エラリーの続きを早く読みたい、と思いつつ、半ば義務で手に取りました、『PSYCHO-PASS』スピンオフノベル。

前の『ASYLUM』2冊も、それなりに楽しめたけど「すごく良いっ!」って感じではなかったし、エグくて色相が濁りそうな描写も多くて……。

だからこの『GENESIS』も、『PSYCHO-PASS』ファンとして一応は買うけどあんまり読みたくない、みたいな(笑)。

うん、予想通り、連続強姦殺人犯の事件は色相濁りそうだし、なんかこう、終始背中がムズムズする感じで、シビュラと厚生省が権力を拡大していく過程は興味深いものの、物語としては微妙な感じでした。

主人公はギノさんの父親、若き日の征陸さん。

警察に配属されてすぐ、22歳からお話が始まる。

すでにギノさんの母となる美人の宜野座冴慧さんと付き合っていて、ほどなく結婚、途中でギノさんが生まれ、小学校入学を迎え……。

なんかね、見ちゃいけない部分を覗いてるというか。『ガンダムORIGIN』で「シャアの過去って蛇足じゃ」と思ったのと同じ、「そりゃ気にはなるけど、全部描いちゃったら野暮だろ」っていう感じが拭えない。

「仕事と家族と、どちらも捨てられない。どちらも俺にとっては必要だ」という征陸さんの行く末がどうなるか、美人で理解のある奥さんと一人息子との幸せな家庭が壊れてしまうことを、もう知ってるわけだしなぁ。

ムズムズしますよ、読んでて。

あああああ、そこで引き返しておけよぉ、バカぁぁぁぁぁと。

色相悪化を怖れて――自分だけでなく家族の色相をも悪化させてしまうことを怖れて、征陸さんの同僚は離婚したり辞職したりしていくんですよね。なのに征陸さんは「どちらかなんて選べないわ!」と言ってる間に時機を逸してしまう。

一番悪いのはシビュラであり、厚生省であり、「潜在犯は遺伝する」というデマを信じて潜在犯の家族を忌み嫌う「善良な一般市民」なんだけど――、そう、テレビシリーズを見ている時は、「親父のこと許してやれよ、ギノさん」と思っていたけど、これ読むと「やっぱ征陸さんも悪いな」って。

で。

征陸さんと言えばやはり「父子関係を描かねば」になるのか、征陸さんが「親爺」と慕う上司が出てきます。

八尋という刑事なのですけど、この人がまた何とも「絵に描いたような人」で。

上等なギンギラスーツに身を固め、眼光鋭く体格良く、日本刀まで持った、いわゆる「ヤクザよりヤクザらしい古いタイプの刑事(デカ)」。でも頭はすごく切れて、読書家で、『異邦人』だの『カリギュラ』だの読んでてて、征陸さんにも折に触れ「本を読め、教養は大事だ」って言う。

なんというか、典型的すぎる(´・ω・`)

征陸さんが「警察官だった父の死の真相を知りたくて警察官になった」のもすごいベタだし、八尋の父親も警察官で、でも汚職警官で、その汚職のたまものである食糧を食べて育ったから「俺の血肉は穢れている」とか言うのもすごいベタ。

その父親を告発して家族が壊れて、そのせいで「俺は望んでも正しく家庭を持つことができなくなった」。

日本刀持った凄腕刑事かと思ったらアダルトチルドレンですか……。

いや、まぁ、過去が現在に影響を及ぼしているっていうのは誰にでもあることだとは思うんですけど、いかにも「直球」というか、「原因」と「結果」がわかりやすすぎるというか。

最初の強姦殺人犯の動機も「きっちり説明がつきすぎる」んだよね。

人間ってもっと複雑じゃね?って思っちゃう。

海外は戦争続きの無法状態、鎖国で戦争は免れたものの食糧事情が極めて悪く、人口も極端に減った日本。シビュラの登場でようやく「安寧」を取り戻しつつあつ日本で「社会から逸脱せざるを得ない犯罪者」は「わかりやすく異常」ということなのかなぁ。


