引き続き、『罪と罰』のお話です。
中巻をもうすぐ読み終わりそうなとこまで来て、頭の中がすっかり『罪と罰』で、気になって気になって(笑)。
私はかなり偏執狂的なところがあるので、非常に熱しやすいし(もちろん醒めやすくもある)、一つことが気にかかるともうそれにけりがつくまで気になって気になってしょうがない、他のことは手につかない、という感じになってしまうのです。
もう今場所は相撲もろくに見てないもんね。
今は相撲より読書。ごめんね、朝青龍(笑)。

実はみんなそうなんじゃないの、と思うんだけど、他の人になったことがないのでわかりません(爆)。
「気になること」の対象が違うだけではないかと思うんだけどね。大抵、「なんでそんなことが」と他の人にはどーでもよく思えることが「気になって気になって」になるものじゃないかしらん。
本人的にもけりがついてみれば「なぁんだ」だったりもして。

そんなことを考えるのも、一つには『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが偏執狂っぽいからだけど。

『カラマーゾフの兄弟』の登場人物もみんな偏執狂というかヒステリーというか、「身近にいたら疲れるな」という人たちだったけど、ラスコーリニコフはまたちょっと違う感じ。別に、一人で悶々としてくれているタイプの偏執狂だから、あまり周りには迷惑をかけないかもしれない。
何しろ「金貸しの婆さん殺し」を実行するまでの半年間ぐらい、ほとんど引きこもり状態だったわけだし。
友達付き合いもほとんどない。

「金貸し殺し」を思いついてから1か月間、部屋にこもってずっとその空想を練り上げている、っていうのが、なんかわかるなぁと思って。
そういう観念って、もうくり返しくり返し頭の中でいじくり倒して、ほとんど空想の中で実行した気にすらなって、やってしまわないことにはもうその妄想状態にけりをつけられない……。

ラスコーリニコフは、「殺し」を実行する以前、「人間には凡人と非凡人の二種類があって、非凡人はその理想や才能の発揮のために凡人を排除してもかまわない。良心に責めを負わない」というような犯罪に関する論文を発表している。
でもそれは中巻になってから紹介されることで、最初のうち読者にはそこまでの情報は開示されていない。

貧乏で学資がなくなって「元大学生」になっているラスコーリニコフは、「あこぎな金貸しの老婆を殺す」ことに正当性を見出して、1か月間夢想にふける。
夢想が現実になる直接の引き金は、母親からの手紙。
妹が、他でもない、兄ラスコーリニコフのために成金のおじさんに身売り同然に嫁入りする、という話を知って、彼は激昂するのだった。
「そんなこと許すもんか!」

で、まぁ「金貸し殺し」を実行してしまうんだけど。
もちろん妹の一件だけが「殺しの理由」ではなくて、それはある種きっかけに過ぎないのだろうけれど、しかし自分のために妹が「身売り」するのが許せないラスコーリニコフはこの半年間、働き口を懸命に探すでもなく、引きこもってぐずぐずしていただけなのだった。

家賃は払えないし、服だって買えなくてぼろぼろだし。
学校に行くお金どころか、正直食うにも困っている。
それで職探しをするでもなく、表面上「無為に」過ごしているくせに、妹が「自分のために身売りする」ということに怒ったってしょうがないよなぁ。
あんたが働かへんのが悪いんちゃうん。

これだから観念ばっかりの人間は。

たぶん彼は自尊心が強すぎて、しょーもない仕事なんかする気になれないのだ。学のない「凡人」達と同じようにあくせく働くなんてばかばかしいと思っている。
家庭教師の口でさえ、きっと「くだらない」んだろう。

『赤と黒』のジュリアンも、似たような感じだった。
自尊心ばかり強くて、「野心家」なのに、その「野心」のピントがずれてて、友人フーケが「材木で儲けよう」と誘ってくれても、「そんなちんけなこと」と思っている。
ジュリアンの野心は「お金を稼ぐ」ことではないんだな。
なんせ彼のヒーローはナポレオンなんだし。

ラスコーリニコフの「論文」にも、「非凡人」の例の一人としてナポレオンの名が挙がっている。

ナポレオンを目指すジュリアンは手始めに上流階級の夫人を屈服させようとしてホントに恋に落ち、貴族の娘と「恋」というより「屈服競争」みたいなものをして、自分の出世が過去の「恋」騒動のせいでおじゃんになったのを知ると激昂してピストル持って走っていく。

……ナポレオンになりたいならもっとうまく立ち回れよ、と言いたいようなものです。

ラスコーリニコフにしても、実際に自分がやる「犯罪」は「人類のより良き未来のために」というような、大きな、崇高な仕事ではなくて、近所の婆さんを殺すだけ。
まぁラスコーリニコフは、自分でもそのことを自覚して、「おれは早いとこ踏み越えたかった」「おれは人間を殺したんじゃなくて、主義を殺したんだ!ところが主義は殺したが、踏み越えることはけっきょくできなくて、こちら側にとり残された」というような述懐をしている。

「いったいナポレオンが、婆さんのベッドの下にもぐり込むだろうか!」と。

それでも、主義や観念で人を殺すのは、「誰でもいいから殺してみたい」とか、「誰か殺して死刑になりたい」とかいう理由で人を殺すよりは理解できる。
それこそナポレオンだの、歴史上の偉大な英雄達はみんな、「自国の繁栄」という主義のために他国の人間を殺したことを褒めたたえられているわけだし。
他国どころか、自国の人間を殺すことだって、英雄達には許されている。
一人殺せば犯罪だけど、「戦争」で大量に殺したら犯罪じゃなくなるんだもの。

ジュリアンにたった一人、「親友フーケ」がいたように、ラスコーリニコフにもたった一人、親身になって世話してくれる友人ラズミーヒンがいる。
ラズミーヒンっていい奴なのよねぇ(しみじみ)。
こんなお節介な人って、ホントにいるのかな。
しかもあんな付き合いづらいラスコーリニコフに。
お節介な人って、「ほっといてくれよ!」と邪険にされるほど燃えるものなのかな。