例の「1万円企画」のおかげで「10代の頃に通っていた本屋」のことを色々思い出していたら懐かしくて涙がちょちょぎれてきたので、忘れないようにblogに書いておく。

もうなくなってしまった本屋もあるし、私が死んでしまえば、十把一絡げで捨てられてしまうだろう本の記憶でもある。

死ななくても、思い出せなくなるかもしれんもんなぁ。
 

一番昔、小学生の頃に「小学○年生」とか「ちゃお」なんかを買っていたのは、小学校までの通学路の途中にぽつんとある、民家の軒先みたいな小さな本屋さんだった。

実際あの「本が並んでいたスペース」というのは「土間」だったのではないかという気がするのだが、その「狭い土間」と、歩道に張りだした縁台が「お店」で、縁台にはその週やその月に発売になった漫画雑誌や週刊誌が並んでいた。

なんせ通学路の途中で、小学生でも一人ですぐに行ける距離だったので、「別冊マーガレット」や「ちゃお」は大体そこで買っていたような気がする。

「ちゃお」は私が小学四年の時に創刊されたんだけど、そのお店でチラシかなんかをもらったのがきっかけで創刊号を買ったんじゃなかったかな。

『ベルばら』『はいからさんが通る』のコミックスもそこで買った覚えがある。

その本屋さんは、道路を挟んだ向かい側にある、ちょっとした「市場」の一員として存在していたような気がするのだけど、「市場」は私が中学に入る頃にはなくなってしまって、本屋も閉店してしまったと思う。
 

マンガじゃない本(つまりは小説)を自分で買うようになったのは中学生ぐらいからで、もちろん引き続きマンガも買っていたし、いわゆる「アニヲタ」にもなってしまったので、アニメ雑誌なんかも物色するようになった。

「アニメディア」が創刊されたのは確か私が中学の頃で、私がアニメディア、友達がアニメージュを買って、互いに読み合っていた。

で、その頃から私の「駅前の本屋を定期的にはしごする趣味」が始まる。

当時私が住んでたのは大阪の池田市で、家から阪急池田駅まで自転車で10分くらい。池田駅周辺にはイケダブックスが2軒、耕文堂が3軒あった。

あ、4軒じゃないな、5軒あったんだ。「1万円」の原稿に「4軒」って書いちゃった。まぁ特に支障はないけど。5軒といっても本屋としては2系統しかないわけだし。


イケダブックスはたぶん今はもうない。

なのでこのブックカバーは貴重。駅前に2店舗あったけどどっちもそんなに大きくないお店で、でも『百億の昼と千億の夜』はここで見つけた。このカバーの住所から考えるに、たぶん本店の方。どっちが本店なのか、今の今まで知らなかった(笑)。

右側の『猫柳ヨウレの冒険』は出てきたからついでに撮ってみた。萩尾望都さんの表紙。ハヤカワでも角川でもない、というのは覚えてたけど、徳間文庫だったのか。

耕文堂の方は今もまだあるはずだけど、商店街の中の「本店」はもうなくなってしまった。1階が普通の本、2階が教科書や参考書の売り場になっていて、近所にあった本屋のうちでは「一番大きなお店」だった。

なのでよく行った。

新井素子さんの『星へ行く船』を買ったのもここだし、同じく新井素子さんの『二分割幽霊奇譚』の単行本を手の届かない上の方の棚に見つけて「すいませーん!」って取ってもらったのもここ。『中一コース』の定期購読もお願いしてたし、祥伝社ノン・ノベル版アダルトウルフガイのエロい表紙をレジに持って行くのが恥ずかしかったのも耕文堂の(かつての)本店。

我ながらよく中学生であんなの読んでたよな。全部新井素子さんのせいなんだが(笑)。

たぶん今はない耕文堂の別の1軒はアニメ雑誌やムックがけっこう充実してて(たぶん全般に雑誌系が充実していたんだろう)、もう1軒はコミックスが充実していた。森川久美さんの『南京路に花吹雪』とかその「コミックス店舗」の方で買ってた。


右側が「耕文堂」のカバー。「ブランマルシェ店」って書いてあるから、これは阪急が高架になってからのもの。高架下に「ブランマルシェ」という店舗群ができて、そこに耕文堂も入ったのだった。踏切の近くにあった「コミックス店」は高架工事でなくなったはず。

駅の下にあって便利なので、ブランマルシェ店でもよく買いました。

そして左側はダイエー系の書店、「ATHINE」のもの。駅が高架になったのと同じくらいの時期に「ステーションN」という建物が駅前にできて、そこの中に「ATHINE」が入ったのだった。

商店街の耕文堂本店よりも広かったイメージ。駅から家に帰る通り道でもあり、本の数も多かったのでここもよく利用した。今はステーションNではなくダイエー池田駅前店の中に入っているもよう。


左側、「大学生協」のカバー。

大学に入って何が良かったかって、生協の本屋さん、「全品10%オフ!」

確か10%だったよね? 5%だったっけ???

