森川久美さんネタ再登場です。
『危険な席』と同時に購入した、持っていなかったコミックス。初出は1992年、あすかコミックスに収録されていたのですが、そちらはおそらく絶版。昨年ソノラマコミック文庫として再刊されました。

タイトル通り、織田信長の生涯を描く作品ですが、主人公は信長に出逢って初めて人生の目的を持つことができた流れ者の男、久慈三郎。剣の腕が立ち、頭も良く、もちろん顔も良くてかっこいい若者です。

信長は日本史上最高のスターで、大河ドラマにもしょっちゅう登場し、どういう人かおおよそのところは知っているつもりでいました。
しかしこの、とっても駆け足な信長の生涯を読んで、「ああ、そうだったんだ」と初めて信長という人を知ったような気がしました。
まぁそれは少し言いすぎかもしれないけれど、何しろ日本史はさぼっていた私です。並みいる戦国大名を蹴散らして初めて天下を取った少々クレージーな武将、というふうにしか思っていなかったものですから。

信長の一番の敵は周囲の大名達ではなく本願寺であり、一向宗の信徒だったのです。比叡山の焼き討ちは知っていた
けど、「それはこういう流れで起こったことだったのか」と初めてわかりました。

「空しい権威にしがみついて
極楽などという空証文を
振り回す寺を崇める
人々の心の弱さに負けたのだ
空虚な権威 空念仏に頼んでしか
身の安寧を計れない
人の心の弱さこそ
戦わなくてはならない最大の敵だ…!!
ワシが新しい国を作るのを邪魔するのは
人の心だ―――」

という信長のモノローグに、ひどく共感してしまいました。
信長は宗教が許せなかったのではなくて、宗教を必要とする人の心の弱さ、宗教をただ鵜呑みにするだけで自分の頭で考えようとしない人々が許せなかったのです。

「仏も来世も無い
人は生きて死ぬだけだ」

とは主人公三郎のセリフ。
「信長様と同じことをおっしゃる」と宣教師フロイスに言われるのですが。
ものすごく、共感します。
三郎は「仏なんかない」と言っておきながらフロイスから洗礼を受けるのですが、それは「おれは主(デウス)ではない おまえを信じたのだ…」なのです。

神様より人間です。
人を救うのは神様なんかじゃなく人であるべきだと、私は強く思います。

併録されている『花の都に捧げる』も、世俗の権力と宗教との対比が鮮やかなお話。
花の都フィレンツェの、豪華王と謳われたロレンツォ・ディ・メディチと、過激な修道士サボナローラのお話。
今読んでいる塩野七生さんの本に「醜男」と書かれていたロレンツォですが、もちろん少女マンガだから美形に描かれています。
サボナローラも、「天使かと思った」みたいに言われています。今、Wikipediaで肖像画を見てうんざりしました(笑)。
しかも二人とも40代で死ぬのですが、マンガの中では最後まで麗しい青年。いいなぁ、マンガは(笑)。

ほんとに、ロレンツォの寂しげな、すべてを悟っているかのような、哀しい微笑がたまりません。
もう、森川さんってばホントうまいわ。

信長と同じく、時に冷酷非情に敵を排除しながらフィレンツェの、引いてはイタリアの秩序のために奔走するロレンツォ。彼の苦悩と孤独を、誰も理解しない。彼の与える繁栄を享受しながら、彼の専横をなじる庶民達……。
「正義の修道士」サボナローラはそんな庶民を煽る。「メディチ家こそ諸悪の根源!」というふうに。

ああ、やだやだ。
「正しい」だけで世の中がうまく行くんなら、誰も苦労はしないっていうの。
悔い改めろ? 大きなお世話。

「後悔し
神にすがり
許しを乞い……
よろけ歩く
この弱い人間は
罪ばかり犯す
それが故に
愛しいのだ…と
そう
あの男に
言ってほしかった…」

ロレンツォの死の床でのモノローグ。
ああ、可哀想なロレンツォ。しくしく。

『花の都に…』は初出が1991年。
もともとはこれもあすかコミックス。
「買ったような気がする」と思って本棚を探したらやっぱり出てきた。一度読んだことを覚えていなかった……あらら。
こーゆー話は年を取ってからの方が沁みるのかもしれない。