学生時代、ディケンズをけっこう読んでいました。
きっかけは宝塚で上演された『大いなる遺産』。舞台がとても良かったので原作を手に取り、そこから『オリヴァ・ツイスト』や『マーティン・チャズルウィット』、そしてこの『荒涼館』も読みました。

その時はちくま文庫版で読み、全4巻の3巻ぐらいまでは面白いんだか面白くないんだかよくわからないままとにかくページを繰り、終盤になってやっと「面白かった!」になった記憶が。

ドストエフスキーの『悪霊』も学生時代はよくわからなかったのに、大人になって読み返したらめちゃめちゃ面白かったので、『荒涼館』も読み返してみたいな、と思って早や数年。

知らないうちに(2017年)岩波文庫から新訳版が出ていたので、せっかくだから手持ちのちくま版ではなく岩波版で読んでみることに。

ちなみにちくま版は1975年に「筑摩世界文学大系」として出たものを1989年に文庫化したもので、前半と後半で訳者が変わっています。

ちくま文庫第1巻の裏表紙記載のあらすじはこんなふう。


岩波文庫版1巻見返しのあらすじ紹介は

「おまえはおかあさんの恥でした」――親の名も顔も知らずに育ったエスターと、あまたの人を破滅させる「ジャーンダイス訴訟」。二つをつなぐ輪とは何か? ミステリと社会小説を融合し、貴族から孤児まで、一九世紀英国の全体を描き出すディケンズの代表作。

となっています。
ちくま版では「エスタ」なのが「エスター」、「ジャーンディス」が「ジャーンダイス」と、人名表記に若干の違いがあります。

どちらも全4巻で、1巻は十六章までが収録されているのも同じ。

原著は1852年~1853年の出版。日本ではええっと、黒船来たのが1853年らしいです。そこから「幕末」が始まる、という時期に海の向こうではディケンズさんが活躍していたわけですね。

お話はエスターが一人称で語る部分と、エスターのいないところで起こっていることを三人称で語る部分と両方で進み、この、三人称の部分がなかなかとっつきにくい。
特に最初、第一章と第二章が三人称語りで、裁判所の様子だったりするので……ここで挫折してしまいそうになる(^^;)

三章でエスターの語りが始まると俄然読みやすく、面白くなるんですけど、三人称の部分は読むのがめんどくさい。特に最初は登場人物にまだ馴染みがないし、この後誰がどういうふうに絡んでくるのか、どのエピソードがどう繋がってくるのか、そこだけで終わりの人なのか、後々重要になってくる人なのか……さっぱりわからない。

今これを書くために最初の方ぱらぱらとめくって、「あ!ここと最後のところが繋がってるのか!」ってやっとわかったぐらい。あはははは。

で。

ヒロイン・エスターはみなしごで親の顔も名前も知らず、厳格な代母のところで育てられました。母親のことを知りたい、とエスターが涙ながらに訴えても、代母は

「エスター、おかあさんはおまえの恥です。おまえはおかあさんの恥でした。(中略)わたしはおまえのおかあさんにうけた仕打ちをゆるしました」 (P52)
「いまわしい誕生の日から孤児となって悪にそまった不幸なじぶんのために毎日いのりなさい」 (P52)

とぴしゃり。
「いまわしい誕生の日」なので、エスターは他の子のように誕生日を祝ってもらうこともなく、他の子のお祝いに呼ばれることがあっても代母が勝手に断りの手紙を出してしまう始末。

年端もいかない子どもにそこまで言わなくても、と思うんだけど、ここで読者は「一体彼女の母親はどんな人物だったんだろう」と想像をたくましくしてしまいますよね。
おそらくは、代母の妹とか、近しい存在で、道ならぬ恋をして結婚もせず子どもを産んだとか、そういう感じなのだろうと。それなりの身分の家ならば、そういう出産は「家全体の恥」、隠し通すべき悪、だったのでしょうから。

でも、そんな冷たくきびしい仕打ちをされてもエスターはその心根を歪めることなく、健気な想いを抱いて育ちます。

生まれたときからわたしにつきまとっている罪をつぐなうために力をつくして、おおきくなったらしっかりはたらき、不平をいわず、ひとに親切にふるまい、善行をほどこし、なろうことならだれかに愛されたいわ、と。 (P53)

代母が亡くなり、エスターはジョン・ジャーンダイスという人物の庇護で学校に行かせてもらうことになります。「そこでのちのち生計の手段となる技能を学ぶように」と。
謎の「ジャーンダイス対ジャーンダイス訴訟」に関わりのあるジョン・ジャーンダイス、エスター自身も訴訟の関係者っぽいのですが、本人は何も知らされずに育っています。何しろ母親のことを尋ねても「恥です!」としか教えてもらえなかったんですから、自分の出自について、代母と自分の関係についてさえ、エスターは知らない。

学校で自分自身学ぶとともに、年下の子ども達の面倒も見てよく慕われ、幼少期とはうってかわって愛情に満ちた6年間を過ごしたあと、エスターはいよいよ「荒涼館」へ。

ジョン・ジャーンダイスの屋敷が「荒涼館」なのですが、「うっそうとしてさびれた恐ろしい館」では全然ありません。先代から受け継いだ時には荒れ果てていたらしいけれども、エスター達がやってきた時には「居心地のいい家」になっており、主人であるジョン・ジャーンダイスもとってもいい人。

