『少年少女世界文学全集』に入っていた『剛勇グレティル物語』が興味深く、大人向けの訳も読んでみたくなって手に取りました。
結果、とても面白かったのですが、驚いたのが前半部の『エッダ』に「ニーベルンゲンの歌」の元ネタ(?)が入っていたこと。

『エッダ』といえばアイスランドの神話&英雄物語と思っていたのになんで???
『少年少女世界文学全集』の方でも「北欧のサガから」という短篇に「シグルド=ジークフリート」の名が出てきたけど、まさかこんなにがっつり『エッダ』の中にニーベルンゲンがあるとは。

というわけでまずは『エッダ』から。

17世紀半ば、アイスランドの僧院で発見された20篇の詩。今日「王の写本」として知られるそれらがまず「エッダ」と名付けられ、他の色々な写本から集められた似た性格のものとともに現在では40篇あまりが「エッダ」と呼ばれているそう。

写本は13世紀後半に筆写されたものらしいけれど、もともとの伝承はそれ以前に成立していたものと考えられ、このちくま文庫版では全体の5分の2ほど、15篇が紹介されています。
前半8篇が神話系のお話、後半7篇はニーベルンゲン絡みのお話。

1つめの「巫女の予言」はめちゃ格好いいです。

もろもろの聖なる族、ヘイムダルの貴賤の子らよ。私の言葉に耳かたむけるがいい。死せる戦士の父なる神よ、ここに、御心に従い、記憶のはての古き世のさまを、語り説きたてまつる。 (P9)
月の友なる日輪は、その右手を南から、天の縁にかけた。日輪はいまだその家を知らず、星々もいまだその座を知らず、月もその持てる力を知らなかった。 (P9)

田中敦子お姉様に朗読していただきたい格好いい訳文。
注釈がいっぱいついていて、ユグドラシルとかミドガルドとか、聞き覚えのある名称に「おおっ!」となります。
仮面ライダー鎧武でお馴染み“ユグドラシル”は“宇宙秩序のシンボル。ユグはオーディンの別名、ユグドラシルは「オーディンの馬」の意。オーディンがみずからをこの樹に吊して魔術を体得したという神話に発するもの”だそう。

そしてターンエーガンダムの登場人物の名前だと思っていた“ミドガルド”は“「中央の世界」という意味で、人間の国をいう”なのですって。へー!へー!へー!

オーディンやロキその他の神々が登場する神話部分は正直意味が取りにくい箇所が多く、話が全然頭に入ってきませんでした(^^;)
写本ということで脱落箇所もあり、また、一人の作者が系統だって書いたものというのではないため、「さっきの話と違う」部分もあって、ざっと読んだだけでは概要すら飲み込めません。

とはいえ「リーグの歌」と「オーディンの訓言」は面白かった。

「リーグの歌」の方は、人間の出自に関する神話のようで、老いた賢きアースの神リーグが家々をたずね、そこの妻を孕ませることで人間を増やしていく。
アーイとエッダという名の夫婦のもとからは酪農者と奴隷が生まれ、アヴィとアンマ夫婦からは農民。そしてファディルとモーディル夫妻の子孫は戦士となり、ひいてはデンマークとスウェーデン王家の祖になるとかなんとか。

アーイとエッダはそれぞれ「曾祖父」「曾祖母」を意味する単語で、アヴィにアンマは「祖父」「祖母」を意味する言葉、というのが面白いんですが、しかしリーグ様、魔法をかけるとかそういうのでなく、「夫婦の家に泊まってそこの妻と同衾して人間を作る」って、直接的すぎませんか……。

「オーディンの訓言」はその名の通り、箴言集。人間は昔から変わらないなぁ、と思えて楽しいです。

人の子にとって酒というものは、ふつう言われるほど良いものではない。飲めば飲むほどに自分の心がわからなくなる。 (P56)

臆病者は戦いを避けさえすれば、いつまでも生きられると思っている。だが、槍先から勘弁してもらったとしても、老いから勘弁してもらうわけにはいかない。 (P57)

いやしい心根の男は何でもばかにする。だが、自分で知っていなければいけないこと、つまり、自分にも欠点がないわけではないということは知らない。 (P58)

