シメさんこと紫苑ゆうさんが出演されるということで。

『ベルサイユのばら45』梅田芸術劇場2月17日12時公演に行ってきました。

ぎゃーーーーーっ、シメさぁーーーーーん!

シメさん、ネッシーさん(日向薫)、マリコさん(麻路さき)、この3人の並びだけでもう、1万3千円奮発した甲斐があるっ!!!
(でも今日から毎日お茶漬け!)

はぁ。

ホントにねぇ。

公式サイトを見ていただければわかるように、この公演、毎日微妙に出演者が違いまして、一口に「シメさんが出てる」と言っても、「ソング」だけの日、「ソング&トーク」の日とあって、トークも日によってメンバーが違ったりする。

シメさんだけじゃなく扮装での名場面ダイジェストも色々パターンがあるので、キャストスケジュールと自分の行ける日を付き合わせてにらめっこ。

カリンチョさん(杜けあき)が出ている日も捨てがたい、と思ったけどやっぱり星組、我が青春の星組「1989年星組」と銘打たれた17日の12時公演、君に決めた!というわけで。

ぎゃーーーっ、シメさーーーん!ネッシーさーーーーん、マリコさーーーん!

正直「ソング&トーク」コーナーって、それぞれ1曲ずつしか歌ってくれないし、トークも決して長くはなく(なんせカーテン前での立ち話(笑))、あまりに短いさびしいコーナーなんですけど、それでもこの3人が並んでくれるとむせび泣かずには。

まず深い青の衣裳(もちろんアンドレをイメージしたものでしょう)でマリコさんが「白ばらの人」を歌い、シメさんが「今すぐ宝塚大劇場の舞台に立てます!」という白いフリフリの麗しいお衣裳で「愛の巡礼」を思い入れたっぷりに。

ね。

ほんと、髪型からメークから衣裳から、シメさんはほんと「ザ・男役!」でもう。
退団されてずいぶん経つのに全然変わらない。
美しい。
麗しい。
色っぽい。
永遠の白薔薇の君。

一人だけ空気が違う。

続いて真っ赤な衣裳でネッシーさんが「男の旅立ち」をお歌いになるわけですが、ネッシーさんがまたとってもカラリとネッシーさんでねぇ。
明るく可愛らしいんだよねぇ。

現役時代も太陽と月、非常に好対照なお二人だったけど、「ザ・宝塚!」で出てくるシメさんと、ごく普通に「女優さん」な感じで軽やかに、でも格好良くフェルゼンの歌を歌われるネッシーさん。

そこにほんわかマリコさんが加わった3人での「星組トーク」。

ネッシーさんも「この並び!懐かしいね~!」と言っておられたけど、ホントにあの頃の星組ファンにはたまりません。
「三兄弟と呼ばれて…」と言うマリコさんにすかさず「背が高いだけの三兄弟!」と突っ込むシメさんがまた。

「この見た目!このトーク!お変わりなく(笑)」ってネッシーさんに言われてた気がする(すでに細かい記憶がアレなので間違ってたらすいません)。

永遠の白薔薇の君でありながら喋ると神戸のおもろいおばちゃんなシメさん、ほんま好き。

当時の星組『ベルばら』東京公演、東京宝塚劇場最晩年時期で故障が多く、大セリが上がらずアンドレが床の上で死なねばならなかった(普通は舞台奥の迫り上がった欄干上で死ぬ)エピソードとか、新人公演でネッシーさんの役(フェルゼン)をやったマリコさんに、ネッシーさんがそれはそれは熱心に指導してくれたお話とか。

セリ上がらなかった話はこれまでにも聞いたことあったけど、改めてマリコさんとシメさんの漫才(笑)で聞かせてもらうとホントに楽しいし、それでも大真面目に(当たり前)舞台を務めなければいけない大変さ、どんな状況でもそれぞれにオスカルとアンドレをまっとうするお二人の舞台人根性。

すごいなぁ。

マリコさん、床で死んで、体中あざだらけになったって。
欄干で死ぬよりもっと激しく死ななきゃならなかったからって……。

新人公演の話では、「体にぴったり合わせた方が絶対綺麗だから!」とネッシーさんが衣裳を直してくださった、ベルばらの衣裳って直すの大変なのに……と。「でもそれほどじゃなかったでしょ?ノルはこう(身振り)だったけど」と返すネッシーさん。あの身振りは「脚が長い」という意味だったのかしら?

シメさんが「まだ新公の学年でアンドレだよ!」って突っ込んではったけど、ホントにねぇ。あの時マリコさん、まだ研7以下だったってすごくない???

