終戦の日をはさんで、テレビでは
色々と戦争関係のことをやっていて、
空襲で亡くなった人達の記録を地道に
集めている人の話とか、原爆の話とか、
「またか」ということをやっている。
子供の頃は8月になるとそーゆー
暗くて怖い話が多くなるので、
とてもイヤだった。
もうちょっと大きくなると、
「代わり映えしないなぁ。これも
夏の風物詩か」なんて思ったり
していた。
最近は、「でもやっぱり必要だな」
と思う。ずーっと「戦争ってこんなに
人が死んで、こんなに悲惨なんだよ」
と言ってるのに、やっぱり戦争は
なくなりそうになくて、むしろ
「やっちゃえ!」って雰囲気になって
いるから。
靖国のことを考えながら、空襲の
話とかを聞くと、「日本はアメリカに
こんなに一般市民を殺されてて、
原爆を落としたのだってアメリカ
なのに、そのことについてアメリカに
謝罪を求めたりはしないんだな」と
思う。
負けた国が勝った国に謝罪を求める
のは筋違いというもので、
「あれは日本が悪かったんだから
しょうがない」ということにもちろん
アメリカではなってるんだろう。
靖国にA級戦犯が合祀されている
ことを当然だと思う人達は、
「日本は悪くなかった」と思って
いるんだろうから、もっとアメリカに
反旗を翻しても良さそうなものだけれど、
小泉さんなんてアメリカ大好き、
アメリカのやることならなんだって
応援しちゃう、って人だ。
それはそれ、これはこれ。
あるいは「罪を憎んで人を憎まず」とか?
アメリカに押しつけられた憲法は
変えなきゃいけないが、アメリカに
押しつけられた牛肉は食べなければ
ならない。
相手がアジアの国ではなくアメリカ
だったというところがキモなのでは
あろうけれども、「鬼畜米英」を
ころっと一転させてしまった日本には、
中国や韓国が戦争責任や謝罪について
こだわるのがピンとこないんだろうなぁ。
日本がこだわるのはそーゆーことでは
なくて、「国のために死んだ人は
靖国に祭られねばならない」ということ
なんだもの。
↑私にはこれがピンとこない。
社会・政治
2 Comments
今、家の改装と6年前に亡くなった祖母の遺品整理を同時に行っています。おびただしい数のアルバムの中から、かつて祖母が住んでいた「甲子園の家」の写真が出てきました。若夫婦と4人の子ども(そのうちの一人は赤ん坊だった母)が幸せそうに家のテラスでくつろいでいますが、この家は、築5年で焼夷弾により焼けてしまったそうです。「甲子園の家が戦争で焼けた」と言う話は、昔から知っていて、半ば当然のことのように思っていましたが、実際に母や祖母が普通に暮らしている状態の写真を見ると、「燃やす目的でよその国家が爆弾を落とし、苦労して建てた個人の家が燃えて無くなる」…戦争って、そういう異常なことなんだと改めて思い知らされた気がしました。何より、ずっと一緒に住んでいた祖母の身に起こったことだと思うと、改装で家のトイレがきれいになっただけで、とてもうれしくて、毎日磨き倒している今の自分と重ねて、すごく複雑な気持になりました。
返信削除��あきちゃんコメントありがとう(*^_^*)毎日トイレを磨き倒してるなんてすごいな〜、って、そーゆー話ではないけど。普通の生活が理不尽に壊されてしまうのが戦争なんだよね……。そこでの生き死にはもうほんとに運・不運でしかなくて、その不運は“尊い犠牲”で片付けられてしまう……。やっぱり、せめて8月くらいは真面目に戦争や歴史について考えなくちゃいけないなぁ。
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