最後の方は恋愛指南みたいになってて、

女の心を得たければ、きれいごとを口にし、贈り物を惜しむな。娘の美しさをたたえよ。お世辞をつかえばそれだけのことはある。 (P66)

という一節も。
はははは。

そして「レギンの歌」からはニーベルンゲン絡みのエピソード。
魔術の心得のある侏儒レギンによって養育されたシグルド(=ジークフリート)が、レギンの祖先の話を聞き、ファーヴニルを殺すようそそのかされます。

ファーヴニルというのはレギンの兄弟なんですが、父親を殺し、父が譲り受けた宝物を独り占めにしているんですね。
で、その「父の宝」というのがラインの黄金、「ニーベルンゲンの宝」なんですよ。そういえば世界文学全集の方で「ジークフリートはニーベルンゲン族を打ち負かし、その財宝を手に入れていて、宝の守りを侏儒に任せている」みたいな記述があったような。

続く「ファーヴニルの歌」で、シグルドは見事ファーヴニルを打ち負かします。ファーヴニルは竜に姿を変えていて、シグルドはレギンに与えられた名剣グラムでもって竜の心臓を刺し貫く。
竜の血は雨のごとくシグルドに降りそそぎ……って、これつまり「ジークフリートは竜の血を浴びて不死身になった」っていう、『ニーベルンゲンの歌』で重要な前提になっていた部分ですよね?

一箇所だけ血を浴びず、そこが急所になった、クリームヒルトは騙されてその場所を教えてしまった、っていう。

でも「エッダ」では別にシグルドが不死身になったような記述はありません。「ファーヴニルの血を舐めると鳥の言葉がわかるようになる」とは書いてあったけど。

鳥の言葉がわかるようになったシグルド、山雀たちの進言に従ってレギンをも殺し、ファーヴニルの心臓を食べ、レギンとファーヴニルの血を飲みます。うわぁ。
そしてファーヴニルが独り占めしていた「ニーベルンゲンの宝」を今度はシグルドが独り占めするわけです。
うーん、これは後で暗殺されても仕方ない。

「レギンの歌」の方で、「宝」が災いを招くことが示唆されています。

「この宝は、二人の兄弟の死となり、八人の王者の争いの因となろう。誰の益にもなるものか」 (P90)

注釈に「これがいわゆるニーベルンゲンの宝の呪いである。二人の兄弟はレギンとファーヴニル。八人の王者とはシグルド、グトホルム、グンナル、ヘグニ、アトリ、エルプ、セルリ、ハムディルか。」(P95)とあります。

そして「シグルドの短い歌」でブリュンヒルド(=ブルンヒルト)が登場。

竜を倒したあと、まずシグルドはギューキを訪ね、二人の王子(グンナルとヘグニ)と懇意に。そして王女グドルーン(=クリームヒルト)を妻に娶ります。

王子たちはブリュンヒルドのもとに出向き、奸計によりブリュンヒルドはグンナルのものとなるわけですが、ブリュンヒルドはシグルドの方に恋こがれ、

「シグルドを、若き戦士を、この腕に抱きたいもの。それがかなわなければ、彼は死ね。」 (P105)

と嘆きます。ただ嘆くだけでなく、「シグルドを殺してくれなければ私は実家に帰る!」と言ってグンナルを脅し、思い悩んだグンナルは弟ヘグニに相談します。

「あの勇士を裏切って、彼の宝をも手に入れようではないか。ラインの黄金をわがものとし、宝と幸福とをゆっくりたのしむのも、悪くはあるまい」 (P106)

『ニーベルンゲンの歌』読んだ時もこれクリームヒルトの兄ちゃんグンテルが全部悪いよね?と思いましたが、やっぱり兄ちゃんが全部悪い
ヘグニは「そんなことできない」と断るものの、もう一人の弟グトホルムによってシグルドは暗殺。
夫の死を嘆くグドルーンの悲鳴に高笑いしたあと、ブリュンヒルドも自らシグルドの後を追います。ブリュンヒルドを手元に置いておくためにシグルドを殺したのに、結局グンナルは彼女を失ってしまうのです。

まぁその代わりラインの黄金を手にするわけですけど。

続く「アトリの歌」で、グドルーンはアトリの妻になっています。アトリというのはブリュンヒルドの兄で、フン族の王アッティラのことだそう。『ニーベルンゲンの歌』では「エッツェル」という名前でしたが、アッティラのことだったのか!

