しつこく『罪と罰』です。
ははは。
昨日は「困ったおじさん二人」の話だったので、今日は我らがヒーロー・ラスコーリニコフとヒロイン・ソーニャの話を。

「ヒーロー」と言っても、「主人公」というだけでラスコーリニコフ君は貧乏だし、だいぶ「キテますキテます」という男の子で、「英雄」ではないんだけども。
でも理念のために一線を踏み越えた彼は、若者にとってはやはり「英雄」なのかもしれない。

あこぎな金貸しの婆さんを殺して、「一線を踏み越えた」ことに彼はやっぱり苦悩して、「もう自分は誰とも話せない」という気分になるのだけど、それでも最後まで「自分のしたことが罪だとは思えない」と思っている。

「それが悪行だからか?だが、悪行という言葉の意味は?おれの良心は安らかだ。なるほど刑事犯罪が犯されたかもしらん、法律の条文が破られて、血が流されたかもしらん、まあ、それなら、法律の条文に照らして俺の頭をはねればいいはずだ……それで十分さ!」

悪行とは何か?
罪とは何か?

彼は人を殺した。
直接的に斧で婆さんの頭をかち割った。
だから彼は「殺人者」として逮捕され、刑に服さねばならない。
でも間接的に人を傷つけ、殺している人間は大勢いるのではないのか? なぜ彼らは裁かれないのか。

ソーニャの父親は酒がやめられず、わずかな収入をすべて飲みつくして、家族を貧乏のどん底に陥れる。
ソーニャの義理の母親は肺を病み、発狂寸前。幼い弟妹を食べさせるために、ソーニャは身を売らざるをえなかった。
結局父親は馬車にはねられ、哀れな最期を遂げる。
ラスコーニコフが通りがからなかったら、葬式を出す金さえなかった。そして母親もいよいよ正気をなくし、血を吐いて死んでしまう。

またこの一家の描写がすごいんだな、ドストエフスキー。
『カラマーゾフ』でも哀れな少年イリューシャの家の貧乏っぷり(そしてやっぱり母親が正気をなくしている)がすごいんだけど。
読んでると、暗澹たる気持ちになってくる。

そりゃ、ソーニャの家の場合は父親が酒をやめられないのが原因ではあるけど、父親が死んだ後の騒ぎを見ると、「どうしてどうにもならないんだろう?」と哀しくなる。
どこにも希望がない。
どこにも救いの手がない。
むしろ嗤われ、侮られ、蔑まれ――。
血の繋がらない幼い妹達のために身を売るしかなかったソーニャを、周囲は「娼婦」として簡単に貶める。
でも、じゃあ他にどうしろと言うのか?
誇りのために飢え死にした方が立派だと言うんだろうか?
自分一人ならそれでもいいかもしれない。
自分一人なら、ソーニャだってなんとか娼婦にならずに生きていけたかもしれない。
でも彼女がいなければ、あの父とあの母のもとで、幼い子ども達はどうなるのか?

直接ナイフや斧で人を殺したら罪になるのに、なぜそれは罪にならないのだろう。
なぜ「身を売る」ことの方が罪になってしまうのだろう。
ソーニャのような家庭はいくらでもごろごろしているはずで、無惨に死んでいく子どもや犯罪者にならざるを得ない子どもはいっぱいいるだろう。
なぜ「それ」は許されているのに――それを放置し、助長する人々は許されているのに、「これ」は罪になるのか。

本当に、普遍的というか、「なくならない疑問」だよね。

誰を殺してよくて、誰を殺してはいけないか、そんなことは誰にも決められない。
誰にも、「いる人間」と「いらない人間」を決める権利はない。でも……。

ラスコーリニコフにとってソーニャは、彼女の父親から話を聞いた時点でもう、「救いの神」だった。
家族のために娼婦に身を落とした少女。
本人に出会う前からもう彼女は「特別な存在」になっていて、彼女にだけは秘密を打ち明ける気になる。
ソーニャにしてみれば迷惑な話というか……「なんなんだ、この人は」だけど、ソーニャはいい子なのでびくびくしながらもラスコーリニコフを受け入れてくれる。
最後までちゃんと付き合ってくれるんだ。

敬虔なソーニャはラスコーリニコフに
「まず、あなたが汚した大地に接吻なさい。それから四方を向いて、全世界におじぎをなさい。そしてみなに聞こえるように、『私は人を殺しました!』と言うんです。そうしたら神さまが、あなたにまた生命を授けてくださる」と言う。

ソーニャにとって、ラスコーリニコフはどういう存在なんだろう? どうして彼女は、突然自分につきまとって、「人を殺した」と言い出す男を受け入れることができるんだろう?
どうして彼についてきてくれるんだろう?

ソーニャは敬虔な、信仰の厚い人間だけれども、ラスコーリニコフを救うのは「神様」ではない。
あくまでも、人間のソーニャだ。
ソーニャのあり方が、なぜだか彼を受け入れ、信じてくれるソーニャ自身が、ラスコーリニコフを救ってくれる。

……やっぱり、ソーニャにとっても、ラスコーリニコフは「初めて自分を認めてくれた特別な存在」だったんだろうな。自分には何の値打ちもない、とびくびくしていた彼女を、ラスコーリニコフは最初から普通に遇して、成金おやじのルージンに向かって、「あんたなんか彼女の小指ほどの値打ちもない」と言ってくれる(……このセリフ、ソーニャ自身は聞いてないけど)。

人を殺すのも人なら、人を生かすのもまた人、なんだ。