やっと全部読みました、『安吾捕物帖』。

以前書いたように、紙の本でなく青空文庫で、IS03で。

スマホの画面で120ページ程度(短いものは70ページくらい、長いものは150ページくらい)の連作短編。空いた時間にちょこちょこ読むにはいい分量でした。

アニメ『UN-GO』の原案ということで手に取ったので、最初は「どういうふうに翻案されているんだろう」とその比較を楽しんでいたのですが、だんだんと安吾の語り口に引き込まれて、最後20話目の『トンビ男』を読み終えてしまった時は「あー、終わっちゃったよぉ」という寂しさが。

なんというか、独特のものがあります。

日本の近代文学なんてろくに読んだことないし、安吾作品も教科書でちょろっと読んだだけ。だから「安吾の語り口」が独特なのか、「時代的に独特」なのか、それすらさっぱりわからないのですが。

今の小説とは趣の異なるレトロな感じがなんとも癖になります。

『明治開化』というタイトル通り、舞台は維新後の日本。作品が書かれた(掲載された)のは昭和25年から昭和27年にかけて。

「明治維新後」という舞台を借りて「戦後」の日本を描いてもいる……らしいのですが、私にはあまりそこはわかりませんでした(^^;)

まだ江戸の風俗が残る明治の世相、というのがまず面白くて。

維新のどさくさで重婚して、とか、南洋に真珠採りに行って一儲け、とか。「癩病を苦に病んで自殺」とか。

アニメ『UN-GO』で風守は「R.A.I (らい)」と呼ばれる人工知能になっているけど、これって「癩」だよね。風守の出てくる第3話・第4話の原案は『万引一家』と『覆面屋敷』で、『万引一家』の当主が「癩を苦に病んで自殺した」ことになってる。

風守が出てくるのは『覆面屋敷』の方で、「いるけどいない」風守は「てんかん持ち→だから人前に出られない」という設定。

原作の『覆面屋敷』は「存在しない風守」を存在させるために利用されていた青年英信の自殺で終わる。なんとも哀しいさだめ……。「跡継ぎ」とか「家」を守るために悲劇が起こるっていうのも、レトロな小説ならではの気がするよね。もちろん今でもそういう「家」はいくらでもあるのだろうけど、それで殺人事件が起こってしまうことに、読む方はもうあまり説得力を感じられないんじゃないかな。

この連作短編集は最初、勝海舟と結城新十郎との推理比べみたいになってて、虎之助から話だけ聞いてまず海舟が「○○が犯人だ」と推理し、それが新十郎によって覆されて、海舟が「やっぱり現場に行ってみなくちゃ本当のところはわからねぇさ」なんてうそぶく、という構図。

最初の何編かはこのパターンで、だんだん海舟はどうでも良くなって、最後の「トンビ男」では虎之助も海舟も、名前すら出てこなかった(と思う)。

アニメでは新十郎は「敗戦探偵」と呼ばれ、真相にたどり着いているのに「世間の都合」で海舟の推理の方が正しい、ということにされている。

そして原作の因果はむくつけきただのおっさん(笑)。

“花廼屋(※因果のこと)は薩摩ッポウで、鳥羽伏見の戦争ではワラジをはいて、大刀をふり廻して、ソレ、駈けこめ、駈けこめ、と、上野寛永寺まで駈けこんできた鉄砲組の小隊長であった。”

新十郎にくっついて事件現場に駆けつけるだけで、「一つだけ絶対答えずにいられない質問」をしたりはしません。別に、いてもいなくてもたいして変わりないような人物だったりします。

で、アニメでもテレビシリーズではその正体がはっきりしない新十郎、原作でもいきなり「名探偵」として登場して、「彼自身」のことはあまりよくわからない。

最初の『舞踏会殺人事件』では

“新十郎は旗本の末孫、幕末の徳川家重臣の一人を父にもったハイカラ男。洋行帰りの新知識で、話の泉の五人分合せたよりも物識りだ。それに鋭敏深処に徹する大々的な心眼を具えている。”

と紹介されている。

“推理の見事なこと、人の見のがす急所をついて、どのように奸智にたけた犯人も新十郎の心眼をだますことができないのである。そんなキッカケから、新十郎は虎之介の案内で現場へでかけるようになり、いくつかの難事件を手もなく解決して有名になった。
西洋博士、日本美男子、紳士探偵、結城新十郎の名は津々浦々になりひびき、新聞の人気投票日本一、警視庁は、探偵長に迎えたいと頼んできたが、キュウクツな務めは大キライとあって、オコトワリに及んだが、しかし彼も好きな道、雇いという軽い肩書で、大事件の通報一下、出馬して神業の心眼をはたらかすことになっている。”


新聞で「好きな探偵ランキング」とかやってたのか(笑)。

事件の真相を暴くために「名探偵」が必要だから存在する、という感じで新十郎自身に「ドラマ」というものはない。真相を暴いても被害者を救えなかったり、逆に「ここだけの話」にして関係者を救ったり、「ただ冷たく謎を解くわけではない」、多少の「人間味」というのは描かれているけど、でもやっぱり安吾の主眼は新十郎ではなく「事件そのもの」にある感じ。

事件と、事件を引き起こす人間模様の綾。

なんか毎回曲者がいっぱい出て来て、真犯人がわかっても「それはともかくあの人はどうなったの!?それだけ!?」という気分にさせられることも多く。

『冷笑鬼』なんかすごく面白かったけど、残された人たちは結局どういうふうに遺産を分けたのかな、って気になってしまう。

「トリックはそうだったとして、でも動機は?」とかね。

もちろん登場人物それぞれに動機はありそうに書かれていて、だから海舟先生と同じく私もほとんど真犯人を当てられなかったりしたんだけど、「真犯人はこいつ」って示されるだけでその後に犯人の供述とか苦しい胸の裡とかそういうのはなくすとんと終わってしまうので、なんかこう、物足りないというか落ち着かない気分になる。

「犯人にはもっともらしい動機があってしかるべき」「殺人を犯すからには~」っていうの、すり込まれすぎなんだね、きっと。

遺産相続で争っていたって、全員が全員人を殺すわけじゃないし、何かそこに「犯人ならではの特別」を求めてしまうのは、こちらの勝手な都合にすぎないのかもしれない。

短編だし、この、「え、これで終わり!?」という物足りなさも逆に余韻として「面白さ」を醸し出しているのかも。

シリーズとは別の『アンゴウ』(『UN-GO』6話の原案)も最後にうならされる話だったし、いくつかある安吾の他の推理小説も読んでみたいと思っております。


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