7巻目です。

今回はカドフェルシリーズの王道(?)、「無実の罪をきせられた若者を救うためカドフェルが真犯人を暴く!」という展開で、前巻『氷のなかの処女』よりもずっと面白く読めました。

不思議ですね。「こうやって最初に出てくる以上この子は犯人じゃない」「最後にはカドフェルがこの子を無事救ってくれるはず」ってこれまでの巻からほぼ予想がついてるのに、それでもドキドキしながら読んじゃう。

その子にとって不利な事実が出てきたり、新たに不利な行動を取ってしまったりするたびに、「わわわ、大丈夫なの?どうなるの???」とハラハラしてしまうのです。

濡れ衣を着せられた若者がしがない旅の軽業師で、人々から蔑まれ、いかにも「雀」といった弱い立場にあることも、こちらの胸を打ちます。

やっぱりねー、『氷のなかの処女』のアーミーナみたいな、いいとこのお嬢さんにはねー、同情しにくいところがあるわー。

とある夜、シュルーズベリの修道士たちが夜半の祈りを上げている最中、教会に飛び込んできた一羽の雀リリウィン。旅芸人の彼を追いかけてどっと押し寄せてきた群衆達は「そいつは人殺しだ!」とわめき、逃れようとする彼を打擲する。

そこへラドルファス院長の一喝!

うーん、これがまた素敵なのよ。好きだわ、院長。

「聖域が汚される」と不満顔のロバート副院長をよそに、「この聖域を乱すことはまかりならん!」と暴徒達を一蹴するラドルファス。なんでも教会や修道院には「庇護権」というものがあるそうで、その庇護を求めてきたものは、40日間聖域内で身の安全を保証されるらしいのです。

修道院は院長ラドルファスの王国であり、世俗の法でなく神の法が支配する場所。

とはいえもちろん本当にリリウィンが「人殺し」なら40日の後には世俗の法の裁きに委ねられなければならないわけで、カドフェルは調査に乗り出します。

町一番の金持ちとも言われる金細工職人の家で行われていた、跡取り息子の結婚式。その余興として呼ばれていた旅芸人リリウィンは残念ながら客を満足させることができず、約束の報酬も受け取れずに途中で追い出されてしまいました。そのしばらく後、花婿の父(つまりその家の主人)が何者かに殴り倒され、財産をしまい込んでいた金箱が空っぽにされたのです。

その場にいた者はみんな、「追い出されたあの旅芸人が腹いせに!」と頭から決めてかかりました。

人びとは悪漢を選んでいた。それは都合のいいことにかれらの階層に属さない男で、ここの生まれでもないし、ここに親族もいない男だった。そんな男には、ひとかけらの同情も抱く必要がなかった。彼は人間ではなく、流す血ももたず、張り裂ける心臓ももたなかった。 (P165)

いやはや何というか……これでは冤罪っていくらでも生み出されちゃいますよねぇ。いつも「これカドフェルがいなかったらどうなってたの」と思います。

結婚式で酒が入っていたこともあるし、「群衆」になってしまえばその興奮は一人の時よりずっと激しくなる。普段は大人しい者でさえ「あいつを殺せ!」と叫べるようになってしまう。

もしも間に合って教会に逃げ込めなかったら、リリウィンは弁明する機会も与えられないまま、「私刑」によって殺されてしまっていたかもしれないのです。

あとで無実が判明した時、町の人達は彼に贖罪の贈り物をしたりしますが……「あと」があるとは限らないわけで、「思い込みで人を裁く」ことの怖ろしさを感じます。「そんなの中世の話」とは決して言えないでしょう。

旅芸人のリリウィンは町の人達から蔑まれていて、副院長ロバートの腰巾着ジェロームも、リリウィンが軽業の練習をしているのを見て「聖域を何だと思ってるんだ!」って激昂するんですけど、ひどいですよね。

旅芸人に拾われた捨て子のリリウィンにとっては、軽業だけが「生きるすべ」で、蔑まれようとどうしようと、それ以外に「食べていく」方法はないわけです。「たかが芸人風情」と侮る人々が、だからと言って彼に別の「まともな」仕事を斡旋してくれるわけでもない。

彼が教会のしきたりや神の教えについてよく知らないのだって、「誰もそれを教えてくれなかった」というだけのことで。

腹立つわ~、ジェローム。

これもホント「中世の話」ではなくって、いつの世も子どもは親を選べないわけで。捨て子やひどい家庭環境に生まれなかったことは、「たまたま」でしかない。


修道院の中で、音楽を担当する修道士アンセルムが、リリウィンの壊れた楽器を直そうとしながら、彼に楽譜の読み方や書き方を手ほどきしていくのですよね。リリウィンの音楽の才を認めて、「このまま修道士にならないか?君なら修道院のいい歌い手になれる」と勧誘するほど。

このアンセルムとリリウィンの交流はホントに心があったかくなります。こんなちょっとした周囲の手助けがあれば……差し伸べる手がありさえすれば……。

「音楽は一生をかけるだけの値打ちがある……どんなに長い一生でもだ」ってアンセルムに言われて、リリウィンはうっとりとするんです。「人の一生がどんなに短いこともありうるかをすっかり忘れて」(P93)

こういうちょっとしたシーンの描き方がすごくうまいですよねぇ、ピーターズさん。「人の一生がどんなに短いこともありうるか」…沁みるわぁ。

「うまい」と言えば、本書の「事件」は「一家に“主婦”が二人いることの悲劇」、「家のために犠牲になってきた女の悲劇」なんですけど、

「あなた、信じて、一軒の家に二人の女主人がいることはできないのよ、そんな家はうまくいかない」 (P205)

なんてセリフはやはり女性作家ならではだろうなぁ、と。

跡取り息子の花嫁が言うセリフなんですけどね。

嫁に来た家には「すべてを牛耳っている祖母」と「高齢の祖母に代わって家の実務を取り仕切っているオールドミスの姉」がいて、しかも夫は「新婚3日目にはもう愛人の家に行ってしまうろくでもない花婿」。

可哀想に、花嫁マージェリーは婚家に居場所がなかったりするんですけど、事件をきっかけに夫の手綱をぎゅっと締められるようになっていきます。

この「女のしたたかさ」「賢さ」がまたね~。ピーターズさんうまい。

で、マージェリーにとっては「目の上のたんこぶ」でしかない「オールドミスの姉」スザンナがまた可哀想なんだなぁ。

「町一番の金持ちの家」は、金持ちならではの「ケチ」でもあって、スザンナは持参金を惜しまれ、嫁にやってもらえなかったんですね。母親がいつ亡くなったのかよくわからないけど、言ってみれば「安上がりの女中」のように、家事一切を担わされてきたのです。

「この一家はわたしに、それ以外のものをすべて拒んできたのよ」 (P214 )

なのに「嫁」が来て、「嫁」はもちろん「一軒の家に二人の女主人は要らない」と自分の権利を主張する。

「おまえはもう用済み」とされてしまうわけです。

ああ、可哀想なスザンナ……。

そういう「女の闘い」の部分、そしてリリウィンとラニルト(スザンナの召使い)という虐げられてきた者同士の初々しい恋。

沁みました。

うん、このお話、すごく良かった。


「絶望するには早すぎる。絶望というものは」彼は力強く言った。「いつも早すぎるものなんだ」 (P34 リリウィンにカドフェルがかける言葉)


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