2012年10月20日土曜日

『双調平家物語』第12巻/橋本治~哀れなり重盛~



だいぶ間が開いてしまいました。

やっと読み終わった12巻。

読み終わった瞬間、「やったー、13巻終わったぁ!あと2冊!!」と思ったのですがまだ12巻でした(涙)。

ものすごく少しずつ読み進んだので、前半に書いてあったことを忘れてしまっています。もちろん11巻がどこで終わったのかも。

はい、おさらいしましょう。→『双調平家物語』第11巻~平治の乱の後始末~ 『双調平家物語』第11巻~始まる栄華~

11巻の前半は義朝の遺児達がどうなったかというお話で、後半は滋子ですね。後白河院の寵を得てその子(後の高倉天皇)を生む、清盛の妻時子の異母妹、平滋子。清盛に対して「東宮宣下はないと思え」と釘を刺していた摂関家の長・忠通が死に、後を継いだ基実も早世。

後白河院以外に「権力」を持つ者がいなくなり、中心を欠いた朝廷のその「空白」に否応なく吸い込まれていった清盛。

望むと望まざるとに関わらず(もちろん全然望まなかったということはないだろうけど)“栄華”の階段を上らざるを得なくなった清盛。

という状況で、12巻です。

清盛は、争わなかった。彼が争う前に、彼の行く道を塞ぐ男達が、争って斃れた。清盛はその後を行った。清盛が栄華を望まなかったわけではない。しかし、清盛が動くその以前に、勤勉を嫌い、権勢を望んだ男達の我執が、清盛のために道を開いていた。 (P23)

栄華を得たその後になって、清盛は、「人の嫉み」という敵と初めて出合わされることとなる。しかし、「嫉み」を敵として、これをかわす術を持つだけの成熟が、清盛とその一門には持ち合わされていなかった。 (P23)

ただ一人清盛の嫡男重盛だけがそういう“王朝の作法”を知り、なんとか“王朝貴族”の仲間入りをしたいと骨を折るわけですけど、これが清盛には理解されなくて、父子の間にはどんどん溝ができていく。

成親に引っかかったのが重盛の運のツキだったような気はするけど、巻を追うごとにどんどん可哀想になっていく重盛。

と、その前に。

「前の相国」となった翌年に病を得たことも、髪を下ろして仏門に入ったのも、その達成の安堵と虚しさゆえである。 (P30)

太政大臣の地位にまで上り詰めた清盛はしかしそれをすぐに辞任して、出家します。

大河ドラマでも、私が12巻を読めずにいるうちに第3部になって坊主頭の清盛になっていますが。

出家して「浄海」の名を持ちながら、清盛は、俗世を厭う女の心を理解出来なかった。厭われ、拒まれたのは、世を捨てながら俗世にある、清盛だったのである。 (P55)

この時代の公卿の“出家”というのは清盛に限らずみんな「名ばかり」だったんじゃないでしょうか。信西も出家してから朝政に食い込んできたし、むしろ“出家”することでそれまでのしがらみ、どうしようもない生まれの違いを超えて自由に行動できるような。

もちろんその自由でどんなことができるかは本人の才覚によるところが大きいでしょうけど。

『源氏物語』宇治十帖の最後で浮舟が出家して、「あー、すっきりした。これでやっと“自由”になれる!」みたいな描かれ方してるんですけど、生まれ持った“身分”というものから逃れられない平安の貴族達にとって、“家を出る”“俗世を捨てる”というのは“仏に帰依する”とはまったく違う意味を持っていたんでしょうね。

が、しかし。

清盛は依然として生々しい。

坊主になって福原に隠居して“枯れる”というようなことは全然ない。

12巻の前半、白拍子“祇王”と清盛とのエピソードが描かれます。滋賀の野洲に“祇王寺”というゆかりのお寺があって、大河ドラマのおかげで来訪者が増えているそうです。(滋賀咲くさんのblogに野洲の祇王寺と、祇王の物語についての記述があります。)