はぁ、良かったねぇ、と読みながら思ってしまいます。
あんな子ども時代を過ごした後だし、「荒涼館」というタイトルからして、その後も苦難の道が続くのでは、とつい予想してしまったから。引き取られた先もひどい家なのでは、と。

むしろ「荒涼館」の外がひどいんですよね。

ジャーンダイスの指示で一晩泊まったジェリビー夫人の家。アフリカへの慈善事業に没頭するあまり、家のことも子ども達のことも省みないジェリビー夫人。母親にこき使われるばかりの娘キャディーは、「死にたいわ!うちじゅうみんな死ねばいい!」と嘆きます。

「子としてのつとめなんて、やめてちょうだい、サマソンさん。ママの親としてのつとめはどうなの?(中略)それなら、世間さまとアフリカが子としてのつとめをはたせばいいんだわ。わたしじゃなくて、そっちの責任よ」 (P121)

子は親を選べないのよねぇ。
同じく慈善家のパーディグル夫人も、小さな子ども達を常に引き連れて貧民街へ慈善の押し売り。子ども達は小遣いを全部勝手に母親に寄付され、いつも不満顔。

自分の家族をまず幸せにできなくて何の慈善か、という感じで、ディケンズさんの諷刺がすごいです。

手紙を書いてくるほとんどのかたたちにとって、委員会を組織し、お金をあつめてそれをつかうことが一生の大目的になっているということでした。 (P236)

いつも何万という票がうごいているのに、結局だれも慈善をうけていないのでした。 (P238)

ハハハハ。
乾いた笑いが出てしまいますね。
当時の読者にとってもこういう“口ばかりの慈善家”に対する皮肉、たまらなかったのでは。(当時の読者がどういう層だったのかわかりませんけれども……。広く庶民にも「本を読む」ということが広がっていたのかどうか。もし“ある程度上の階層”、それこそ慈善を施す側しか本が読めないなら、ディケンズの皮肉はさらに痛烈ということになるかも)

キャディーが心を通わせるしがないダンス教師プリンスも、父親のためにあくせく働かされています。そして当の父親は一銭も稼がない!

りっぱな立ち居振る舞いのほかになにもしたことがないターヴィドロップさんは、おとなしい、小柄な、まずまずの家柄のダンス教師と結婚して、じぶんのような地位にある人間に必要な出費をまかなうために、おくさまをさんざんはたらかせて死なせてしまいました (P434)

立ち居振る舞いの教師でもしているのかと思えばそうではなく、何の仕事もせずただ「立派な立ち居振る舞いをしているだけ」の父親。自分はきちんとした身なりをして、息子はそんな父を「立派にしておくため」すりきれた服で朝から晩までダンス教師として働く。しかも息子は母の遺言もあってそんな父に反発するどころか敬愛の念を抱いているらしく……。

なんてこった(´・ω・`)

エスターも可哀想な生い立ちだけど、親がいるからって幸せじゃないというか、厄介な親がいるのはかえって不幸というか。

あるいは、街角の浮浪児ジョーの話。

追い立てられ、突き回され、立ち退かされる。ここもだめ、あそこもだめ、まったく、どこにいるのもだめ。でも、どういうわけだか自分はちゃんとここにいるのに、今みたいになるまで、誰も自分のことなど気にかけてくれなかった。さっぱりわけがわからない! (P500)

ジョーと名無しの代書人とのささやかな交流、代書人に奇妙な興味を持つ上流夫人。これってエスターの出生の秘密と関係がある???
と思ったところで1巻終わり。

「筋らしい筋」があるというよりは、エスターの目を通して「ここが変だよ慈善家気取り」を書く、みたいな印象が強い1巻だけど、思ったよりさくさく読めました。
3人称で語られてる部分にもだんだん慣れてきたし、エスターの話とこれがどう絡んでくるのかな?と続きが気になる。

早く2巻を取り寄せねば……(最寄りの図書館になかったので取り寄せ対応してもらっている)。
いや、ちくま版は手元にあるから続きすぐ読めると言えば読めるんだけど(^^;)

岩波版を読んでしまうとやはりちくま版の訳は少し読みにくい気がします。たとえば上に挙げた「おまえはおかあさんの恥でした」のくだり、ちくま版だとこんなふう。

「おまえのおかあさんはね、エスタ、おまえの顔に泥をぬり、おまえはそのおかあさんの顔に泥をぬったんだよ」 (ちくま1-P40)

その次のエスターの「愛される人になりたい」という部分は

自分が生れながら担った罪をつぐなうために一所懸命努力して(私は疑う余地もなくその罪に責任を感じていながらも、それは自分の責任ではないという気がしました)、これから大きくなるにつれて、勤勉、満足、親切を身につけ、人のためにつくし、できれば人からも愛されるように努力することでした。 (ちくま1-P42)

となっていて、「立ち居振る舞いしかしない無職の父親」の話は

ターヴィドロップ氏は(生れてこのかた、行儀作法にかなった立居振舞をするよりほかに、なに一つしたことがなかったので)、相当な親戚を持った、小柄の、従順なダンス教師と結婚し、自分の地位を保つのに絶対必要な費用を確保するために、妻を酷使して死なせてしまいました。 (ちくま1-P380)

と訳されています。
ちくまの方が一文が長いというか、( )で間に入ってくるのがちょっとわかりづらい感じ。原文には忠実なのかもしれないけど。

(※第2巻の感想はこちら。第3巻の感想はこちら。第4巻の感想はこちら