(※以下ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意下さい)
(※原作未読の人間の勝手な感想です。台詞もうろ覚え、思い違い等多々あると思いますがどうかご容赦を)

空前の大ヒットとなっている映画『鬼滅の刃』、公開11日目となる10月26日に鑑賞してきました。
11日目、月曜の昼間、しかももともとの人口が多いわけではない田舎の映画館でもそこそこお客さんが入っていて、すごいなぁ、さすがだなぁ、と感心することしきり。

11日目平日にもかかわらず1日10回以上上映されてて、お客さんそれなりに分散するだろうと思うのに、いつもより混んでるぐらいで、ほんとにねぇ。
『トッキュウジャーvsキョウリュウジャー』の時なんか、客は私だけ、完全貸切状態だったのに。

テレビシリーズの最後で「映画に続く」となった時は、「映画までは観なくていいか」と思ってたんですよ。それなりに楽しんで観てたけど、炭治郎がいい子すぎて、心の歪んだおばちゃんとしてはあんまり感情移入できなかったから、「映画までは」と。

それに、映画公開を控えたここ数か月、右を向いても左を向いても「鬼滅」「鬼滅」。仮面ライダーを見ていても出てくる「日輪刀DX」CM。世間の鬼滅推し(というか“骨までしゃぶる”感じ)が凄すぎて、天の邪鬼な私は一層「乗せられねーぞ!」と思っていたんですが。

無理でした。
「せっかくだから見ておけ、話の種だ」という気持ちに天の邪鬼が押し切られました。

結果、観てよかったです。
映画館を出る頃には「煉獄さぁーーーん!」ってなってたし、何ならもう1回観てもいいか、ぐらいな(笑)。

(グッズ等ほぼ売り切れでCDしか売ってなかった。煉獄さんが投げ売りされてるみたいだ…)

でも観るよね、煉獄さんファンの人ならきっと3回は観るでしょ?
あの見事な闘いっぷり、天晴れな生き様を目に焼きつけたくなる。

テレビシリーズ終盤で柱の人たちが出てきた時は「柱の人、みんなめんどくさっ!」って思ったし、この映画でも序盤は煉獄さん、お笑い要員で、「うまい!うまい!!うまい!!!」も、「そしてどこ見てるんですか!」という炭治郎のツッコミにも、くすりとさせられてたのに。

最後はすっかり泣かされちゃって。

原作は読んでないけど、流れてくる映画の感想の断片を見て、「煉獄さんきっと死んじゃうんだな」と予想はしてたんです。でも無限列車に取り憑いた鬼、下弦の壱である魘夢は炭治郎と伊之助の見事な連携により倒されてしまって、「あれ?無事鬼を倒しちゃったじゃん」と思っていたら。

まさかの上弦の参参戦。
ええええ、そんな。魘夢はただの前座だったの……。

というわけでまずは魘夢との闘い。
無限列車に先に乗り込んでいた煉獄さんと合流した炭治郎、善逸、伊之助。「速い速い!」と汽車のスピードに大興奮の伊之助、いつも通りイノシシの頭かぶったままなんだけど、他の乗客さん達にじろじろ見られることもなく(笑)。

切符切りに来た車掌さんに不審がられることもなく。

しかしこの車掌さんが曲者。魘夢の手先として使われていて、切符を切ることで術が発動、煉獄さんも炭治郎たちも眠りに落ちてしまう。そして、これまた魘夢の手先の子ども達がそれぞれの夢に入り込み、夢の外側、無意識の世界にある“精神の核”を壊そうとする。

この設定、面白かったな。
無意識と繋がっている夢世界。無意識の中にこそ存在する、その人の“核”。
どんなに凄腕の剣士でも、“心”を壊されたら使い物にならない。そして人の心は弱く、脆い。――魘夢のこの考え方もなるほどだし。

