第2巻です。(1巻の感想はこちら

この巻では、1巻からほのめかされていた「エスターの実の母親はあの人」というのがはっきりします。

もちろん、読者に提示されるだけで、エスターはまだまったく知らないんですけれども。

その謎に我知らず関わってしまった浮浪児のジョー。「知らない女の人を案内する代わりお金をもらったこと」が、彼の運命を大きく狂わせていきます。

思いがけず大金を手に入れて、でもそれで美味しいものでも食べられるかというとまったくそんなことはなく、周囲にたかられ、大人たちからは不審がられ、当局の目に止まってしまって、「ここにいてはいかん!」と言われる。

そんなこと言われても、ジョーには行くところなんてないのに。

「でも、どこに行きゃいいんだよ?」(中略)「それについての指図は特にありません。本官はこいつを動かすよう命じられておるのです」
聞いたか、ジョー?(中略)お前のためにあるのは「そこから動け!」というただ一つの崇高な処方、深遠なる哲学的訓令だ――これこそこの世にお前が存在するという不可思議な問題の本質なのである。「この世から消えろ!」と言っているのではないぞ、ジョー。 (P104)

「この世から消えろ」=「死ね」と言われているわけじゃない。
でも結果的には同じこと。
そしてジョーをそのように追い立てた側は、その後の彼がどうなったか気にもしないどころか、彼に「動け」と命じたことすら忘れてしまうのだろう。

2巻の終盤でジョーはエスター達と出逢うんですよね。
熱病にかかって、ひどい具合のジョーを、エスターやジャーンダイス氏は一晩泊めてやる。でも翌朝にはジョーはいなくなってしまっている。

「ここから動け!」と言われたから。
「どこかへ」行かなければいけないから。

「そんなところで寝ていたら死んでしまうわよ」と言われても、ジョーは

「どこにいたって、死ぬよ。じぶんの部屋でも死ぬし」 (P462)

と答える。
エスター達のもとに来る前、別の人が彼をどうにかしてやろうと役所に掛け合ってくれていたんですが、昔も今も変わらない。たらい回しにされるばかりで、役所は彼の面倒を見ようとはしない。

「ひどい話じゃないか。あのみじめな子が有罪判決をうけた犯罪者なら、簡単に病院に入れるし、国じゅうのどんな病人にもおとらない手当てをしてもらえるのに!」 (P466)

いや、もう、ホントね、ディケンズの時代から変わってない。いっそ罪を犯して刑務所に入った方が衣食住に医療まで保証されるという矛盾……。

ジョーは盗みを働いたわけでもなく、ただつつましく、本当につつましく、社会の隅っこで、たった一人でどうにか生きているだけなのに、ただ生まれてきたことが罪だと――存在すること自体が罪だと言わんばかりに、「どこかへ行け!」と追い立てられる。

ジョーが「案内した知らない女の人」というのはデッドロック夫人なのですが、もしや彼女だったのではないかと勘ぐった連中によって、ジョーは試されるんですね。「この女だったか?」と。実はそれはデッドロック夫人ではなく、ただ彼女の服を着ただけの別人で、ジョーは困惑する。
そしてエスターに会って、ジョーはさらに混乱。

「このひとさ、あのひとじゃないんだろ。てことは、あの外人でもない。じゃ、ぜんぶで三人いるの?」 (P463)

この人=エスター、あの人=デッドロック夫人、ということで、エスターとデッドロック夫人が似ていることが示唆されているんですけども(あの外人というのはデッドロック夫人の服を着てただけの女性のこと)、本当にジョーが可哀想で。

わけのわからないことに巻き込まれ、誰も何の説明もしてくれず、ただ「ここからいなくなれ」とだけ言われて。

もちろん「三人いるの?」なんて言われたエスター側の人々もジョーが何の話をしているのかさっぱりわからないから、答えてあげようがない。
2巻の終盤で行方をくらましてしまったジョー、3巻以降で無事な姿を見せてくれるのかどうか……心配すぎる。

1巻で心を通わせ合っていたキャディーとプリンスはめでたく結婚するのですが、アフリカへの慈善事業で頭がいっぱいのキャディーの母と、「立ち居振る舞いの権威」でしかない無職のプリンスの父の態度ときたらまったく。

ほんとに、読んでて「うわぁぁ」ってなります。キャディーの実家、慈善事業のおかげで破産してるのに、まったく変わらず慈善を続けている。自分含め、子ども達もろくに食べるものもないぐらいの状態になってるのに。

