テレビシリーズとドラマスペシャルを見返したら、映画も見ずにはいられません。Huluの無料体験に登録して、2014年ゴールデンウィークの公開以来6年ぶりに『悪夢ちゃんThe夢ovie』を見返しました。



はぁぁぁ、面白かったぁ。

全体としてはやっぱり11話かけて彩未先生と結衣子ちゃんが変わっていくテレビ本編が至高だけど、映画もよくできてる。

テレビ本編とドラマスペシャルでは5年生だった悪夢ちゃんこと結衣子ちゃんも6年生に進級「大人になりつつある」様子がとてもうまく描かれてるんだよね。
「昔は嫌々だったのに最近は興味本位で夢のことを聞いてくる彩未先生」、「好きだった琴葉先生も最近はイラッとする」。
うんうん、琴葉先生のあの興味津々な出歯亀態度、これまでイラッとしなかったのがおかしいぐらいだよ(笑)。

悪夢のせいで人と関わるのが怖くてずっと内気で、彩未先生に頼ってばかりだった結衣子ちゃんが、クラスメイトにもしっかり口答えできるようになっちゃって。心の中で悪態をつくことに、「私の中に悪魔が」と戸惑ったりもしてる。

ほんとに大きくなって(感涙)。

夢の中で「少年夢王子」に「チューして」とせがんだり、その夢を誰にも覗かれたくなくて「見たら殺す!」とおじいちゃんを脅したり。
「知らない間に新しい歯ブラシに取り替えてあげたり、洗濯だって一緒にしてあげないから!」っていう脅し文句がリアルでたまらない。
そうだよね、古藤家は家政婦さんいなさそうだし、結衣子ちゃんもきっとたくさん家事してるんだよね。おじいちゃんのパンツと私の服一緒に洗うのヤダ!って、夢王子の件なくてもそろそろ言い出すよね(笑)。

彩未先生の夢王子が現実に志岐貴として現れたように、結衣子ちゃんの夢王子も転校生カンジ君として現実に現れる。
しかも結衣子ちゃんだけじゃなく、クラス全員が彼が来る前に彼の夢を見ていて。

途中、彩未先生に「あなた何者なの!?」と言われるカンジ君。演ずるはマリウス葉くんで、いやー、ほんとキャスティングうまいよね。他の子たちとは一線を画す少年夢王子、しかも悪い。心に闇を抱えている。

実は彼には6歳までの記憶がなくて、気がついたら今の父親に引き取られていて、自分は実の両親に捨てられたと思い込んでいる。佐藤隆太扮する今の父親はトラック運転手で家を空けがち、「また捨てられるのでは」という思いが彼の心を暗くする。

6年2組は5年生からの持ち上がりで、他の子はみんな結衣子ちゃんが「予知夢を見る女の子」だって知ってる。知ってて、でもそれを大人たちには秘密にしてて、でもカンジ君が「クラスメイト」になるなら……ってことで早々にそのことを話しちゃう。

ここで、「この秘密をネットやSNSでつぶやくのもダメ!」ってセリフをはるかぜちゃんに言わせてるのが何とも狙ってる(笑)。
予知夢を見る結衣子ちゃんと、それを受けとめ事件を解決してきた彩未先生、二人のおかげで私たちも「未来を変えるのは自分自身」なんだと学んだ、と子ども達は言う。

それに対してカンジ君はとっても冷笑的で、「自分の未来なんて自分で作れるわけがない」と反論する。
「親に捨てられた」「また捨てられるかも」と怯えている子どもが、明るい未来を思い描けるわけないよね。どんな家庭に生まれるか、子どもは自分で選べない。どんな家庭の、どんな親のもとに生まれるかで「子どもの未来」がずいぶん変わってしまうのは事実で、「努力さえすれば何でもできる」なんていうのは、子どもにとって酷でしかないことも多々ある。