魘夢が見せるのは“幸せな夢”。ずっとそこにいたいと思わせる(つまり目覚めたくないと思わせる)夢。
炭治郎が見るのはもちろん家族の夢で……。
生きている弟妹、生きている母。
最初「おまえたち!生きてたのか!」みたいに抱きついていくので、最初は「彼らが死んでしまったこと」を意識しているはずなんだけど、家族との温かい時間を過ごすうちにだんだん夢に馴染んでしまう炭治郎。
でも時々ふと禰豆子のことで「あれ?」と違和感を抱くんだよね。
そんで禰豆子、夢ではなかなか出てこないの。鬼になった禰豆子だけは“幸せな夢”にも出てこないのか、禰豆子がいないことで炭治郎は“これは夢だ”と気づくのか、と思っていたら。

ちゃんと鬼じゃない、人間の禰豆子も出てきた。
出てきたけど、炭治郎はやっぱり“これは夢だ”と気づく。気づいて、断腸の思いで家族のもとを去る。「どんなにつらくても、悲しくても、もう戻れないんだ」
いやぁ、すごいよね、炭治郎のこの精神力。
つらい現実から逃げずに、前へ進む胆力

一方で、炭治郎の夢に入り込み“精神の核”を探す少年は炭治郎の無意識界のあまりの美しさ、穏やかさ、温かさに毒気を抜かれてしまって。

炭治郎、どこまで“いい子”なの。なんでそんな完全無欠に心が美しいの……そんな人間が存在していいものなの……。

あ、そうだ、現実世界では禰豆子が懸命に炭治郎を起こそうとしてるんだよね。なんとかして起こそうと炭治郎に頭突きして、禰豆子の方の額が割れて血が出て、その血の匂いで夢の中の炭治郎、「早く目覚めなきゃ!」ってなる。

おでこから血が出て「ふわーん(痛い)」と泣き出す(泣いてたよね?すでに記憶曖昧だけど)禰豆子可愛い。

夢の中で父親にヒントをもらった
炭治郎は「そうか、夢の中の死は現実の生」と気づいて「斬るべきは自らの首」と自刃。
あー、これがPG12かぁー、と思うシーン。
その後の魘夢との直接対決でも何度も眠りの術にかけられ、そのたび夢の中で自らの首をかっ斬るシーンがフラッシュで流れて、これは確かに単なるスプラッタシーンよりもキツいなと。

で、炭治郎の“幸せな夢”は家族との団欒なんだけども、伊之助の夢はというと炭治郎たちを子分にして洞窟(?)探検してるもので。
無意識界も洞窟というか森というか。伊之助の“精神の核”を探す少女はひたすら岩登りみたいなことをさせられてる。

そして善逸。
善逸の夢はもちろん「禰豆子ちゃんとラブラブデート」なんだけど、怖いのが善逸の無意識。善逸の無意識界、真っ暗なんだよ。なにもない、
善逸、君の無意識はいったい。
しかも「なんで男がいるんだ!ここには女の子しか入っちゃいけないんだぞ!」と大きなハサミを持って夢に入り込んだ少年を追いかけ回すという……。
「無意識界になんで本人がいるんだ!」っていう。

善逸って意識をなくした時に別人格出て強くなるから、善逸の無意識にはその別人格がいそうな気もするけど、どういう精神構造になってるんだろうな。

で、煉獄さんの夢なんだけど。
あれ、“幸せな夢”なのかな???
過去に実際にあったことを夢で振り返ってるみたいな感じだったけど。
柱になったことを父に報告するも、父は「柱なんかになってもどうにもならん」と背を向けたまま。かつては自らも柱だったらしい煉獄さんの父はある時を境に人が変わってしまって、無気力な日々を過ごしているらしい。

父に認められなくても、弟には優しく接し、「おまえには兄がいる」と説く煉獄さん。
そーかー、煉獄さんもいいお兄ちゃん、長男様なのかー。
しかし煉獄一家、全員髪の色と髪型がおんなじで、お母さんの血はどこに……。