以前『オスカルとアンドレ考at宝塚歌劇』という記事でも書いたけど、私は歴代アンドレの中で(※もちろん自分が見た中で、ってことよ)マリコさんのアンドレが一番良かったな、好きだな、と思っているので、「まだ新公やってる学年だった」ってことに今さらちょっとびっくりしてしまって。

件の記事に「まだ若くてちょっとぎこちないくらいの演技がいい」とか好き勝手書いてますけども、そして実際「あの時だからこそできたあのアンドレ」でもあったんだろうとは思うんだけど、ネッシーさん、シメさん、マリコさんと「並び立つ」3人、マリコさんめっちゃ下級生やったんやな、と改めて。

色々苦労もあっただろうなぁ……。

あの星組の『ベルばら』、その前の『ディガ・ディガ・ドゥ』からニューヨーク公演で「主要メンバーを10数人(ネッシーさんはちゃんと人数をおっしゃったけど忘れてしまった(^^;))も取られて!」、宝塚ではシメさんのオスカルが見られなかったんだよね。もうホントあれは歌劇団大失敗にも程があるよ。今でも許せないよ。

『ディガ・ディガ・ドゥ』と『春の踊り』もすごく好きな作品だったのに、後半シメさんがニューヨーク公演のプロモかなんかで休演のところがあって……前売り買う時にはそれ知らなかった気がするんだけど……。

ホントにねぇ。

オスカル命!のシメさんに宝塚大劇場でオスカルをさせず、その後の東京公演でのオスカル映像も残していないとか歌劇団、バカなの!?死ぬの!!!???

映像っていえば今回冒頭に「昭和のベルばら」と「平成のベルばら」の映像がちょろっと流れたんだけど、昭和はNHK提供で、平成の方は関西テレビ提供になってた。

歌劇団自身は映像を持ってないんだろうね。
当時はまだDVDでの舞台映像販売など当然なく、VHSさえなく、「実況CD」の時代だったんだもんな(遠い目)。

ちなみに星組『フェルゼンとマリー・アントワネット編』の実況CD持ってます。



関テレで放送されたのは大輝ゆうちゃんオスカルなんだけど、この実況CDはカナメさん(涼風真世)オスカル! 音声だけでも世界に引き込まれるわ……。むしろ音声だけだからこそ鮮明に思い出が……。

と、話が飛びました。
3人のトークのところで、『ベルばら』の前が『ディガ・ディガ・ドゥ』で、『ディガ・ディガ・ドゥ』ではマフィアだったのが一気にロココの貴公子で、「お稽古場でネッシーさん見た時に別人かと思った」とマリコさんが。

お稽古場といえばシメさんは花組『フェルゼン編』にもオスカル役で特出されたのですが(私見た記憶がないわ…チケットGetできなかったのね……)、その際「花組といえばダンサーズ、お稽古場でもTシャツにタオルという出で立ち、そこへわたくしこの格好で乗り込みまして! 引かれました!」。

あははははは。

「形から入る星組」「だって宝塚だもん、宝塚はコレでしょ!」(※うろ覚えなので正確にこうおっしゃったわけではないです)

同じ「宝塚」でも組によって全然違う、あの頃は(私が知らないだけで今でもなんだろうけど)ほんと組のカラーがはっきりしてたよね。

当日、客席2列目ぐらいにジュンベさん(洲悠花)がいらして、「ジュンベは私のお稽古着に合わせてスカートの色変えてたんだよ!この話ね、いつも音楽学校でするの」とシメさん。

ああああ、ジュンベさんも好きだったよぉぉぉぉぉ。あやちゃんが来るまでシメさんのお嫁さんはジュンベさんだったんだもんね。シメさんが何色を着てきても合わせられるようスカートを全色(って具体的に何枚だったんだろう)用意していたジュンベさん。

愛だろ、愛。

「うちのロザリーが」ってシメさんが(ネッシーさんだったかな?)言ってたけど、ジュンベさんもニューヨーク公演メンバーで東京にしか出てなくて、関テレの映像も実況CDも、ロザリーは綾瀬るりちゃんなんだよなぁ。

ジュンベさんならジャンヌも最高に良かっただろう、と思うけどあの時のジャンヌは花愛望都ちゃんで花愛さんも良かったんだよなぁ。出番少なかったけど。

あの頃の星組の舞台、タイムスリップしてもう一度観たいわほんま。

(お三方のトークの話だけで長くなってしまった。他のコーナーの話はまた次回