違うことを書こうと思っていたのだけど、さっき内田樹先生のblogを見たら、「妄想のすすめ」という大変ありがたいお話が書いてあったので、さっそく妄想が暴走して、最初書こうと思っていたことを押しのけてしまいました。

内田先生のお話は、変に引用するよりも読んでもらった方がいいのですが、それだとこの文章がうまく繋がっていかないので、ちらっと紹介すると、「今の若い人は妄想力が低下している」「私は子どものころ、起きている時間の30%くらいは空想に耽っていた」とかいうお話です。

中でも私の心を引いたのは、内田先生が「授業を聞いているときでも、教科書の挿絵や写真を見ているうちに、その「世界」に拉致されてしまうことがしばしばであった」と書かれていること。

ああ、それ、めっちゃわかる〜〜〜〜〜。

私が高校生の時から、やたらに中断しながらもずっと書いている「長いお話」は、まさにそういう、「授業中に教科書を見ていたら突然妄想が暴走して」生まれたものなのですね。
数学の教科書の表紙裏に載っている「ギリシア文字」の表が私を拉致しさり、アトランティスの彼方へ連れ去ってしまったのです。

目なんか閉じなくても空想の世界にトリップできる。
小説のネタを考えるのって、ゲーム機なしで常にRPGで遊んでるようなものですからね。
車を運転しながら「ああかな、こうかな」と頭の中でネタをいじくりまわしていると、突然フロントガラスに異世界の景色が浮かんできたりとか。

危ないっちゅうねん!(笑)

冗談だと思うでしょう。
ホントにそんなもんが見えたら「幻覚」じゃん、「頭がおかしい」だけじゃないかって。

まぁフロントガラスに映るのはそうしょっちゅうあることじゃないですけど、ネタを考えている時にそれをアニメで「見ている」のは本当で、自分で作った話に自分で感動して涙ぐんでる時もしょっちゅうあるわけで……。

やっぱり「頭がおかしい」だけじゃん!!!(笑)

いやいや、でも内田先生がそれをすすめてくださってるわけですから。
これからは大手を振って歩けるわけで。
なんか嬉しい(爆)。

でも最近の若い人はなぜ「妄想」ができないんでしょう?
情報が多すぎるから?
自分で作らなくても、いくらでも「ゲーム」という形で与えられてしまうから?

だけどストーカーなんていうのは非常に「妄想的」に思えますよね。
「誰でもいいから人を殺してみたかった」とか……。
頭の中だけで「空想に耽る」ができないから、実地に現実でやってしまうのかな、という気はするけれど。

そういば今の子は、本を読んでも文章だけでは「イメージ」が浮かばなくて、ちょっと長い話や複雑な話になるともうついていけなくて読めなくなってしまう、という話を聞いたことがあります。
「場面を思い浮かべる」ができないのだと。

妄想だけで生きている私には、「思い浮かべられない」という状態がそれこそ「思い浮かべられない」ですが。

あと、内田先生は「想像のもたらす現実変性能力は侮れない」とおっしゃっているのですけど、Gacktさんもおんなじことおっしゃってるんですよね。
「頭で考えたことは実現できる」
こうして無理矢理自分の好きなもの同士をくっつけるのも妄想の一つでしょうか(笑)。

でもヨガの先生もおっしゃってます。
「イメージすれば、体がついてくる。イメージすることは非常に大切だ」と。

ああ、嬉しい。