年経てばまた変わってしまうわけだから」と。まだ三十代の役者さんにとって、その時の作品が「代表作」と言われてしまうのは、「その後はたいした役が来ない、できない」という意味にもなってしまうわけで、「そんなもんじゃないよ」と思うのが当然ですよね。「俺はまだまだこんなもんじゃない」って。
舘さんが「まだ何も成功していない」っておっしゃっているのと通じる気がして、そういう気概を持ったお二方だからこそ、70過ぎても鷹山&大下として「帰ってくる」ことができたんですよね。ずっと、格好いいままで。
「どこかでセクシー大下を見かけたら、気軽に声をかけて下さい」(P281)
どこかでセクシー大下を見かけたい人生だったよ!!!!! とても声なんかかけられないけど…。

「70過ぎても」という話で言えば、プロデューサーの伊地智啓さん「10年後にでも、また作って、そのときには、走れなくなった恭兵とか、カッコが悪くなった舘とか、それが本当の『あぶない刑事』じゃないか、そんなの考えてみたいなと、フッと思うね」(P285)とおっしゃっているんですが、10年後どころか! 30年以上経っても走れるわ格好いいわ、とんでもないんですよ!! あの頃の伊地智さん、今年にタイムスリップしてぜひ『帰ってきた』を見て!!!(笑)
伊地智さんのお話で興味深かったのは、『探偵物語』や『プロハンター』という作品に比べて、『あぶない刑事』では「組織の中にいてその仕組みを承知の上で、そこから、飛びだそうとしない人間ということは意識しました」(P284)とおっしゃっているところ。「今の若者たちは、不平不満があっても、そこを壊したり、飛びだすという考えは、まずない」(P284) だから、「アウトロー」といっても、ギリギリのところで押さえ方を変えていると。確かに鷹山大下は「だからといって刑事を辞めない」し、むしろ「刑事だからこそドンパチできる」とうそぶいたりもしている。あれだけ好き勝手やっているように見えて、定年まで公務員を――「現場の刑事」という「組織の歯車」を勤め上げちゃったんですものね。
二人が好き勝手できたのは近藤課長という素晴らしい上司がいたからで、課長と港署のみんなのあの信頼関係は『あぶ刑事』の大きな魅力の一つだと思うけど、でも確かに言われてみれば「そこから飛びだそうとしない人間」なんだなぁ。なるほどなぁ。

他にもたくさん面白いコメントがあったんですが、キリがないので最後に機材車の本田賢治さんのお話を。そう、「情報屋のトン様」。なんで「トン様」なんだろうと思っていたら、左とん平さんに似てるから“とん平”と呼ばれていて、そこから「トン様」になったよう。なるほど、掲載されているお写真、とん平さんに雰囲気が似てらっしゃる。
トン様は「僕、一番俳優さんにかわいがってもらったもんね。食事もかなりごちそうになって」「こういうテレビはめったにないよ」「ああいう二人のコンビって、これから出てこないんじゃないのかなぁ。ちょっといないもんね、ああいうキャラクターは」(P253)とおっしゃっています。うん、唯一無二ですよね、タカ&ユージ。そしてチーム港署。

冒頭、30ページにわたるカラーグラビアも素敵で、これだけでも手元に置いておきたいぐらいなのに、あああ、どうして当時の私はこの本のことをまったく知らなかったんだろう、絶対応募したし、絶対買っていたのに!

公式が編纂した同人誌のような貴重すぎる一冊、時を超え、“今”読めて楽しかったです。買っといてくれてありがとう、図書館様!