本筋とはあまり関係のないお話なのですが、“女”を理解しない――白拍子の“プロ”としての自負を理解しない清盛の、「ただのスケベなおっさんぶり」が伺えるエピソードで、なかなか面白いです。

清盛に限らずあの時代に女の“プロ意識”を理解してる男なんて(女でも)そうそういなかったんでしょうけどね。

都で一番の白拍子と謳われた女が、清盛という権力者の気ままに振り回され、二十歳やそこらの若さで尼になる。“厭われ、拒まれたのは世を捨てながら俗世にある、清盛だった”。

ホントに男ってやつは。

で、さて。

清盛が白拍子を囲って楽しんでいる一方、嘉応元年春、滋子が建春門院となります。その6月には後白河院も出家して法皇に。この人も「出家」したからどうなんだろう、という感じで、まだまだ権力振るう気満々、オレより偉い奴は許せねぇぜ、って感じのまま。

ただの上皇より「法皇」の方がより偉そうだから出家したのかな……。

この頃、平家の棟梁の座についていた重盛は病に伏せっていて、再び清盛が一門の長として動かざるを得なくなっています。まぁ重盛が元気でも、「口出したくてうずうずする」感じに描かれているんですけどね、清盛。

それに、やっぱり清盛がいなければ平氏はまとまらなかったらしい。

栄華の一族の内実は、決して順調ではなかった。清盛の強大なる統率力があればこそ、この一族は栄華の枝葉を茂らせていた。しかし、清盛が一歩退けば、その栄華の一族の幹にあるのは、偽りの緑を茂らせる宿り木ばかりなのだ。 (P67)

重盛では一族を統率できない、ってことなんですけど、なんでそうなるかと言うとやはり重盛が時子の実子ではないことが大きい。大河ドラマでも森田剛くん扮する時忠が何かと宗盛を焚きつけていますが、正妻の子がなぜ異腹の兄より下でなければならないのかという。

宗盛に、重盛へ従う必要はない。取るに足らない高階の女の腹から生まれた重盛は、正妻時子の生み落とした弟宗盛のために、一門の繁栄を支えるのだ。それはかつて、清盛の役目だった。 (P74)

大河ドラマでは時子は明子のことを尊重していますし、明子は早世しただけで「妾」というのでもないのですけど、公家平氏の時子に比べ明子の身分が低かったのは事実で、宗盛にとっての時忠のような有力な母方の叔父というものが、重盛にはいないのですよね。

しかも同腹の弟はもう亡くなってしまっている。

その慎重で理屈っぽい、武者の子らしからぬ性格も相まって、重盛は一門の中では孤立している。

これって本当にかつての清盛と家盛との関係と同じで。

清盛は妾の子どころか忠盛の子でさえない(『双調平家』ではそうは描かれてませんが)、正妻腹の家盛こそ平氏の跡継ぎにふさわしいという話が周囲ではずっとあって。

家盛亡き後には頼盛(とその母である池禅尼)との確執がある。

まだ清盛の時代には力がなかったから、「一族の栄え」を目指して「結束」も図れたけれど、栄華を得てしまった重盛の時代にはどちらが棟梁の座につくかは外に対する「権力」の大小に直結する。

忠盛パパはわりと早く亡くなったこともあり、一族はともかくも清盛を中心にまとまらざるを得なかった。けれど清盛は隠居したとはいえ健在で、最終的には「清盛がなんとかしてくれる」があるから、逆に子ども達は甘えて好き勝手にしてしまう。

父が健在である以上、宗盛が「ただ先に生まれただけの異腹の兄」に従う必要を感じられなくても仕方がない。

宗盛が物心ついた時にはもう「平家」は十分に力を持っていて、彼は最初から「お坊ちゃん」だったろう。でも重盛はそうではない。

最初から自分が「王朝貴族」であることを疑っていない宗盛と、「王朝貴族」への憧れ、「その仲間入りをしたい、しなければ」という思いで育ってきただろう重盛。

清盛は、重盛に自身の分身を見ていた。それは、「力ある男」である。一方、宗盛には、「望みようのなかった夢」を見ていた。(中略)その、煩わしい働きとは無縁の、優雅なる高貴を。正妻の時子が宗盛の優越を願うことを、無下に斥けなかった。宗盛と重盛と、二人の息子は、清盛にとって優劣のつけがたい「二つの分身」であったのだから。 (P75)

