長時間電車に乗る予定があったので、車内でさくっと読めそうな文庫本をと図書館に探しに行って見つけた本です。

以前読んだ『そばかすの少年』『リンバロストの乙女』のポーターさんかと思ったら違うポーターさんで、こちらエレナ・ポーターさんは『少女パレアナ(ポリアンナ)』で有名な方訳者は村岡花子さんです。

表紙カバー見返しに書いてあるあらすじと、村岡さんの訳、そして250ページほどの薄さということで手に取ったのですが、とても良かったです。身につまされまくる

主人公たるスザナ・ギルモア嬢はピアニストになることを夢見る女性。物語の開始当初は二十歳そこそこ、裕福な銀行家の長女です。
師事する教授からは才能を認められ、ピアノの勉強を続けるだけのお金もあり、彼女が「ピアニストへの道」を踏み出すことに一見何の問題もなさそうなのですが、そこには「家庭」という大きな障害がありました。

14歳の時に母親を亡くした彼女、家の一切を切り盛りしていて、父親も弟妹も、「スウ姉さん」「スウ姉さん」と、彼女なくしては靴下一つ探せない有り様。
なので彼女が意を決して家族に「私、ピアニストになろうと思います」と言った時には、「え?じゃあ家のことはどうなるの?誰が家のことをやってくれるの?」とみんな大反対。

いったい、母親が生きていた時分から、惣領娘のスウは自分の意志なんていうものをもち合わせていないように思われていた。妹や弟の願望はいつでも、「スウ姉さんがして下さるよ」とか、「スウ姉さんにお貰い」という調子で、たやすく許された。 (P17)

なんでもかんでもスウ姉さんでなければならないと考える習慣が、家じゅうの者についてしまった。 (P18)

いやー、もう、この出だしだけで相当キツいですよね。
今で言えば「ヤングケアラー」、14歳で「お母さん」の役割を全部背負わされ、自分のことは常に後回し。「ピアニストだなんて素敵だなぁ」と賛成しかけた弟も、彼女が家を出ると聞くと「は?」と猛反対する。
ギルモア家には使用人もいるし、「私の代わりに従姉のアベイに来てもらう」という代案を出しているのに、「アベイなんて最悪!」と家族全員総スカン。てか妹のメイはもう18歳なのに、「じゃあ自分が家のことをやります」とは金輪際言わない。

しかも直後に銀行が破産、父親は脳溢血だかなんだかで倒れて子どものようになってしまい、スウ姉さんは貧乏と介護にまで直面する羽目に。
うぉあぉああ。
家財一切売り払って、ボストンから田舎のギルモアビルの別荘に引っ越し、どうにか住まいだけは確保できたものの、妹も弟も自分たちが貧乏になったことが理解できず(というより理解したくなくて)文句たらたら。当然使用人も雇えなくなり、それまで料理なんかしたことのなかった「銀行家の令嬢」スウ姉さんは料理を覚え、村の子ども達にピアノを教えることでなんとか生活費を稼ぎ、一人孤軍奮闘。

――なんか、朝ドラになりそうですよね、これ。
というか、すでに似た朝ドラが存在しそう。
朝からこんなしんどいの見たくないけど、でもこの小説、どんどんとページを繰らされるんですよ。ポーターさんの人間観察の妙、「ホントこういう奴いるよなぁ」という書きぶり。村岡さんの訳も読みやすい。

冒頭、まだ「裕福な令嬢」だった時分、スウ姉さんはこんなことを思っています。

すぐに結婚するなんて! なんにも変化のない生活だ。いままでと同じことをもっと、もっと続けてゆくだけだ――でいりの洗濯屋の名前が変わって、石鹸が新しくなるばかりだ。 (P19-P20)

すでに彼女には婚約者がいて、その婚約者ケントはすぐにでも彼女と結婚したがっているんです。で、まぁ、彼も「はぁ?ピアニスト?僕と結婚したくないからそんなこと言うの?」という反応をするんですが、それより何より、スウ姉さんが「結婚したって今と何も変わらない、私にはやっぱり自由がない」と思っている、そこがとても良い。

