(※「エッダ」部分に関する記事はこちら

はい、本題です。『グレティルのサガ』の方です。
『少年少女世界文学全集』第3巻所収の『剛勇グレティル物語』の元ネタ。

いや、「元ネタ」というのは違うかな。文学全集の方が「抄訳」だっただけで、こちらはおおむね「全訳」
「おおむね」というのは、後世付け足されたとみられる部分は省いて、「本来のサガと見られる部分だけを訳出した」と解説にあるからです。

主人公グレティルは実在の人物
996年に生まれ、当代随一の豪傑とうわさされるも、1031年35歳の若さで殺されてしまったのだとか。細かい生没年がわかっているの、すごいですね。

現存する写本は15世紀のものだけれども、「サガ」自体は1300年頃に成立していたそうです。アイスランド人の間で大変に愛好され、色々な伝説を飲み込んで膨れあがった――ので、このちくま文庫版では、「もともとの部分」だけを訳されたと。

文学全集の方は少年少女向けということもあり、頁の都合もあってきっとかなり端折られていたのだろう、と思っていたのですが。
今回これを読んでみると、意外にも省かれた部分は少なかったようです。分量的にも、お話の正確さ的にも、文学全集版すごく「しっかり」してた。

とはいえ、冒頭部分の「グレティルの祖先の話」は文学全集版ではがっつりカット。
ちくま文庫版では最初の12節、30頁ほどが「祖先の話」で、「グレティルいつ出てくるの~」と思ってしまいました。「祖父の事績から説き起こす」のはサガのお約束なのだそう。

13節目でやっと出て来るグレティル、本当に悪童です。
がちょうの番をさせればがちょうを全部殺す、父親の背中をこすらせれば(温めるため)羊毛を梳くゴツい櫛でガリガリやる、馬の番をさせれば馬の背の皮をはぐ。

おかげで父親とは反りが合わないんだけど、いや、これ、お父さんよく勘当とかしないでとりあえず養ってたよね。偉い。

グレティルは殺人の罪で追放処分になるんだけれども、その別れ際、

そこで父と子は他人のように別れた。無事な航海を願う者は多かったが、帰って来いよと言葉をかける者は少なかった。 (P178)

と。お父さんだけじゃなく近隣の者からも「帰ってこいよ」とは思われてない、ちょっと困った奴グレティル。
でも母アースディースは彼のことを可愛がっていて、旅立つグレティルに祖父の代から伝わる名剣を渡してくれます。

そして始まる冒険譚。
最後の方に「グレティルが追放されてから19年」と書いてあるので、この時グレティルはまだ16歳ぐらい。この最初の「追放」は「3年」という期限だったのだけど、その後色々ありすぎて、結局故郷には落ち着けない人生を送るのです。

まずいきなり乗り込んだ船が難破。助けてもらった家で名うてのならず者達を退治して豪傑として有名になり、熊退治でも活躍。ビヨルンという男をも退治したらその兄弟から「仇」として狙われるまくるも、すべて返り討ち。

身内が殺されたら賠償金をもらうか命をもらうか、二者択一みたいなところがすごいです。グレィルは決して善人ではないし短気な乱暴者だけど、でも時代背景的に「命のやり取りは当たり前」な感じなので、グレティルだけが突出して人を殺しているわけではない。

後半、グレティルは父親の悪口を言ったトルビエルンを一刀両断にしてしまうんですが、決して仲が良かったとは言えない父親でも「親は親」だったんだなぁ、と思います(まぁトルビエルンはグレティル本人の悪口も言ってたんですが)。

そしてこの時、周囲の人間は「トルビエルンの死を別に残念とも思わなかった。トルビエルンは喧嘩と嘲笑の好きな男だったからである」(P258)なんですよね。やっぱりこう、倫理観が現代とはだいぶ違う。

追放されながらもあちこちで勇名を馳せるグレティル、悪霊グラームとの戦いで運命が変わってしまいます。討ち果たすものの呪われてしまう。

「お前は、もしおれに会わなければ本来得られたはずの力の半ばを失ったのだ。(中略)だがな、お前が今より強くならないように呪ってやるぞ。(中略)だがこれからは、殺人と追放がお前の業になろう。することなすことがお前の災いとなろう。(中略)その上、このおれの目がいつもお前の目の前にちらつくようにしてやる。」 (P252)

その後のグレティルは運に見放されたようになり、しかも「グラームの目が常にちらつく」ので精神的にも落ち着かなくなる。

自分の気持ちはちっとも晴れない、前よりも心の落ちつきがなくなった、どんな侮辱をうけてもすぐにかっとするとグレティルは答えた。この時から彼はひどく人が変わって、暗闇を怖がるようになり、暗くなると一人で表へ出るのをいやがった。おまけにいろいろな幻影にも襲われはじめた。 (P254)

