2014年1月7日火曜日

修道士カドフェル8『悪魔の見習い修道士』/エリス・ピーターズ



カドフェルシリーズも8冊目となりました。今回も面白かったです。実家へ帰省する電車の中で読んでいたのですが、どんどんページを繰ってしまうので、「行きだけで読んじゃって帰りにはもう読むものがなくなっているんじゃ!」と思ってしまうほどでした。

そうなると困るので途中でセーブして、帰りの電車の中で読み終わりましたが。

「悪魔の見習い修道士」というタイトルはなんだかおどろおどろしいですが、別に魔術を使う怪しい修道士が出てくるわけではありません。

修道士となるべくやってきたとある荘園主の息子メリエット。心に重い秘密を抱えているため悪夢にうなされ、夜中に叫び声をあげたことから、他の若い修道士たちに「悪魔の」という形容詞をたまわってしまうのです。

夢にうなされるぐらいでそんなオーバーな、と思ってしまいますが、修道院には世間を知らない「純粋培養」の者も多く、また、メリエットの「うなされ方」が完全に「夢遊病状態」(歩き回りさえしているのに、目覚めた後の本人はそのことをまったく覚えていない)なので、中世の感覚からすれば「悪魔憑き」と見なされても仕方がないのでしょう。

もちろんカドフェルや修道院長ラドルファスは、修道院にやってきた時のメリエットの様子その他から、「何か悩みを抱えているゆえであろう」と見抜きます。

そして明らかになる殺人。

メリエットの実家に立ち寄った後行方不明になっていた、司教の使者クレメンスの遺体が発見され……。

「無実の罪を疑われた若者を救う」というカドフェルの「いつもの主題」が少し変わった調子で奏でられ、「果たして真相は?」と夢中で読み進んでしまいます。

特に今回私のお気に入り、ブラザー・マークがまた活躍してくれるので。

カドフェルの助手として薬草園の手伝いをしていた若い修道士マーク。5巻目の『死を呼ぶ婚礼』でセント・ジャイルズの施療院に行ってしまってました。

5巻でマークが助けたジョスリンや、男の子の名前もちらっと出て来て嬉しい。

未だマークはセント・ジャイルズで甲斐甲斐しく病人たちの世話をしていて、メリエットの処遇に困った修道院長とカドフェルは、「彼をしばらくマークのところへ預けてみては」と考えるのです。

「ブラザー・マークはわしらの中でいちばん無邪気でつつましい若者ですが、自分のしていることを自然に相手にわからせてしまう、多くの聖人に特有の才能を持っています」 (P133)

マークならきっとメリエットの閉ざされた心を癒し、助けになってくれるだろうというカドフェルの読み通り、メリエットはたちまちマークを信頼し、「友」と呼ぶようになります。

カドフェルはとっておきの自分の弟子を、ほめすぎるのを自重した。 (P150)

最初、3巻目で薬草園の助手として登場した時は、ここまですごい子だとは思わなかったのですが、8巻目ではすっかり「聖人の資質を持つ修道士」になっているんですよねー。

早くに親と死に別れ、親戚の家でつらい子ども時代を送りながら、その心根は一向に曇ることがなく、それどころかその経験は他者への優しさや思いやりへと昇華されている。カドフェルの推理の助手が務まるぐらいの十分な好奇心と知恵と観察力を持ち、それでいて不必要に出しゃばることなく、ごく自然に自らの務めを果たしている。

いやぁ、ほんと素晴らしい若者だわ、マーク。シリーズの最後では見事司祭になっちゃうのかなぁ。

こうやって主人公以外の登場人物の成長が楽しめるのも、シリーズ物の魅力ですよね。

今回のお話ではメリエットと父親との親子関係が一つ大きな軸になっているんですが。

「お兄ちゃんの出来が良すぎて“要らない子”になってる弟」というのがなんともこう、身につまされました。

小さい頃から「自分は愛されていない」と感じていたメリエット。父親の気を引くために反発したり意固地になったりすればするほどよけいに嫌われてしまう悪循環。

「兄弟」って、多かれ少なかれそういうこと、ありますよね。私は「上の子」だったので、逆に「弟ばかり可愛がられてる」と思っていましたが、弟には弟で私が「目の上のたんこぶ」だっただろうし。

親も人間、複数いる子ども達を完全に同じように、「平等」に愛することなんて、できないでしょう。

今回の事件がメリエット親子にとってはある意味「雨降って地固まる」になるのですがしかし。

出来の良いはずの兄ちゃんがひどい(笑)。

なんか……これも人間性の真実というやつなのかしら。ピーターズさんの人物造形はいつも面白いです。

メリエットを「私のもの」と公言してはばからない幼なじみの少女アイスーダも強烈だし。

あと。

ちょっと気になったのがヒュー・ベリンガーの1人称。

2巻で登場してからカドフェルの良き相棒として活躍している州の執行副長官ヒュー。これ、前の巻でもそうだったのかもしれないけど、カドフェルに対しては「わたし」と言うのに、メリエットや目下の人間に対しては「わし」と言っているんですよね。

日本語訳でだけ変えてあるのか、原文でも何か違いがあるのか(英語でそんな一人称の使い分けってあるのかしらん)わかりませんが、「わし」って書いてあると「ん?これ誰が喋ってるの?」って混乱するんですよね。カドフェルの1人称も「わし」だし。

一児の父になったとはいえヒューはまだ二十代だと思われるし(せいぜい三十歳なりたて)、副長官という立場ではあっても「わたし」でいいんじゃないのかなぁ。あんまり彼には「わし」って喋ってほしくない。

シリーズ終わる頃にはヒューも「わし」がふさわしい“おっさん”になってしまうのかもしれませんが……。


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