煉獄さんにとって、たとえ父親が背を向けたまま、「よくやった」とも「がんばれ」とも言ってくれなくても、父がいて弟がいる世界は“幸せな夢”なのかな。
「うまい!うまい!!うまい!!!」の人とは思えないせつない胸の裡――というか、だからこその明るさというかあのキャラなのかなぁ。

夢に入り込んだ少女が見る煉獄さんの無意識は、荒涼とした中にいたるところ火が燃えていて、その精神の核も赤くて、少女をして「赤いのは初めて見た」と言わしめる。
なんか、実は満たされない思いや怒りで火が燃えてて、この後闇落ちするのか……とちょっと思ったんだけど、全然そういう展開ではなかった。

無意識界に燃えさかる炎はそのまま、たぎる正義の火だったんだよなぁ。

ともあれ炭治郎、煉獄さん、伊之助は“夢”から覚めて、汽車と一体化して200人の乗客を喰らおうとする魘夢に立ち向かう。
この、「汽車と一体化してうごめき、人を襲う魘夢の増殖細胞」もPG12だったなぁ。生理的にかなり気持ち悪い。
目がたくさん付いてるやつは例の大阪万博のロゴっぽかった。

禰豆子も乗客を守るため戦ってて、増殖細胞に手足を絡め取られ大ピンチ!の時に現れるのはもちろん「禰豆子ちゃんは俺が守る!」の善逸です。
善逸は「まだ魘夢の術が解けきってない」んだけど、普段から「意識をなくさないと雷の剣士になれない」仕様だから、むしろ眠ってる方が強い。

テレビシリーズでは善逸が戦ってるとこ、炭治郎は確かまだ見たことなかったと思うし、映画でも炭治郎は目撃してないんだけど、愛しい禰豆子には格好いいところ見せられてよかったなぁ、と思いました。
炭治郎、伊之助、善逸の中では、普段はヘタレな善逸が一番感情移入できる。善逸には幸せになってほしい。

煉獄さんが一人で5両守り、禰豆子と善逸で1両(だったかな)守っている間に、炭治郎と伊之助は見事な連携で魘夢を斃す。
途中、何度も夢の中で自刃しては現実に戻ってくる炭治郎、現実で首斬りそうになって、伊之助に「つまんねぇ死に方すんじゃねぇ!」って止められるとこ、良かったなぁ。伊之助も格好いいじゃん。

汽車は脱線し横転して、でも煉獄さんが被害を最小限に食い止めて、「誰も死なせなかった」になったところで。

突然の上弦の参。
猗窩座登場。

魘夢が事切れる時に「どうしても上弦には叶わないのか」とか言ってたのがまさか布石だったとは。

よくわかんないけど猗窩座は煉獄さんのスカウトに来たらしい。「鬼になれ。鬼となって互いに腕を磨こう」と。なんてったって鬼は死なないし、斬られてもすぐ治るし、人間ではとても到達できない究極の強さを手に入れることができる。
猗窩座の声が石田彰さんということもあり、「鬼になれ」の誘惑、大変魅力的なんですけども。

だが断る!

煉獄さんは即答で断るんだなぁ。
しだいに追い詰められ、「このままでは死ぬぞ!鬼になれ!」と言われても、頑としてうべなわない。
人は死ぬ。人の命はあまりに儚く、その心は脆いけれど、だからこそ人は美しく、愛しいもの。

致命傷を負っても、「逃がさぬ!」とその刃は猗窩座の首を捉え。

途中、煉獄さんの子どもの頃の回想が差し挟まれて。余命いくばくもない美しいお母さんが、剣士としての才能あふれる息子にノーブレス・オブリージュを説く。
「その強さは、弱いものを守るためにあるのです」みたいなことを。
そんで、子どもの煉獄さんが、「はい、母上!」って誓いを立てると、優しく抱きしめて、「おまえのような強く優しい子の母となれて幸せです」と言ってくれる。