文学全集版では省かれていた「グラーム」の正体がこちらでは細かく書かれています。もとは羊飼いで、彼自身も「化け物」に斃された身の上。死後「悪霊」となって復活し、近隣のものを悩ませまくっていたのです。

クリスマスのミサに出席せず、吹雪の中で化け物と戦い、帰らなかったグラーム。
グラームと化け物との戦いの直接の記述はなく、「事後」だけで何があったかを表現しているところが見事で面白い。
もともとキリスト教を毛嫌いしていたグラームの遺体は教会堂に運ぶことができず(坊さんが来ると消えてしまったそう)、その場に塚を作って葬られ、ほどなく化けて出るように。

なにしろその姿を目にしたものは気絶するか気違いになってしまうのである。 (P243)

周囲の土地はもう住む人もなく、無人の荒野になる寸前。これ、もしグレティルがグラームを退治してやらなかったらどうなってたんだろう? 近隣住民からどれだけ感謝されても足りないぐらいだと思うのに、結果呪われて運に見放されるグレティル、ちょっと(だいぶ)可哀想。

「運と勇気は別物」「化け物より人間を相手にした方がいい」と出発前に忠告されていたにもかかわらず、グレティルは慢心からグラーム退治に乗り出してしまった。
どんな悪霊だろうと自分にかかればたいしたことはない。自分の力を思うさま試したい――。

もしもグレティルが「人々を救いたい」という“正しい”心根でやってきた勇者だったら、呪われることなく無事に“英雄”になれたのかなぁ。

その後のグレティルはグラームの言葉通り、「やることなすこと裏目に出る」。冤罪で告発され、せっかく巡ってきた冤罪を晴らす機会もふいにされ。

ノルウェーの王オーラーヴに嘆息されるグレティル。

「力と勇気の点でお前に比肩する男はたしかにそうはいない。それはわかっておる。しかしお前は大きな不運の星をもつ人間なのだ。われわれとともに暮らすことはできない」 (P265)

「だがお前は自分の短気で神の審判を無効にしてしまった。この事件についてお前はこれ以上どうすることもできない。厄を背負って生まれて来た人間があるとしたら、お前がまずそれだのう」
 (P265)

「短気なのが悪い」はそうなんだけど、グレティルに短気を起こさせた若者(ヤジを飛ばしてグレティルに殴り倒される)はどこの誰なのかわからなくて、倒れたあとの行方もわからず、「ほとんどの者が、これはグレティルを破滅させるためにつかわされた悪霊だとうわさした」(P264)だったりするのです。

げに恐るべきグラームの呪い(´・ω・`)

文学全集版ではかなり駆け足だったその後の顛末、ちくま文庫版ではグレティルが兄アトリの仇を討ったり、年の離れた弟イルギと2人でとある島に渡ったり、詳しく描かれています。

中でも印象に残ったのが異母兄トルステインとの一コマ
短気で乱暴で付き合いにくい男とはいえ、グレティルも人の子なんだなぁ、と思わされます。そして一緒に育ったわけでもないのに歓待して「おまえの仇を取るのはこの俺」と言う兄ちゃん優しい

グレティルの腕の太さ、見事さに感嘆しつつ、「剛力よりも幸運の方が良かった」と言うトルステイン。

(トルステイン)「だがもっと貧弱でも、幸運をもって来る腕だったほうが良いにと思うがな」
(グレティル)「誰も自分で自分を作るわけにはゆかないんだ。兄さんの腕を見せてくれないか」
(トルステインの腕が細く弱々しいのを見て笑うグレティル)
(トルステイン)「しかしな、憶えておけよ。お前の仇を討ってやるのは、おそらくこのやせ腕なのだぞ。それでなければお前は永遠に復讐してはもらえないことになる」 (P268)

二人は別れを惜しんだが、以後生きて会うことはなかったのである。 (P269)

トルステイン兄ちゃん、この時の会話通り、ちゃんとグレティルの仇を取ってくれるんだもんなぁ。ほんとに、生涯で一緒に過ごした時間、たいしてなかったのに。

こういう兄弟のやりとりを見るとほっこりするけど、その後漂泊のグレティルは生きるために近隣の小農から色々召し上げて反撃にあったり、とある屋敷を襲って羊6頭を強奪したり、あまり擁護できる暮らしをしてくれない。

その首には賞金がかけられ、弟イルギと移り住んだ島ではそこで放牧されている羊を勝手に自分のものにして大いに反感を買い、しまいには魔術を使って殺されるグレティル。

この「魔術」についても具体的な描写がされていて、非常に面白かったです。
魔術の手順が興味深いのはもちろん、その「立ち位置」が。
すでに北欧はキリスト教世界になっていて、古い「魔術」は異端なんですよね。