男って勝手ですよねぇ。

男にとっては正妻が産もうが妾が産もうが「俺の子」は「俺の子」(実際にそうかどうかはわからないんだけどね)。でも女はそうはいかない。「自分のお腹を痛めた子」と「別の女が産んだ子」の間には厳然たる違いがある。

たとえ時子がその違いを気にとめず、重盛を嫡男として認め、扱ったとしても、宗盛に向かって「おまえは正妻の子なんだぜ」と吹き込む時忠のような人間がいる。

「実の母」を亡くし、後ろ盾となる叔父もいない重盛を守れるのは「父」である清盛しかいないのに、「時子が宗盛の優越を願うことを無下に斥けなかった」ってなー。清盛自身は忠盛パパにすごい守ってもらってたくせに。

そんな可哀想な重盛は「王朝貴族」に憧れ、平氏を「成り上がり」ではなく「立派なその一員」にしたいと日夜(?)心砕いているのですが、彼にとって「王朝貴族」を代表する人間であるのが、藤原成親。

十五の歳、その美貌と性技の巧みさによって悪左府頼長を嘆賞させた魔性の男(成親のこと)は、清盛の嫡男重盛に取り憑いていた。 (P59)

成親にとって、人の世のすべては、彼自身に恵みをもたらすだけの存在でしかなかった。成り上がる平氏は、成親を潤わさなければならない。そして、成り上がった平氏には、成親を従わせる力などない。事の当然の帰結として、成親はやがて、平氏を悪(にく)む敵対者へと変わって行く。 (P61)

成親のあり方というのは本当にあの時代の「王朝貴族」の集大成のようなものでしょう。どれほど出世しても「所詮武者の子」と侮られる重盛が、彼を「貴族の中の貴族」として眩しく見るのは致し方のないことではあります。

愛されることばかりを当然とする王朝の男と出合って、重盛は、その男の望むがままを演じた。それこそが、父の格闘した王朝の世に容れられることと信じた。 (P90)

でも成親の方は重盛を「都合のいい取り巻き」としか考えない。重盛がどんなに尽くしても、それを「恩」などとは感じない。だからちょっと機嫌を損ねればたやすく「敵」として憎む。

ああ、哀れなり重盛……。

で、重盛が自身の一族より成親を大事にするように見えることが、清盛には腹立たしい。重盛にしてみれば、「なんで父上はおわかりにならないのだ!」なのだけど。

院のお気に入りである成親を無下に扱えば、世の貴族達は「平家の横暴、非道」と譏るに決まっている。成親を救うのは平家のためなのに。

重盛の心のうちが理解できず憤る清盛を、腹心である藤原邦綱が宥めすかすのだけど、その一節がふるっている。

「“真実”とはまた、難しいお尋ね。“そのようにも解されます”と思われますことの方が、役にも立たぬ真実よりは、遙かにまさって利のあることと、思し召されませぬか?」 (P89)

邦綱さん超カッコいい! 大人だなぁ。

その後、いわゆる「殿下乗合事件」が起こります。重盛の息子が摂関家の基房に辱められるという事件。「摂関家に礼を取らなかったおまえが悪い」と重盛は息子を叱るのですが、清盛も、一族の者も、それでは気が治まらない。太政大臣にまでのぼりつめた男の孫がひどい目に遭ったのだから、相応の復讐はしてしかるべきと。

もはや摂関家の威光なんてあってなきがごときものなのだし。

頑として父の言を容れない重盛はしかし、最後の最後で基房を襲わせる。そしてさっさとその咎を引き受けて蟄居する。

重盛は、「大事の咎」を身に引き受けるため、参内の基房を襲撃させたのである。それこそが、重盛の「報復」だった。摂関家へ対してではなく、我意を通そうとする福原の父入道へ対しての――。 (P121)