職業適性判断から始まったシビュラシステム。

征陸さんが就職した時はまだ、「警察」が存在していて、でもどんどん「治安維持」は厚生省の役割となり、ちょうどギノさんが小学校に上がる頃、「警察」はなくなってしまう。「刑事」だった征陸さんは厚生省公安局の人間になり、元刑事の彼らとは別に「潜在犯である執行官」が登場、法を執行する機械<slaughter>が「犯罪係数」により即座に対象を消去するようになる。

最初はドミネーターじゃなかったんだねぇ。まだ試作段階ということで仮の名だったのかもしれない。「slaughter=屠殺」

dominateは「威圧する」だから、試作品はずいぶんストレートなネーミング。

初期の執行官は咬噛さん達と違ってもっとあからさまに「犯罪者」「異常者」な感じだし。

犯罪係数の導入は、司法制度の転換が目的ではなかった。(中略)人々の犯罪に対する認識をゼロから書き換えることが目的だったのだ。 (P316)

22世紀の精神衛生社会の治安維持活動は、事後処理ではなく事前抑止に大きな比重が置かれる。そこに管理社会的な圧政を強いる権力は存在しない。むしろ権力は細分化され、社会構成員の心の裡に内面化される。そして人々は率先して自己改善を促し、社会秩序の維持に貢献する。 (P317)

「社会構成員が率先して」っていうのがなんか、わかりますよね……。「空気読む」日本人なら実に有能に「正義」に同化して、色相が濁りそうな「めんどくさい案件」には近づかず、目と耳を塞ぎ、ひとたび近所に色相悪化者が出ればその親類縁者ごと「えんがちょ」。住んでたアパートごと「えんがちょ」。

あー、今ふっと思いついたから「えんがちょ」って言葉使ったけど、こういう「穢れの感染を防ぐ行為」の伝承って、実に「シビュラ社会」の維持に貢献しそう。

映画版『PSYCHO-PASS』の時に「シビュラシステムは官僚社会の日本ならでは」という話があったけど、「精神衛生」という観点で統治しちゃうっていうのも、「ハレ」と「ケ」の日本ならではの発想なのかも……。


川崎の中学生殺害事件とか、淡路島の隣人5人殺害事件とか、事件に至るまでにすでにトラブルがあって、警察への通報が行われているんですよね。ストーカー事件にしても、警察への相談はされていたけど、結局殺人にまで至ってしまったという案件があって。

警察は「法に触れない間は対象を拘束できない」。どんなに「あいつヤバい」と思っても、明確に法を犯すまでは、まぁ、職務質問するとか近所をパトロールするとかしかできなくて。

「怪しい」だけで捕まえられたらたまったもんじゃないので(自分の気に入らない相手を警察に“怪しい!”って通報するヤツもいるだろうし)、「事件を起こすまでは“加害者”じゃないからどんなに危険な兆候があっても野放し」っていうのはまぁ仕方ないんだけど、でも「犯罪係数でとりあえず隔離できたら」とか思っちゃいますよね。

「あいつヤバい」がきちんと数値化できて、その数値に十分な信頼度があるなら。

実際には、槙島さんみたいな免罪体質者もいるし、犯罪に巻き込まれて一時的に数値が上がっただけなのに加害者同様被害者も当局に処分されてしまう、なんて事態がある。

「隔離だけに留めれば」って言っても、「烙印を押されて隔離された」人間が、そうそう前向きに、色相をクリアにできるわけもない。

「色相が濁るのはストレスが多いということで、環境の方を変えてやらなきゃいけないのでは」というようなことを、征陸さんが精神衛生の講師に言うところがあるんだけど。

講師はもちろん「は?」という顔をして、

問題は、そのひと自身にあるのです。そして社会に薬は投与できないが、人間に薬を投与すれば、精神状態を調整できる。 (P306)

と答える。

ひゅおー。

社会を変えるのはとてもめんどくさくて時間のかかることだから、「自己責任」という言葉が溢れてしまうわけだけど。

「責任論」ですらなく、「薬でコントロールすればいい」になってるところがすごい。


シビュラ社会を考えることは「より良い社会とは何か?」を考えることで、シビュラ社会の問題点は現在の社会においてもやっぱり問題点で。

そこは、面白いんだけどねぇ。

いっそ征陸さんじゃない、全然知らない新しいキャラクターが主人公だった方が楽しめたのかしら。

続きを買うかどうか(物語はまだ途中です)、うーん、難しいところです……。