「自分の未来は自分ではなく“周囲の人”によって変わるんだ」「だって子どもだから」っていう彼の無力感はよくわかって、でも、だからってあんな形で人を陥れてどーすんだ、とも思う。

うん、後半で明かされるカンジ君の過去もツラいんだけど、前半もなかなかエグいんだよねぇ。

カンジ君、「自分で未来を変えるだって?バカバカしい」ということを証明するために、クラスメイトをその家庭ごとぶっ潰そうとするんだもん……。

ドラマスペシャルの中で「家がケーキ屋さんだったけど潰れちゃった」と言っていたアオイちゃん。六角精児さん演じる元パティシエのお父さんは今、屋台で「ハム巻き」を売っている。パンケーキ生地に焼いたハムをはさんだ食べ物。
カンジ君はこのお父さんの屋台に目を付けて、他のクラスメイトを連れてくる。クラスの子たちはアオイちゃんのためにみんなで協力して屋台を盛り立て、チラシを作ったりお客さんを呼び込んだり、果ては貸店舗まで見つけてきて、「ここで営業しなよ!」とまでお膳立てする。

ここの描写がなー、またすごいんだ。

いくら友だちでも、「ほら、ここでお店やりなよ」って斡旋してきたらちょっと引くよね? 大人でも、頼んでもないのに「ここでカフェを」って勝手に店舗探されたらびっくりする。アオイちゃんも「え……」ってなるんだけど、そこでまたクラスメイト達、「私たちの努力を無駄にするつもり!?」って迫ってくるんだもん。

まさに「善意の押し売り」、一番たちの悪いやつ。

結果的に店は繁盛するんだけど、カンジ君が手伝うふりして腐った牛乳混ぜて客に食中毒を起こさせ、あっけなく保健所の手入れが入ってジ・エンド。アオイちゃんのお父さんは橋から身を投げ……。

単に誰かを不幸にするだけじゃなく、「持ち上げといて落とす」ところがすごいよね、カンジ君。身投げしたお父さんは彩未先生達のおかげで一命を取り留めるとはいえ、食中毒でお客さん死んでたかもしれないし、いくら家庭環境が可哀想な子どもでも、ちょっと極悪すぎる。

結衣子ちゃんの悪夢ではパンケーキにネズミや巨大怪鳥の糞がボタボタと落ちてきて、映像的にもかなりヤバい。映画館の大きいスクリーンを駆け回るネズミたち、「うわぁ」って思ったもんなぁ。

この映画がテレビで放送されなかったの、やっぱり色々ショッキングだからだよね……。

でもカンジ君の策略はともかく、「良かれと思って積極的に協力した」子ども達は責められるべきなのか?っていうここのテーマ、深い。
それは「人のため」なのか、それとも「自分の欲望のため」なのか。どこまでがお節介で、どこまでが「有用な支援」なのか。お店まで用意してくる子ども達はやっぱりやり過ぎだったと思うし、「私たちがアオイちゃん達家族を幸せにしてやる!彼女の未来を変えてやる!」っていうのは、彩未先生の言うとおり一種の「支配欲」だと思うけど、「どんなに頑張っても一番最後の結果だけでしか評価されないなら、努力なんかする気なくす」「じゃあ何もしない方が良かったんですか?」と反論されると――。

「じゃあ私たちはどうすれば良かったんですか?」

どうすれば良かったんだろう?
ここで彩未先生に叱られた子ども達は、後半で再び「私たちはどうすればいいのか」と考える。

カンジ君と結衣子ちゃんが登校してこなかった日、2人に何かあったと感じたクラスメイトたち(実はまたみんな“夢”を見てた)、自分たちで考えて、自分たちの意志で、「空気を読んで周りに合わせた」のじゃなく、それぞれが「2人を見つけなきゃ」と思って、捜しに行く。

テレビ本編で、子ども達の色々な問題を解決し、手助けするのは彩未先生だった。
でもこの映画では彩未先生はどっちかというと裏方で、哀しい過去を持つカンジ君の心を救うのは、結衣子ちゃんとクラスのみんななんだ。

