iPodの聞き心地を試すためにAIWAのヘッドフォンをひっぱりだしてきて、「そういえばAIWAってまだあったっけ?」と思った。

調べてみたら、AIWAは2002年にソニーの完全子会社になり、今年の春、AIWAブランドは終了、サポートのみをソニーが行っているのだとか。

そうか、やっぱりなくなったんだ。

でもうちにはまだ、AIWAのラジカセがある。


もともとは大ばあちゃん(夫の祖母)のために家族が買ったものなのだけど、彼女はそんなにも音楽やラジオに興味がなかったようであまり使われていなかった。

なので途中から、私の内職のテープ起こし専用機になった。ボタンが上にあってシンプルなところが非常に使いやすい。ラジオもよく入るし。

実は私がまだ実家にいた頃、母が同じものを使っていた。既に世の中にCDはあって、MDも出ていたと思うが、こーゆーシンプルなラジカセが「ちょっと聴きたい」時には重宝したのである。台所で夕飯作りながらラジオを聴くとかね。

aiwa(1991年にAIWAからaiwaにロゴを変えたらしい。だからこのラジカセは1991年以降の発売である)って、必要十分な機能を備えて使い勝手がよいのにリーズナブルで、好きだったのになぁ。

もうないのね。

(※2022/06/14追記 その後十和田オーディオという企業がaiwaブランドを復活させたそうです。公式サイトこちら


というわけで、ちょっと「今まで自分が使ってきたオーディオの歴史」というのを振り返りたくなった。

私の家にラジカセが初めてやってきたのは、小学校の3年生ぐらいの時ではないかと思う。少なくとも、4年生にはもうあった。1970年代の後半。

それまで家にはレコードプレイヤーしかなかった。ラジオチューナーと一体になったアンプと、レコードプレイヤーが家具調テレビの上にのっかっていて、けっこう大きくて立派なスピーカーが、天井近くの壁の二隅にセットされていた。

一応、「そーゆーことに詳しい」会社の後輩が、「こうすればステレオが生きる」とスピーカーの位置を調整してくれたらしい。

今からすれば「立派」とも言えるそのステレオセットで父が何を聴いていたのかというと、バタやんこと「田端義夫」だったりして、別にうちはレコードの多い家ではなかった。数えるほどしかなかったんじゃないかな。

私達子供用には童謡のレコードと、「テレビ主題歌集」みたいなのがあって、「ミラーマン」とか「ライオン丸」とか「おんぶおばけ」の歌が入っていた。おかげで「おんぶおばけ」を見た記憶はないが、歌は覚えている。

そして小学校低学年の頃に、ラジカセがやってくる。父はそんなにも音楽好きではなかったのだけど、「新らしモノ好き」で、すごーく自慢げに持って帰ってきた(ような気がする)。

それは東芝の「アクタス・パラボラ」であった。

なんだか知らないが、パラボラ集音器がついていたのである(パラボラ・アンテナかと思ってた……)。上にリンクしたサイトでは画像と丁寧な解説が読めるのだけど、いや~、すごい! 懐かしい!!!

そーいえばこんなんやったなぁ。

マイクと、短波まで入る3バンドチューナー。録音レベルの調節もできたような気がするし、無音部を作る青いボタン。あったあった。

小学校から中学校にかけて、ずっとこれでピンクレディーとか秀樹とかジュリーなんかを録音していた。もちろんラジオからのエアチェック。

毎週日曜日の朝にやってる「不二家歌謡ベストテン」がお気に入りだったんだ。ああ、ロイ・ジェームスさんの声が懐かしい。

この「アクタス・パラボラ」についていたマイクで自分の声を録音して初めて「他人が聞いている自分の声」というものを聞き、ものすごくショックを受けた。「え~、あたしってこんな声なの!?」。

自分で聞いている声と、人が聞いている声は違うのだということを、ラジカセのおかげで知った。

中学生になると、「レンタルレコード屋」でアニメのレコードを借りてきて、レコード・プレイヤーと「アクタス」を接続してダビング。友達にラジカセを持ってきてもらって、テープ同士のダビングもやったりしていた。

たぶんその頃Wラジカセというのが普及しはじめ、うちにも「弟用」に買ったような気がする。中学生になった弟が、自分の部屋で聞くためにラジカセを欲しがったのである。

そしてリビングには、レコードプレイヤーとラジオチューナー、Wカセットデッキが一体となった「ミニコンポ」が登場する。

長くなったので、以下次回