エッツェルは割といい人――というか、『ニーベルンゲンの歌』ではクリームヒルトが復讐のため兄たちをおびき寄せるのですが、こちらではアトリがグンナルたちを呼び寄せ、ラインの黄金目当てに彼らを殺します。

そして「兄上たちの仇!」とグドルーンに殺されるアトリ……あれれれ、そういう展開なの? シグルドの仇ではなく兄の仇をとるのか。
展開は違うけど、「そこまでする!?」というグドルーン(=クリームヒルト)の狂気は同じ。

自分とアトリとの間に生まれた王子の心臓を食卓に出してアトリをもてなしたり、アトリを殺したあと館に火をかけ王宮の人間を皆殺しにしたり。

「いま蜜をつけて召しあがったのは、ご自分の二人の息子の心臓でございます。さ、勇ましい王さま、いかがでございますか、人肉のこなれ具合は。これを王座に運んだのはこの私。」 (P123)

ひぃぃ、怖いよぉ。

最後「ハムディルの歌」はさらにその後のグドルーンの話なのですが、これは実際にあった別の話を無理矢理ニーベルンゲンと絡めたもののようなので割愛(やっぱりグドルーンがひどかった)。

翻訳と解説は松谷健二さんで、松谷さんも解説で「おもしろいのは、北欧とドイツで女主人公の立場がまるでちがうことである」とおっしゃっています。

北欧では、第二の夫のアトリに兄たちを殺されたグドルーンが、アトリを殺して兄たちの仇を討っているが、ドイツのクリエムヒルトは、(中略)お人好しのエッツェルをそそのかして兄たちを殺させてしまう。疑いもなく北欧のほうが伝説の本然の形で、ドイツの「ニーベルンゲンの歌」における扱い方は、アッティラ観、および倫理観全体の変化のために生じたものである。 (P372)

「倫理観の変化」って、「妻たるものは実家よりも夫を大切にすべし」みたいなアレなんでしょうかね。夫の死を贖うために実の兄たちを皆殺しにする方が、兄たちの仇をとるため今の夫を殺すよりも「あらまほしい」と。

そもそもこの「ニーベルンゲン伝説」、ローマの将軍アエティウスが、フン族をそそのかしてブルグント族を襲わせたという史実が根っこにあるそうで。
その後フン族の王アッティラ(=アトリ、エッツェル)がゲルマン人の女と一夜を過ごしたあと、血を吐いて死んだとかで、世の人々は「女がブルグント族滅亡の恨みを晴らしたのでは」と考え、伝説が生まれたらしい。

それが北方へ伝わりエッダのシグルド関連の詩になり、ドイツ内部で培われたものは『ニーベルンゲンの歌』へと。

同じ一つの話が地域や時代によって性格の違う話になるの、面白いですね。しかし「アッティラを殺したゲルマンの女」がもとということは、ジークフリートやブルンヒルトのエピソードは適当な後付けなんでしょうか? 別に存在した「竜を退治した英雄」の話を後からくっつけたのかなぁ。

「ファーヴニルの歌」の注釈には、「ブリュンヒルドはもとはオーディンに仕えるヴァルキューレだった」とあり、オーディンの命令にさからって魔の城の中で眠らされる運命に陥るも、勇士シグルドが魔の城に乗り込んで彼女の眠りを覚まし、二人の出会いが後の悲劇を生んだと。

ブリュンヒルドは眠り姫だったのか……。

このあたりの伝説にはバリエーションが多いらしく、「シグルドの短い歌」のブリュンヒルドは兄アトリと一緒に暮らす普通の王女です。

『ニーベルンゲンの歌』でのブルンヒルトは男まさりの超人的強さを持った女性でしたが、あの設定は「もとはヴァルキューレ」というところから来ていたのかな。

思いがけず『ニーベルンゲン』の源流を読むことができ、面白かったです。読書はこういう出会いがたまりませんね。


長くなったので『グレティル』の方はまた別記事で。