家庭に縛りつけられている彼女を救ってくれるのは恋人ではない、少なくとも恋人との結婚ではない、と最初にしっかり書かれているところ。
「スウ姉さん」が「スウ母さん」になるだけだもんね……。
なので彼女はピアニストになるため家を出ようと思った。

生きがいのある生活をしよう、この世に生まれて価値のある者になろうと決心したのだった。 (P21)

いわゆる「主婦」、「家の中の切り盛り」は「この世に生まれて価値のある生活」ではない、という認識は寂しいけれども仕方がない、スウ姉さんの気持ち、わかりすぎるほどわかるもの。

ギルモアビルに移り住み、不平不満ばかり言う弟妹。スウ姉さんが「これでも感謝しなくちゃ」みたいに言えば言うほどますます彼らは反発する。ここで、別荘の管理人プレストン小母さんが出す処方箋がまたすごい。

「いくら、あなたがお二人の気を紛らせようとなさったって、肝心のご本人たちはほかのことを考えて気を紛らしたくはないんです。それよりか、思う存分に不平のありったけをぶちまけて、溜飲を下げたいんですからね」
「それも無理はないけれど、どうにもならないことを明けても暮れても小言をいってたって始まらないじゃないの」
「いや、それは理屈です」 (P90)

人間性の真実すぎますよね。別に正論は欲しくない、ただ「溜飲を下げたい」。今どきのSNSやん……。妹も弟も、「もっといい暮らしがしたけりゃてめぇで働けよ」なんだけど、働きたくないわけでな。うん、わかるよ!!!

そんな弟くんも、スウ姉さんが爪に火をともす思いで切り詰めてようやっと学費を捻出してあげていたのに、「好きな子できたから大学辞めて結婚するわ、その子んちがお店やってるから手伝うわ」ってあっさり働こうとし始める。

あまりのことについスウ姉さんも本音の滲み出る手紙を書いてしまって、そしたら弟くん、「結婚は自由意志によるはずだ」「とにかく、今日以降、自分の生活は自分でたてる決心だ」(P189)なんて偉そうに言ってきて。

ど の 口 が !

いや、おまえな、自分の生活を自分でたてる前にこれまでスウ姉さんからさんざん搾り取った学費と遊興費を返せよ、「これからは僕がスウ姉さんを養うから心配しなくていいよ」ぐらい嘘でも言え。

最後、破産から6年の月日が経って父親が息をひきとり、ようやくスウ姉さんが自由の身になった時も、妹も弟もすぐさま「うちには下女を雇うような余裕はない、姉さんが来てくれたら大助かりだ。どうぞ気兼ねなくうちに来てくれ」と言ってくる。姉が「下女」として家に手伝いに来てくれるのを手ぐすね引いて待ってるのよね。

……それまでスウ姉さんが甘やかしすぎたといえばそうなんだけど。
母親が亡くなった時、スウ姉さんは14歳、妹は12歳で弟は10歳。父親は家のことなんかまったく裁量しないし、とりあえず当時は金に苦労することもなかった「裕福な家の嬢ちゃん坊ちゃん」。スウ姉さんとしてもまぁ、そうそう厳しくは当たれなかったよねぇ。

それでいよいよ「私は逃げ出します!」と宣言して、スウ姉さんはボストンに戻り、かつて師事した教授のもとでようやくピアニストへの道を踏み出そうとするのですが。

時すでに遅し。

6年間家のことに心血を注がざるを得なかった彼女の腕はやはり落ちてしまっていて、「もう無理」「もう遅い」だった……。
うわぁぁぁぁぁぁぁ、弟、妹、おまえらのせいだぞ! 何の役にも立たなかった婚約者、おまえもそこに正座しろ、ごらぁぁぁ!!

