『カラマーゾフの兄弟』は、それだけでもかなり長いお話だけれども、作者ドストエフスキーの頭の中には続編の構想があったという。
『カラマーゾフの兄弟』序文の中にすでに「小説はふたつある」と書かれ、「肝心なのはふたつ目のほう」とまで書かれている。
1つ目の――つまりは現存する『カラマーゾフ』を書き上げた後、2年後ぐらいに2つ目にとりかかろうと思っていたらしいが、2年後どころか3か月後にドストエフスキーは急逝してしまった。
「2つ目」は永遠に書かれることのない「幻の作品」になってしまったのだ。

その「幻の続編」について、古典新訳文庫の訳者亀山郁夫さんが「こんなんだったのではないか」と空想するのが本書。

実のところ、この本の内容はけっこう文庫5巻の「解題」と重複している。「解題」中にもかなり続編に関することが言及されているので、「どうしてももっと知りたい人だけ読んでください」という本かもしれない(笑)。
あとがきの中で亀山さんが「だれにも喜ばれない余計本」などと卑下してらっしゃるのだけど、いえいえ、「もっと知りたい」と思う人間には非常に興味深い読書となりましたよ。

もっとも。
実際に描かれた続編のプロットは、「え〜、そんなふうになっちゃうの〜?」という話ではありましたが(笑)。
せっかくあの感動のラストがあったのに、あの後アリョーシャにはそんな苦難の道が待っているのか、と思うと、『Zガンダム』でアムロが幽閉されていることにショックを受けた時のように(笑)ショックだったりして。

もちろん「人生は続いていく」ので、お話のように「めでたしめでたし。その後も幸せに暮らしました」というふうにはなかなかいかないものだけれど。

すでに第一の小説の最後で「小悪魔」になっていた14歳の少女リーザ。
最初の方の、アリョーシャと結婚の約束を交わすシーンはとても良いなぁと思っていただけに、「あれれれ、なんで?」だったし、続編の方でも「そんなことになっちゃうのか……」という感じ。

「聖なるアリョーシャ」では自分は救われない。私に必要なのは「悪魔のイワン」だ――うーん。まぁ14歳だからねぇ。
私自身、初めて『カラマーゾフ』を読んだ時(20歳ぐらい)はイワンの印象ばかりが強くて、彼の「反逆」と「大審問官」しか覚えてないぐらいだったけれど。

うん、ほんとにね。不思議だよ。
今回はイワンよりもドミートリーよりもアリョーシャの話に心惹かれたもの。
もちろんイワンの「内なる悪魔との葛藤」、ドミートリーの「冤罪」、どちらもすごく面白かったけど、ゾシマ長老の談話や少年達との交流という「アリョーシャを軸とした物語」がとても面白かった。

序文でアリョーシャは作者ドストエフスキーから「わたしの主人公」と呼ばれているのだけど、表面的にはイワンやドミートリーの方が目立っている。
昔読んだ時はたぶん、アリョーシャが主人公だなどとは思わなかっただろうし、ゾシマ長老の説教なんて「めんどくさいな〜、読み飛ばそうかな〜」と思ったような気がするのに、今回は「大審問官」以上にそっちの方が面白かったんだよなぁ。

同じ話でも、読む方の年齢や経験、状況が違えばおのずと惹かれる部分は違ってくる。
「私も丸くなって、“悪魔”よりは“神様”に共感するようになったのか」とも思うし、訳文の違いというのもやはり大きいのかもしれない。

『カラマーゾフの兄弟』の中で、ドミートリーが捕まった後、「どうなるの!?」と期待を満ちて頁を繰る読者の前に、「少年たち」と題した一見無関係な章が現れる。
ドミートリーの話とはまったく関係のない、アリョーシャと少年たちとの交流の話。しかもアリョーシャですらない、いきなり出てきたコーリャという少年のエピソードから始まるので、私も少々とまどった。
とまどったがしかし、読み進むうちに面白くなって、むしろドミートリーの裁判のシーンの方が「なんか読むのめんどくさいな」という感じになってしまった。

13年後、この「少年たち」が大きくなって「皇帝暗殺」を企む、というのが「続編」の大筋のプロット。
少年たちのその後は是非とも読んでみたかったけど、アリョーシャの「苦難」を思うと……。

もちろん、ドストエフスキーが本当はどんな続編を書くつもりだったかはわからないし、「続編を書く予定の2年後」を待たずに現実に皇帝が暗殺されてしまう。
事実の方が小説より先を行ってしまうので、もしドストエフスキーが生きていたら、「続編」のプロットは変更せざるをえなかったかもしれない。

歴史に「もし」は禁物というけど、この辺の時代状況と物語の関係、社会と個人の関係にはなんか、「嗚呼!」と嘆息するようなものがありますね。
なにものも一つところに留まっていることはできなくて、すべては流れていくというか……。

そうであっても、『カラマーゾフの兄弟』という物語は確固として存在し、光を放っているわけだけれども。

物語の力。
著者自身の手も、時代すらも離れて生き続けるもの。

……「解題」や本書は読まずにまずは自分の感性だけで読んだ方が絶対にいいとは思うんだけど、「解題」を読んだ後、もう一度最初からじっくり読んでみたくなるのも事実です。