わたしはすぐちかくにいる、ニジェール川左岸に移住してもいないし、しようともしていない一つの家族のことをかんがえ、どうして夫人がこうもおちついていられるのか、ふしぎにおもいました。 (P241)

というエスターの感慨が控えめすぎるぐらい。
娘が結婚するということにもほぼ関心がないからね。もしエスターと知り合ってなかったら、花嫁衣装を用意することもできなかったろうキャディー。

彼女がこのずさんな実家にみれんをもち、愛情をこめて母親の首にすがるすがたはわたしたちの胸をうちました。 (P443)

これほどネグレクトされていながらなお子どもは親を慕うってほんとつらい……。

ディケンズの作品には孤児だったり、家庭に恵まれない子どもがたくさん登場するけど、ちくま文庫版の2巻の解説に、「それはなぜか」ということが少し書いてありました。
ディケンズは孤児ではなかったけれど、12歳で工場に働きに出され、親兄弟と一緒に暮らすことができなかった。そして家計が好転した後もしばらく学校に行かせてもらえなかったそうで。

その当時彼が感じた、両親に見捨てられ、いやしい身分に落ちたという孤独感、絶望感、屈辱感は彼の一生を決定する重大な体験であった。この体験は(中略)彼の心に一生消えない傷を与えた。 (ちくま2巻解説-P462)

岩波文庫の1、2巻には解説的なものが何もないんだけど、最終4巻にどーんと付いてくるのかな。

ちなみに2巻の収録範囲は1巻同様岩波もちくまも同じ。原著が同じ箇所で分冊になっていたりするのかしら。
岩波の訳の方が今から読む人には読みやすいと思うけど、一箇所、岩波で「?」と思った箇所をちくまで確認したら全然違ってて、ちくまの方が親切かもと思った。

エスターがエイダに向けて言うセリフに、

「ずいぶんあなたは東風のことをご存知なのね。私のみにくい、いとしい子(アグリー・ダーリング)」 (ちくま2巻-P395)

っていうのがあって、「みにくい、いとしい子」の部分に「アグリー・ダーリング」という振り仮名が振ってあるのね。
その上で、“「アグリー・ダーリング」は「みにくいあひるの子(アグリー・ダクリング)」にかけた言葉か”、と訳注がある。

で、岩波の方は

「あなたはさぞ東風についてよくごぞんじでしょうね、この鬼瓦ちゃん」 (P448)

となっていて、原著の言葉は紹介されておらず、訳注もない。唐突に出てきた「鬼瓦」という言葉に、読んでて「?」となりました。そもそも「鬼瓦」ってイギリスにはないだろうし、エスターがエイダに向かってなんで「鬼瓦」なんて言葉を使うのか謎すぎる。

違う訳を読み比べるのはやっぱり面白いですね。
ちなみにさっきのジョーが混乱してたセリフ、ちくまではこんな訳。

「この女の人はもう一人の奥さんじゃねえっていうけど、あの外人でもねえ。そんなら、女の人が三人いるのかい?」 (ちくま2巻-P408)

やっぱりちくまの方が親切な訳かも。その分冗長とも言える。

あと、2巻で印象に残ったのはバグネット夫妻の描写。
ジョージという男が、相談に乗ってもらうために元同僚のバグネット氏を訪ねるんだけど、実際に相談するのはバグネット氏じゃなくてその奥さんの方なのね。非常に賢明な奥さんで、バグネット氏の方も妻には全幅の信頼を置いてるんだけど、でも「あれの前ではそうは言わん。規律は守らねばならん」って、亭主関白を装ってるわけ。

で、ジョージの相談事を聞いて、バグネット氏は「俺の考えを言ってやってくれ。わかってるだろ」って奥さんに返事させる。
またその奥さんの返事が完璧なのです。

本心のわからぬ相手とはなるべく関わりをもたない、よく理解できない問題に首を突っ込むのはできる限り避ける、単純明快な原則として後ろ暗いことは一切しない、こそこそした秘密の話には加わらない、地面がよく見えないところには足を下ろさない (P365)

素直に最初から奥さんに相談すればって思うし、バグネット氏も「俺の考えを言ってやれ」って何、と思うんだけど、この夫婦はこれで間違いなくうまく行ってるんだろうし、「あれの前ではそうは言わん」と言っても、バグネット氏が妻を愛し信頼していることは普段から妻にもよくよく伝わってるんだろうから、「いい夫婦」なんだよね、きっと。

こういう夫婦関係をさらっと書くディケンズの「人間観察力」、さすがだなぁ。

エスターも、三人称で描かれる「色々画策する人々」の方も「え!?どうなるの!」というところで終わったので、3巻を手に取るのが楽しみです。