実家の神戸新聞で、内田樹さんと鷲田清一さんの対談を読みました。テーマは「幼児化する日本」。
非常に面白かったです。
内田樹さんの著作をちゃんと読んだことはないのだけど、時々新聞のコラムなどでお見かけして、「この人の考え好きだな〜」と思っていました。
鷲田さんの方は、「名前は聞いたことある」と思っていたら、阪大の現学長さん。偉い人なんですね、きっと。

見開き2ページの対談。
新聞を持って帰らなかったのでうろ覚えだけど、内田さんが「自分は検察か秘密警察で出世するタイプだとわかってた。でもそんなことしたら世の中に迷惑がかかるから、毒にも薬にもならない文学部に行った」とおっしゃってました。

秘密警察(笑)。

今の日本には、「もう若くないと思ってる大人と、先はないと思ってる子どもばかり」とか。
わかりますね。
っていうか、「子ども気分が全然抜けてなくて、でももう若くはないということだけは自覚して、そのことにおびえている」って、まさしく自分のことです。

今年もう不惑ですよ、あんた!
どーすんですか、こんなんで!!(爆)

「30、40の人間が書いている格差論を読むとうんざりする。30年、40年と生きてきたら、それなりに社会システムを担っているはずなのに、外側からの批判ばかりで、自分も内側であるという認識が欠けている」みたいなことも書いてありました。
これも、非常にわかる。
世の中の仕組みは、どっかの誰かが動かしていて、悪いのは動かしている誰かで、自分は一方的に被害者である。

社会に参画しようという気が、ないもんな、私も。
でも、「文句ばっかり言ってても仕方ない」ってことは、一応わかってるつもりです。
うん、ほんとに、いい加減「ちゃんとした大人」にならなきゃいけないと思います。
自分では、昔に比べればずいぶん丸くなったと思っていて、そうやって世間と折り合いをつけていくことも「大人になる」の一側面なのだろうと思うわけです。
それは「ずるい」かもしれないし、「弱い」かもしれないし、子どもの自分から見たら「つまらない大人になりやがって」かもしれない。

でも、人間は社会の中で生きる生き物なので、自分の正当性ばかり主張したって、どうしようもないのです。譲れるところは譲って、向こうにも少しは譲歩させて、その都度「良い加減」なところを見つけてやっていくしかない。

「今の若い人達は『折り合いをつける』と言うとすごく嫌がる」とも書いてありましたね。
純粋であることに重きを置きすぎて、妥協するぐらいなら決裂を選ぶと。

「多様性多様性とよく言うのに、どうして個人は多様であってはいけないのか?」
この論点もとても面白かった。
そーですよねー。
多重人格でもいいですよねー。
子どもの自分も抱えながら、緩やかにまとまりを保っている。それが「大人」だ、みたいな話でした。

「ぎゃぼー!」と『のだめ』に興奮しながら、こういう真に賢い人の対談を読んで「なるほど」とうなずく。
それが「大人」です(嘘)。

この対談に関連したことを、内田さんがご自身のblogで書いてらっしゃいます。興味のある方は検索してみましょう。
いや〜、ほんとに面白いな、内田さん。
敬愛する橋本治さんが第1回の受賞者だった『小林秀雄賞』を内田さんは昨年受賞されています。
なるほど、私好みなのはそのせい?
ということは小林秀雄は私好みなのか???

というわけで橋本さんの『小林秀雄の恵み』をとりあえず買ってあります。
『のだめ』ばかりじゃないのよん(笑)。