大学だから岩波文庫も置いてあって、店舗自体はそんなに大きくないけど取り寄せ注文すればそれも全部割引になる。

他の本屋で「お、これは!」と思った本はそこでは買わず我慢して生協で……って、そんなに言うほどやってなかった気もするけれど。

生協のカバーがかかった本はかなり手元に残ってる。

右側は今はなき駸々堂書店のカバー。2000年に倒産してしまったんだっけ。

昔の阪急ファイブの5階にあった駸々堂梅田店はマンガ・アニメファンにはちょっとした殿堂のようなお店で、漫画家さんのサイン会や原画展がよく開かれ、サイン色紙が壁に並び、同人誌も置いてあった。

SF・ファンタジー系の本の品揃えもよく、つまりはハヤカワや創元もしっかり置いてあって……。

我が家の1990年版SFハンドブック、駸々堂のカバーです。

梅田だから、そんなにしょっちゅう行っていたわけではないけど、うろうろするのが楽しいお店だったなぁ。

「今はない」と言えば、阪急百貨店梅田本店の5階ぐらいにあった「書籍売り場」

今の新しくなった梅田本店に「書籍売り場」はないけど――そして建て替え前からもうなかったけど――昔は本も売ってたんだよ。

『レンズマン』とか阪急で買ったもの。

残念ながら阪急で買った本がもう手元にないんだけど(家捜ししたら1冊ぐらい出てくるかもしれない)、カバーが阪急電車のあのマルーンに似た渋い色で、掛け方が独特だったような。

百貨店と言えば「阪急」だった子どもの頃、百貨店の中に本屋さんがあるのは親のお買い物のついでに本が見られて良かったのになぁ。


左側、Amazonさんのブックカバーですよ!

昔はカバーがついてることがあったのよね。何かのキャンペーンの時だけかな??? 本棚にあと2冊ほど、Amazonカバーがかかってるのあるけど。

写真に写ってる橋本治さんの『これも男の生きる道』の文庫本は2000年に刊行された本で、私はこれを2001年の10月に注文したらしい。

Amazonさんの「お客様はこの本を○年△月×日に注文しました」って言うの、どこまで遡れるんだろう。初めてAmazonさんで買った本から、全部履歴残ってるのかな……。怖いな、Amazonさん。

結婚して滋賀に移り住んだのが1995年で、その後しばらくは橋本治さんの本を入手するのに苦労していたから、Amazonさんでサクッと注文するようになったのは2001年頃からなんだろうか。

『双調平家物語』の7巻はAmazonさんで買ってるな。2000年の暮れ。刊行予定がどんどん遅れていって、巻末に書いてある「次巻は○年×月に刊行」っていうのが全然あてにならない上に、その辺の小さい本屋にはあまり並ばない種類の本だったので、最初の5冊ぐらいは入手するのが大変だったんだ。

それがAmazonさんのおかげで――インターネットのおかげで、すでに発売されているかどうかはすぐに検索できるようになったし、クリック一つで家に送ってもらえるようになってしまった。

便利なんだけどねぇ。

うん、ホント便利なんだけど。

お隣が紀伊國屋だったらね。

というわけでAmazonさんカバーのお隣に移ってるのはご存知紀伊國屋書店のカバー。最近行ってないけど、今でもこのカバーだっけ?

阪急池田駅が最寄りだった私にとって電車と言えば阪急、大阪と言えば「梅田」、百貨店と言えば阪急百貨店梅田本店、そして「大きな本屋」と言えば紀伊國屋書店梅田本店。

今はブックファーストとかジュンク堂&丸善とか、他にも大きい本屋がいっぱいできている梅田だけど、私が子どもの頃は紀伊國屋と旭屋ぐらいしかなかったんじゃないのかな。旭屋は大学生くらいまで行ったことがなかったから、私の中で「大きい本屋」の代名詞は紀伊國屋で、それもあの三番街のゴミゴミした(笑)、決して本を探しやすいとは言えない、迷子になりそうな平面フロア構成の梅田本店なのだ。

親にくっついて梅田に行った時は紀伊國屋に寄るのが本当に楽しみだった。中学生や高校生だと、たくさん本が並んでいてもそうそう買えやしないんだけど――今だってたいして買えないけど――、棚を眺めてうろうろするだけでも楽しいんだよねぇ。