グレティルを討って名前を上げよう、賞金も手にしようと考える釣り針のトルビエルン。その養母が「魔女」なんですが。

非常な高齢で、もう何の役にも立たないと思われていたが、その若いころ、人々がまだ異教徒だった時代には、魔法に通じ、たいしたもの識りであった。(中略)キリスト教が国教になってはいたが、異教のなごりはまだ各所に見られたのである。ひそかに犠牲をささげたり、その他の異教の業を行ったりすることは、別に法で禁じられてもいなかったが、公然にするとなると追放刑の対象になった。要するに多くの人々にとって、手は慣れたことをやりたがるし、むかし習ったことがいちばん良い、というような塩梅だったのである。 (P334)

異端だけれどもまだまだ存在していて、実際にその「魔女」の魔術は効果抜群、十分用心していたにもかかわらずグレティルは「魔術」によって怪我を負い、その怪我がもとで命を落とすのです。

片方の脚がほぼ腿まで腐っているという状態でも、トルビエルン達の襲撃に一矢は報いたグレティル(2人ぐらい斃している)。力尽きて死んでしまうとはいえ天晴れな彼の首を、トルビエルンは斬り落とします。彼が掴んで離さない名剣を手に入れるため、手首から斬り落とすことまでして。

年若い(まだ十代)弟イルギも兄に負けない奮戦を見せますが、結局は殺されてしまう。「おとなしくして誰にも復讐しないというなら助けてやろう」と言われ、「死んだ方がましだ!」と答えて首をはねられるのです。

「お前も婆あも、この件を裁くことはできないのだ。兄を殺したのはお前らの魔法だからな。それにこの呪術に加えて、死にかけた者に刃を向けるという非行をも犯しているのだ」 (P350)

というイルギの言葉通り、トルビエルンは賞金ももらえず、死んだ仲間の賠償金も取れず、国外追放になってしまいます。「ざまあみろ」というか何というか、この辺の「何が正義か」というの、面白いですね。

トルビエルンの目論見がはずれたのは、グレティルの母アースディースの人望によるところも大きい。

アースディースは非常に人望があったので、中フィヨルドの全住人が、以前グレティルの敵であった者まで含めて応援に馳せ参じた。 (P353)

持つべき者は立派な母ちゃん、というところですが、このアースディースさん、目の前に息子(グレティル)の首級を突きつけられても動じず、

グレティルが丈夫だったなら
狐に追われる山羊のように
お前たち豚ざむらいは
尻に帆あげて逃げ出して
海につき落とされていたろうよ。
北の土地ではなんとまあ
恥ずかしい真似をしてくれたこと。
この歌は誉めているのではないのだよ。
 (P354)

と歌で返すのです。すごいなぁ、カッケー。
追放されて長いグレティルはともかく、まだ10代だった末息子イルギまで殺されて、母親としては「悲しい」どころではなかったでしょうに。

夫はすでに亡くなり、その後を継いで立派な地主となっていた長男を殺され、今また次男と三男をいっぺんに亡くして――。

気丈なアースディースはその後も人々の敬愛を集めて幸福に過ごし、その子孫は栄えたのだとか。

一方追放処分となったトルビエルンは、遠くミクラガルド(コンスタンチノープル)でトルステインに討たれる。
トルビエルンの顔も知らないトルステインが見事「グレティルの剣」で仇を討つ最後の場面、短いけれど心に響きます。商人として成功し、不自由ない暮らしを送っているトルステイン。彼の母はアースディースではないし、命をかけて(何しろ彼の腕はグレティルに笑われるほど細いのです)仇討ちをする必要はおそらくないのです。

けれども彼はその昔に弟のグレティルと腕のことでまじえた話を思い出して、トルビエルンの行く先々を探り始めた。 (P358)

いやぁ、“物語”だなぁ。

少年少女世界文学全集の方では駆け足だった終盤をしっかり読むことができて、ほんとに面白かったです。
決して英雄譚ではない、どちらかといえば「ピカレスク・ロマン」なこのお話を、「少年少女」向けの全集に入れてくれた編者さん達の慧眼に改めて感服。

しかし実在のグレティルは本当に悪霊グラームに呪われたのでしょうか? 彼の運が途中から坂道を転がるように悪くなっていったのは、本当は何のせいだったんでしょう。
非常な豪傑でありながら追放され、漂泊するグレティルの姿に、「きっと何かに呪われたのだろう」と周囲の人々が考え、グレティル自身も「こんなはずでは」という思いを「悪霊のせい」としたのでしょうか。

人間離れした強さを持つものは何らかの代償を払わねばならぬ……。そんなことも考えるけど、でも母も兄も弟も、彼のことをちゃんと愛してくれたんだよなぁ。運には見放されたけど、家族には見放されなかった。

アイスランドの人々がこのサガを愛したの、わかる気がします。


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