「君が家を離れたがらなかったんじゃん」と人は言うのでしょう。「本当にやりたかったのなら、すべてをなげうってピアニストの勉強をすれば良かったじゃないか」と。
そうして彼女が名を成したら成したで、「彼女は自分の夢のために病気の父も未成年の兄弟も捨てたのだ」などと後ろ指を指す。

6年の間には、彼女のピアノの腕前を見込んで、「伴奏者としてツアーについてきてほしい」という申し出もあったのです。
スウ姉さんが「わたくしは家庭から出られないからだなんです。家庭に責任があります」(P145)と断ると、そのバイオリニストは「ばからしい!」と怒鳴りつけます。

「野心はないんですか! この世に生まれてきた以上、なにか価値のある仕事をしたいと思わないんですか? 生きがいある生活をしたいとは思いませんか?」 (P145)

もう、読んでて殴り飛ばしたくなりましたよ。誰よりもスウ姉さん自身がそれを切望し、「アンコール!スザナ・ギルモア嬢、アンコール!」という聴衆の熱狂を夢に見ながら涙で枕を濡らしていたっていうのに。
あまりのことにスウ姉さんも「ふざけんな!」と思いの丈をぶちまけてしまうんですけど……そしてバイオリニストは呆気にとられたうえ、最終的にスウ姉さんを愛するようになるんですけど。

愛してるのに、「彼女は音楽家の道を諦めていない。だから結婚の申し込みなどできない」と逡巡するんですよね。音楽家と結婚、両立しないんだ…。男はいたって普通に両立させるのにね……。

ハッピーエンド直前に、「成功したピアニスト」と「その親友で、絵の道に進みたかったが家庭の事情で断念した女性」の話が出てきて、ピアニストは「彼女の方が私なんかより何倍も生きがいのある生活をしている」と言います。「私なんか娯楽の時でなきゃ必要とされないが、彼女には彼女なしで生きていけない人たちがいる、必要とされることほど有意義なことはない」と。

いや、うん、わかるけど……うん。

家の切り盛りや介護といった仕事を「つまらない」「ばかばかしい」と言われ、「野心はないのか」と言われるのも腹が立つけど、だからってやっぱりピアニストにもなりたかったやん?絵の勉強だってしたかったやん? もしも6年前、破産する前にピアニストへの道を踏み出していたら、「アンコール!スザナ・ギルモア嬢、アンコール!」という熱狂が現実になっていたかもしれないのに……。

「生きがいのある生活」って、なんなんでしょうね(ため息)。


原著は1920年(大正9年)、邦訳は1965年(昭和40年)に出ています。時代背景を考えれば、「音楽家と結婚の両立」にならないのも仕方のないところだろうし、何より作者のポーターさんは、自分のことを「無意味の生存」(※画家を諦めざるを得なかった女性の言葉として出てくる)だと思っている大勢の「スウ姉さんたち」を励ますつもりでこの作品を書いたわけで。

全世界いたる所に、無数に散らばっている「スウ姉さんたち」に、この作品をささげます。
しんぼうづよく、不平をいわずに、「わずらわしい毎日の雑用」を果たしながら、はるか遠いかなたに自分たちをさしまねいている「生きがいのある生活」をながめているのが、それらのスウ姉さんたちです。
(中略)世のすべての「スウ姉さんたち」に祝福あれと、私は心からいのります。
(P6 『原作者のことば』より)

原題はそのまま『SISTER SUE』となっていて、婚約者が彼女のことを「スウ姉さん」と呼ぶその一言で「ああ、もうあなたの気持ちはわかった」となるくだりもあって見事なのですが、英語でもそんなふうに「○○姉さん」と呼ぶのですねぇ。
日本語では「お父さん」だの「課長」だのと「役割(肩書き)」で呼ぶのが普通で、むしろ名前などめったに呼ばなかったりしますが。
私自身、家ではずっと「お姉ちゃん」と呼ばれていたものなぁ。


思いがけず良い本を――胸かき乱される本を、手に取ってしまったことでした。
ああ、「生きがいのある生活」って!!!