カンジ君、6歳の時に人を殺しちゃってるんだよね。
もともと母子家庭だったところにDV男が入り込んで、お母さんがその男にひどい扱いを受けてるのに耐えかねて、男を刺してしまう。その事件のショックで、カンジ君はそれ以前の記憶を――お母さんの記憶すらなくしてしまった。

思い出さない方が幸せな記憶。
思い出したら、「人殺しの自分が生きていていいのか」「こんな自分に居場所はあるのか」ってなるのは自然な心理。
たとえお母さんが「あなたは悪くない」と言ってくれても……。

子どもだから、未来は変えられない。
変えるためには、DV男をやっつけるしかなかった。他の誰も、助けてくれなかったんだから。
そしてそのことでまた、未来が閉ざされる。

傷心のカンジ君に、結衣子ちゃんは訴える。
「カンジ君の悪夢は私が受けとめるから、だから一緒に未来を切り開いていこう」と。
彩未先生に教わったこと、彩未先生が自分にしてくれたことを、今度は結衣子ちゃんが
結衣子ちゃんだけじゃなく、他のクラスメイト達も、「私たちがいるよ!受けとめるよ!」と手を挙げてくれる。

クラス全員が行方をくらました時、保護者の皆さんは「うちの子はそんなに大人じゃない」って言うんだけど――きっと私も同じ立場に置かれたら「先生何言ってるんですか!うちの子に何かあったらどうしてくれるんですか!!!」とヒステリー起こしちゃうと思うけど、でも。

子どもは子どもなりに、考えてるんだよね。
考えて、悩んで、大人が思う以上に傷ついて。

前半の事件で「おまえらのはただの欲望だ!」って叱った彩未先生、後半の子ども達の行動を見て、「欲望じゃなかった、彼らには人の繋がりが見えてた」みたいなことを言って反省するんだけど、でもあそこで彩未先生に一回叱られたからこそ、「じゃあ私たちはどうしたら良かったんですか?」と考えたからこそ、後半の行動に繋がったんじゃないかな。

大人と子どもが互いに影響を与え合い、学び合って、映画全体のメッセージとしては「子ども達を信じよう」になってる。

いい作品だよね。

前半も後半も、ほんとにキツいお話だけど。
カンジ君、6歳の頃の殺人よりもむしろ、前半の「腐った牛乳混入事件」でしょっ引かれるべきだよね……。

最後、カンジ君を連れて行く刑事はテレビ本編にも登場していた田中哲司さん。保護者の皆さんが学校に乗り込んでくるシーンではちゃんと森尾由美や雛形あきこという「テレビ本編でのお母さん」キャストが勢揃いしてて嬉しい。あの「引きこもりオタク」のお兄ちゃんも登場、今回もいい仕事するんだよなぁ。

前半の「ハム巻き」屋台の宣伝映像にはちゃっかり福くんも出演してるし、テレビシリーズを見ていた人間への心遣いが行き届いてる。
「わんぱくでもいい、たくましく…」の丸大ハムCMは私世代には超懐かしいし。ちゃんとクレジットに「丸大ハムの歌」って出てるのを今回見返して確認した。ふふっ。

小ネタ系では冒頭、教室に貼ってあるみんなの毛筆課題が「TPPよりTPO」とか「無駄な続編は作らない」とかですごく楽しい。結衣子ちゃんは「人の目を見て話す」って書いてるから、本来「自分のがんばりたいこと」を書く課題っぽいのに、「私の兄が世界を救う」みたいなのもあった。オタクお兄ちゃんのことか!?
「無駄な続編を作らない」は何度も映し出されてたけど、大丈夫、すごく意義のある続編だよ、これは。