あー、こんな記憶があるから、そのぬくもりを知ってるから、煉獄さんは最後までずっと“強い人”でいられたんだなぁ。

炭治郎も、魘夢に悪夢を見せられた時に、「俺の家族がそんなこと言うわけないだろ!俺の家族を侮辱するな!!!」つって、すぐ悪夢を断ち切っちゃうんだけど、美しく強い心を持つにはやはり清く正しく愛情深い家族が必要なんでしょうかね……。

(少年煉獄さんが母上に抱きしめられてるシーンで、「シャアにはこれがなかったからグレたんだよな」と思ったりしました。父ちゃんがひどくて、母ちゃんをとても大事に思ってるのに、だからこそシャアは母ちゃんに甘えられなくて、一緒にいられる最後の夜にも、抱きしめてもらうことができなくて)

しかし壮絶というか……ツラい。
煉獄さんと猗窩座の闘いは異次元すぎてとうてい炭治郎も伊之助も手を出せない(しかも炭治郎は手負い)んだけど、夜明けが近づいてきて、煉獄さんが執念で猗窩座を捕らえて、伊之助も動いて、「なんとか!なんとか!!倒せるのでは!!!」という視聴者の願いむなしく。

うぉぉぉぉぉぉぉ、駄目なのかぁ、無理なのかぁ。
逃げるなぁ、卑怯者ぉぉぉぉぉぉ!

炭治郎、鬼に「卑怯」言うてもしゃあないやん、って最初は思ったんだけど、「俺たちはおまえ達に有利な夜の闇の中で戦ってるんだ、生身で、切られた腕も元には戻らないで、なのに、逃げるなぁぁぁ」って、いやぁ、そうだよね、うん、人間ハンデありすぎる
「煉獄さんの勝ちだ!煉獄さんの勝ちだぁぁぁぁぁ!!!」

心がきれいすぎる炭治郎がどうにも苦手な私だけれども、最後にこんなふうに叫んでくれる後輩がいて、やっぱり、煉獄さんも嬉しかったんじゃないかな……。

煉獄さんが自らの死を悟って、「話せるうちに」と遺してくれる言葉がまた、いちいち尊い。
「俺がここで死ぬことは気にするな。若いものを守る盾になるのが大人の務めだ」みたいな。……理想の上司No.1すぎるじゃないですか、煉獄さん。禰豆子のことも認めてくれ、ヒノカミ神楽について問うた炭治郎のこともちゃんと心に留めていてくれて。
冒頭で「知らん!この話はこれで終わりだ!」つった時はなんとサバサバしたお方かと思ったのに。

父には「体に気をつけて」、弟には「好きな道を行け」と言い残し、母の微笑む顔を見て安堵して死んでいく。あそこでお母さんの幻が見えるのはやりすぎというかあざといぞ、と思わないこともないけど、でも200人の乗客も、後輩3人も、誰も死なせず守り切ったことへのご褒美があっていい。

煉獄さんだってまだそんな年でもない、親のすねかじってておかしくないぐらい若いんだもんね(ググったら20歳らしい。死ぬには早すぎる年齢だよ……)。

後半の怒濤のバトル、アクションの見せ方すごいし、善逸の“幸せな夢”や「うまい!」など笑えるところもあって、全体のバランスがすごく良いなと感じたし、映像も非常にきれいで(炭治郎の無意識界の美しさといったら)、音楽も、キャストの皆さんの熱演もすばらしく。

とても丁寧に作られた作品だと思いました。

あと猗窩座が煉獄さんを「杏寿郎」と名前で呼ぶの面白かった。「杏寿郎杏寿郎」ってめっちゃ呼んでたよね。 私たちの心にその名を刻み込むため、連呼してくれたのか……。

(サントラは単体では売ってなくてBlu-ray&DVDの特典なのだそうな。映画の劇伴と合わせてサントラだけのCD集出ないかしらん)