うっとり。

紀伊國屋のカバーがかかった本もけっこうあるのだけど、印象深いのは生島治郎さんの『夢なきものの掟』と新井素子さんの『絶句』

どっちも、紀伊國屋で父に買ってもらった本。

『夢なきものの掟』とその前段である『黄土の奔流』は『南京路に花吹雪』の元ネタだという話があって(真偽のほどは不明)、中学生だった私はぜひ読みたいと思い『黄土の奔流』をまずGet。耕文堂のカバーがかかっているので、こちらは池田で買えたらしい。

でも『夢なきものの掟』を池田で発見することはできず、何かの折に父と梅田に出た際(家族全員がいたのか、父と二人だけだったのか、はっきり覚えていない)、「ないかな」と一生懸命棚を探したのだった。

で、棚にはなかったのである。

それでがっかりしていたら、父が店員さんに「これこれこういう本を探してるんだが」と話してくれて、書庫だか棚の引き出しだかから見事『夢なきものの掟』が姿を現したという。

うわぁぁぁぁぁぁぁ、お父さんありがとうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!

何せいとけない中学生ですから、「自分で店員さんに聞いてみる」なんてことはできなかったんですよ。一人で行ってたんだったら、せっかく紀伊國屋まで行ってるのにすごすご帰ってきてた可能性が大。

『黄土の奔流』と『夢なきものの掟』は当時同じように『南京路』にハマっていたお友だち数人の間を回って、そのうちの一人が手作りの栞をはさんでくれてる。『悪魔の花嫁』のデイモスの絵柄の裏に、「長い間貸してもらってありがとう」って書いてある。

紙の本ならではだよねぇ。

絶対捨てられないよなぁ。

『絶句』の方は、紀伊國屋の棚に並んでるのを見て初めて「え、こんな本出てたの!」と知った本。何しろネットのない時代、好きな作家さんでも新刊がいつ出るのかなんてわかんないんです。

上巻が1983年の10月、下巻が1984年の1月に刊行されたらしい。たぶん、上下とも一緒に並んでいたんじゃないかなぁ。「印象深い」と言いながらその辺曖昧なんだけど、なんせ30年も昔のことだから。

私は中学3年ぐらいかな?

その時は家族全員で梅田に行ってたんだよね。紀伊國屋の後、お昼だか夕飯だかで三番街の料理屋さんに入ったから、そこは覚えてる。

料理を待つ間に早速買ったばかりの『絶句』を読み始めてた。

単行本だったから、「わ、素子さんの新しい本出てる!」と思ったものの自分のお財布では買えず、父に「お年玉で返すから」とか何とか泣きついて、買ってもらったのだった。

たぶん、返してないけど(笑)。

子どもの頃、私は「お小遣い」というのを親からもらっていなくて、お年玉と、祖父から「本でも買い」と渡されるお金(1000円ぐらいを、2か月に1ぺんくらいもらってた)でマンガや本を購入してた。

一緒に本屋に行って、「これが欲しい」と言えば、父はたいてい買ってくれたと思う。

小学生の頃は、よく「お土産」に「学研のひみつシリーズ」を買ってきてくれた。

父も本好きだったからなぁ。

父は歴史物が好きで、吉川英治全集とか山岡荘八の『徳川家康』(全26巻)とか持ってた。

残念ながら私はそういうものを読むように育たなかったのだけど、『白い巨塔』や『項羽と劉邦』は父の蔵書から読んだ。

高3の夏休みに「5冊ぐらいの推薦図書の中から選んで感想文を書く」という宿題が出て、「『項羽と劉邦』ならうちにあるな」と思って読んだのだ。

歴史物・時代物好きな父だったけど、「司馬遼太郎はあまり好きじゃない」と言っていた。だから他には司馬の本はほとんどなかったんじゃないかな。

もちろん私の蔵書を父が読むということもなかったんだけど、さっきの『夢なきものの掟』の続編である『総統奪取』は父も読んだと思う。「蒋介石を奪取せよ!」っていう「歴史物」だったから「これどう?読んでみる?」ってお薦めしてみたんだ。

『総統奪取』は1990年に出たみたいだから、私はもう大学生になってたな。その頃は父と西宮休場に行ったり宝塚に行ったり――前売りに一緒に並んでもらったりしてたもんね。ははは。

ありがとう、お父さん。
 

私の本棚から橋本治さんと内田樹さんを読みあさり、本好きなのに自分では本を買わずに大きくなってしまった息子ちゃんはさて、40歳や50歳になって、どんなふうに「子どもの頃読んだ本」のことを思い出すのか。

アホほど読み聞かせさせられた『プーさん』とか『ババール』とか、ちゃんと覚えててくれるんでしょうね……。