丸大ハムの「わんぱくでもいい~」のパロディで彩未先生が「淡泊でもいい。大人しく育ってほしい」とかって岡田さん(彩未先生の同僚、ますだおかだの岡田さん)に言ったのもウケた。
岡田さんが「スクリーンの前が冷えてる」って言うと映画館風景になるシーンも楽しい。本筋がヘヴィなだけに、こういうネタがちょこちょこ差し挟まれるのいいよね。いいバランス。

最初の悪夢ちゃんの夢で、彩未先生首チョンパになってるのに「悪い女王様」っぽくてどこかユーモラスだし、少年夢王子にあっさりやられる夢王子を見て彩未先生が「弱っ!」って言うのもいい。

元祖夢王子・志岐さんはすっかり結衣子ちゃんの「お父さん」になってた。
テレビ本編の最後で「ここにお父さんが来る」って言って、口元までしか映らなかった志岐さん。でもそもそもあれは結衣子ちゃんの夢で、現実ではなかった。
結衣子ちゃんの母親と志岐さんに接点はあって、視聴者も、そして彩未先生も「もしかして?」とは思ったけど、ドラマスペシャルでも映画でも、はっきりとは言及されない。

まぁ映画では結衣子ちゃん、志岐さんのこと思いっきり「お父さん!」って呼んでるんだけど。そして古藤教授が「そいつをお父さんなんて呼ぶな!」って怒ってる。
志岐さんは肯定も否定もせず、結衣子ちゃんが「お父さん」と呼ぶのを止めもせず、すごく自然に「お父さん」の立場になってる。
「今まで通り悪夢ちゃんを守らなきゃ!」と思うあまり視野が狭くなってる彩未先生や古藤教授をいさめて、結衣子ちゃんの自立を温かく見守り、いい感じに助け船を出して支えてる。

志岐さんってテレビ本編でも子どもの心理に詳しかったし、こういうふうに複数の大人が違う視点で子どもを見守るの、すごくいいよね。

「あの子は去年までの君と同じ」とか、彩未先生のこともカンジ君のこともお見通しでなー、志岐さん。ほんと、GACKTさんがドラマでやった役で一番好きだわ。

あと、今回テレビからずっと通して見て、カンジ君の今の父親「コウ君」のエピソードがちゃんとテレビ本編で言及されていて……っていうか、あれをうまいこと使って映画のお話を膨らませたんだろうけど、スタッフ陣の手腕が素晴らしい。

彩未先生が子どもの頃に見た「予知夢」、コウ君自身ではなく、コウ君が大人になってから遭遇する事件を予知していた。
自分が学校の先生になって、その時古藤教授の娘はもういなくて、でも“その家族”が生徒として教室にいる、という夢まで見てた彩未ちゃん。

いくら何でも先の先まで夢見すぎじゃね!?
誰の無意識と繋がってんの!?

と思うけれども。
悪夢ちゃんが見る予知夢は「直近の未来」だったのにね。

最後に琴葉先生が口にする、「学校は幻想が作った現実」という台詞も秀逸。
この社会を動かす「制度」は実のところほぼフィクション。中でも学校というのは外の世界から切り離された、「フィクション」感が強い場所。でもそこは子ども達にとって「現実」で、ほとんどの子ども達にとって学校こそが「日常」、「生き抜いていかなければならない現実」。

生徒と教師、生徒と生徒。生徒と保護者、保護者と教師。
お互いに影響を与え合って、お互いから学んで、時に間違うことがあっても、赦し、反省し、より良い未来へと進んでいく。

「人間の未来はいいことばかりじゃない。でもどんなに悪い現実の中でも、人はいい夢を見ることができる。だから、一緒に未来を作っていこう」

彩未先生に教わって、今度は結衣子ちゃんがカンジ君に向かって言うこの台詞、本当に、本当に良い。これを結衣子ちゃんが言うのがたまらないよね(思いだしただけで泣く)。

あの子たちの未来はまだ、始まったばかりだ――。

(「サラバ愛しき悲しみたちよ」の歌詞に繋がってるのがまた素晴らしい。はぁ~、いい映画だった)