なんというか、まぁ、重盛も屈折してるよね……。「賢しいだけの子どもが!」「賢くて悪いか!」みたいな。

重盛ももっと自分の口から説明すれば良かったのにと思うんだけど、重盛のくどくどしく理屈っぽい、どうしても「お説教」のようになってしまう語り口(橋本さんのセリフ描写、素晴らしいです)では、どのみち清盛には理解できないのかもしれない。耳を貸そうともしなかったかも。

清盛には、なぜ重盛が「王朝貴族」にそこまですり寄るのかがわからない。邦綱に愛され、父忠盛に愛された清盛には、重盛の「愛されない哀しみ」がわからないんだ…。

もっと清盛が重盛を無条件に愛してやっていれば…そして明子が生きていれば……。

父の威勢と院のご寵によって正二位の権大納言にまで上った平重盛は、摂関家を頂とする王朝社会の秩序の保持を、「一門の栄え」のその上に置く男だった。(中略)栄華の頂に立って世を退いたはずの男にとって、最大の敵は、愛すべき自身の嫡男だったからである。 (P122)

結局は、王朝世界から排除され、滅ぼされてしまう平家。もしも重盛が長生きしていたら、あるいはもっと早くに清盛が亡くなってしまっていたら……どうなっていたのかなぁ。

「平家滅亡」という「その先」を知っている者としては、一族の栄華よりも「秩序の一員として生きる」を選ぶ重盛の方が正しいように思えてしまうけれど。


続きます。

2 件のコメント:

  1. お、待ってました。大河の方もいよいよ負け犬オヤジが酔っぱらってくだを巻く鹿ケ谷の陰謀回に入りますね。
    双調平家において歴史は人の営みが動かしていく以上、
    世代間・父子の見解の相違もまた重要になってきますか。
    天皇も貴族も武者も等しく人なのだから当然っちゃ当然なのですが、
    読んでると日本におけるその始まりはやっぱり蘇我蝦夷・入鹿からでしょうね。
    子が学問から来る自身の意向を示そうとも父は「知らねーよんなもの、いいから我が家のありようを乱すな」で一蹴しちゃうんですよね。
    それがために入鹿はますますオヤジの言う事なんかききたくない!路線を突っ走って、結果討たれてしまうわけでして。
    出家については、
    神仏の庇護の下、死後は極楽浄土へ。
    それはそれとして生きてるうちは俗世で色々と――そんな感じだったのでしょうね。
    日本人の「普通のよりハクが付いてるやつの方がなんか得した感じがする」
    限定版やらブランド嗜好の元祖って、ここからかしら。
    そういうのはワタシもありえなくもないし(笑)。

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  2. ��創様
    いつもコメントありがとうございます[E:happy01]
    ちょっとサボってる間に大河ドラマの方が進んでしまって、読むのが追いつかず焦っています[E:sweat01]
    「日本におけるその始まりはやっぱり蘇我蝦夷・入鹿からでしょうね。」
    ああ、そうかもしれませんね。
    『日出づる処の天子』を見ると蝦夷自身にも父である馬子との葛藤があるし、「父子関係」というのはいつの世も難しいものなのでしょうね。
    「時代の転換期」には「古い価値観」と「新しい価値観」の対立が「父子の対立」としてもはっきり現れてくる。
    私たちが知る日本の歴史の中でまず最初に現れたのが蝦夷・入鹿ということになるのでしょう。
    「日本人の「普通のよりハクが付いてるやつの方がなんか得した感じがする」」
    まさにwww
    『双調平家』読んでるとホントに日本って神と仏が当たり前に同居してるんだなと思います。
    神を祀る祭祀のトップである天皇が「ハクがつく」みたいなノリで出家しちゃうんですものねぇ[E:coldsweats01]

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