2010年の3月~10月にOVAとして出された『ボトムズ幻影篇』、やっと見ました。

テレビシリーズの『ボトムズ』から30年経った、という設定で、バニラやココナやゴウトがやたらに「30年ぶり30年ぶり」と言うのが、なんだか自分自身の「30年」と重なって、感慨深いです。

テレビシーズの放映は1983年から84年にかけてなので、今年2011年で28年かな。ほぼ30年ぶり。16歳だったココナは46歳。その割に絵は若いし中身も変わってないけど、自分が年取ったのと同じように好きだったアニメのキャラクター達が年齢を重ねているっていうのはホントにねぇ。

嬉しいようなくすぐったうような。

ってゆーか、30年経ってまだ『ボトムズ』見てるか!(笑)

それだけでもう十分感慨深くて、オープニングの『炎のさだめ』だけで泣けます。映像は違うんだけど(麗しい静止画。これがまた素敵)、あのイントロだけでもうねー。名曲だよねー。

エンディングもちゃんと『いつもあなたが』だし。

BGMもテレビシリーズのものがそのまま使われてる感じ。サントラ持っててたまに聞くんだけど、でもというかだからこそというか、「うわぁぁぁ、ボトムズだよぉぉぉ」っていう感慨が。

しかもバニラとココナの銀婚式を記念して、思い出の場所を巡ろう、と1巻ではウド。2巻クメン。3巻でサンサ。

テレビシリーズをリアルタイムで見ていた人間にとっては本当に懐かしい。バニラ達3人組の他にもウドでル・シャッコ、クメンでポタリア、サンサでゾフィーと登場人物も懐かしく。

ココナ、「たのまれグッバイ」歌っちゃうもんねぇ。

30年前の本編とリンクしたシーン、嬉しいけど、「このまま回顧で終わるのかな?もしかしてキリコは出てこない?」と思いきや。

3巻でやっとキリコ登場。

かつてレッドショルダーを嫌悪し、キリコにもその憎しみをぶつけていたゾフィー。視力が衰え、今自分の手伝いをしてくれている青年がキリコだとは気づかずにいる。目が悪いだけではなく、キリコがあまりにも「若い」から。

30年の月日が経って、登場人物達はみんな年を取っているのに、コールドスリープしていたキリコは若いまま。ちゃんと目が見えていたとしたって、「まさか」と思うよね。

うん、この「コールドスリープ」ってのは実にずるい設定だよ。30年経っても主人公は若いまま続編が描ける!

周りのキャラクターは視聴者と同じように年齢を重ねていて、そこにも感情移入できるし、若いまま格好いいままの主人公を30年前と同じように「きゃーきゃー」言って見ることもできる。

一粒で二度おいしいみたいな。

決して取り返せない過ぎた時間の中に、止まったままの時間がある。

キリコ以外にも、長命であるがゆえに30年くらいだとたいして老けないクエント人のル・シャッコ。AT乗りとしての腕はもちろん、今回も「クエントの秘密=神」とキリコとの橋渡しとして重要な役どころ。

「懐かしい場所をめぐる旅」は一転、4巻から「神の子が生まれる!」という急転直下の展開に。

OVA『赫奕たる異端』で出て来たマーティアル教団、そして「こいつ一体いつまで…」のロッチナ。いやー、ほんまにロッチナのキリコに対する執念は、なんなんですか。ワイズマンとの繋がり以上に、あの人は「異能生命体」キリコに魅せられ、取り憑かれているよねぇ。

1巻24分くらいしかなくて、「神の子」問題が出てくるのが4巻で、残りたった48分でどうするんだ?って感じだったんだけど、まぁこの「わかったようでわからない」「終わりそうで終わらない」のが『ボトムズ』のいいところではある。

高橋監督は「どうとでもまた新しいものが作れるように」とおっしゃっているらしく、「確かにこっからまたぐちゃぐちゃと続けられそうだなぁ」という終わり方。

テレビ本編を見ている時、「神=ワイズマンを殺してしまっても、世界はそれまでと何ら変わることなく続いてた」っていう結末がものすごく好きだった私としては、この『幻影篇』で「死んだはずだよワイズマン♪」ってなってるのがかなり不満ではある。

ただ、再びワイズマンを破壊し(きっとまた完全には死んでいないんだろうけど)、「神の子」を連れ去るキリコの行動が、「やめろ」と言いつつも「そう仕向けている」のかな、とも思え、見ている側に色々考える余地を与えてくれるのは嬉しい。

キリコの存在も、「神」だかワイズマンだかの存在も、そもそも『ボトムズ』って一体どーゆー物語なの?ってところも、謎だらけでよくわかんなくて、そこが最大の魅力だと思うので、今後また新作を作るとしても、すべての種明かしをしてしまうような野暮はしてほしくないと思う。

「物語」において、全部説明してしまうことほど野暮なことはないと思うんだよ、ホントに。

『ボトムズ』はキリコとフィアナの愛の物語だって言う人もいるし、私みたいに「神様なんか死んでも世界は続くんだぜ、へへっ」ってところを一番重要だと思う人間もいるし、それはともかくスコープドッグの動きはかっこいいよなぁ、ってだけの人もいるだろうし、そういうふうに色々な見方ができて、しかも「何だったんだろう?」っていう余韻・引っかかりがあるからこそ、30年経ってもまだ存在できてしまうんだもの。

まぁ、「続き」を描くのは「蛇足」かもしれない、という気もあるけれど。

『幻影篇』の最後が、サンサに降り立つゾフィーとジュノで、「ここが私のふるさとだから」っていうのは、なんか好きだった。あのジュノという登場人物はかなり唐突で、それこそなんであの子は「落とされた底」で生きていられたんだろう、って思うけどね。本当の「神の子」は実は…?とか、ここにも続編の種が(笑)。

あと、キリコに助け出される時に「神の子」である赤ん坊がぱっと目を開け、キリコを見て微笑むっていうのは、あの「素体との遭遇」を当然意識したものだよね。あの赤子が女の子なのか男の子なのかちょっとわからなかったけど女の子だったらまた「フィアナ」って呼んじゃうか、キリコ?

「謎」は「謎」のまま、続きは蛇足と思いつつ、しかしやっぱり見てみたい続き(爆)。

『ペールゼン・ファイルズ』と同じくATの戦いは3DCGとやらで描かれてる。うーん、なんか、昔の汚いセル画の方がむしろかっこよかった気がするなぁ。『ボトムズ』の戦闘はすかっと綺麗な絵より泥臭い感じが合うような。



で、気になったのが『赫奕たる異端』のテイタニア。彼女はどうなったの? キリコのこと追っかけていったよね?と思ったらば。

そちらは2010年秋に製作された『孤影再び』に登場するらしい。



時間の流れとしては『赫奕たる異端』→『孤影再び』→『幻影篇』になるそうな。

近所のレンタルビデオ店になぜか入っていないようなので、とりあえず小説版をAmazonで注文してみた。

届くのが楽しみです♪

(小説『孤影再び』の感想はこちら