(※1巻の感想はこちら、2巻の感想はこちら以下ネタバレしまくりなのでこれからお読みになる方はご注意ください


あああああああ、写真撮るの忘れて図書館に返しちゃったぁぁぁぁぁぁ。仮面ライダーのことばかり考えてるからぁぁぁぁぁぁ。

というわけで、画像はちくま文庫版ですが、この記事は岩波文庫版の感想がメインです。どちらでも本筋は同じはずですが、訳によって印象が変わるのが翻訳ものの面白いところ


2巻の終盤、熱病にかかったジョーを一時的に保護したエスター。
まずエスターの侍女チャーリーが熱病を発し、回復したと思ったら今度はチャーリーを親身に看護していたエスターが罹患。

ヒロインがこんなところで死ぬわけはない、とは思っていたものの、どうなったのかと3巻を開くと。

エスターの美貌は失われてしまっていました。

エスター自身は「私は決して美人ではない」と言っていたのですが、周りの人物が「あの器量よしだったお嬢さんが」と悲しんでいるので、十分にきれいな娘だったはず。
その美しさが、病によって失われてしまった。
それどころか、本人だとはわからないほど人相が変わってしまったと。

ええええ。

それってどういう病だったんだろう。
あばたがたくさん残って……ってことなんだろうか。

気の毒なエスター。

エスターに熱を上げて彼女の出生の秘密を探っていたガッピー氏なんて、すっかり面変わりしてしまった彼女を前にドギマギして、「あのプロポーズはなかったことに」って言い出すんですから。

エスターにとっては「迷惑なストーカーがいなくなる」のでありがたいこととはいえ、エスターの顔だけに惚れとったんかい、と。

ただ、人相が変わってしまったことは、出生の秘密がバレるのを防ぐにはいいことでした。2巻でジョーが、「この人、あの人じゃないんだろ?」と言ったほど、エスターとその実の母デッドロック夫人は面差しが似通っていた。
(デッドロック夫人は美女ということになっているんですから、似ているエスターも本人の謙遜とは違い、きれいだったんですよね、やっぱり)

読者には2巻でもう提示されていた二人の関係。
この3巻で、エスター本人も知ることとなります。

我が子の病の噂を聞いて心を痛めていたデッドロック夫人、ただ一度と思い決めて、エスターに会いに来るのです。会って、すべてを話す。
登場人物紹介でも、そして他の人物からの評でも「美しく高慢な貴婦人」とされているデッドロック夫人なのだけど、すごい自制心の人なんですよねぇ。

彼女自身はずっとエスターが生きているとは思っていなくて、若気の過ちを隠してデッドロック家に嫁いだわけなんですけど、愛しい娘を目の前にしても夫のため、婚家の家名のためにエスターとは「生涯にこの一度限り」と覚悟を決めている。

そうしてたった一人、秘密を背負って生きていくと決意しているんですね。

夫人の姉であり、エスターの養母であった女性がかつて「おまえはお母さんの恥だ!」と言い、「お母さんはおまえの恥だ」と言っていましたが、夫人自身、「この恥は隠し通して生きていくしかない」と思っている。誰に助けを求めることもできない、暗い道をただ一人で歩いていくしかないのだと。

デッドロック家の弁護士タルキングホーン氏が「この女の精神力はすごい!」と感心するシーンがあるんですが、ほんとにね。

で、そのタルキングホーン氏は秘密を嗅ぎつけて、デッドロック夫人を脅すんですよ。
なんて嫌な奴なんだ……。
そりゃあ時代背景的に奥方に隠し子なんてとんでもないスキャンダルで、家付き弁護士が真っ先に家名を心配するのは当然なんでしょうけど、金をゆするでもなく、ただ「俺は知っているぞ」と匂わせ、冷淡に奥方を追い詰める様……腹立つぅ。

娘を想いながら気丈に「高貴な夫人」を演じ続けるデッドロック夫人の造型は見事だし、エスターの心理描写も細かくて、ディケンズすごいなぁ、と改めて感心します。

年頃の娘が美貌を失って、初めて鏡を見る時の様子とか、思いがけない人物からプロポーズされ、「受けざるを得ない」と思った時の複雑な心境とか。

名前のない、はっきりしないなにかがうしなわれたような気がしたからでした。わたしはとてもしあわせで、とても感謝して、とても希望にみちていました。けれども、とてもたくさんなみだをながしました。 (P356)

ウッドコート医師に淡い恋心を抱いていたエスター。
病のせいで恋は諦めなければならない。そして別の人物からのプロポーズを、「ありがたいもの」と受け入れなければならない。決して相手のことを嫌いではなくても――尊敬すらしていても、それは恋の終わりであり「青春」の終わりであり、病気になる前の自分とは決別しなくてはいけないという最後通牒のようなものであり……。

私がこれまで読んだことのあるディケンズ作品はすべて男性が主人公で、女性の一人称語りがあるのはこれだけだと思うけど、揺れる娘心といい、エスターの、謙遜というか「全部は吐露しない」みたいな語り、この場面に限らずうまい。

でも。
ちくま文庫3巻の解説には、こんなふうに書いてあったりする。

前者(※エスターの一人称語り部分のこと)は善良で感傷的な娘エスタが物語り手と作中人物(ある意味ではヘロイン)とを兼ねているための限界があり、彼女の性格づけが損なわれていて、作者の視点からの叙述のほうが奔放な面白さがある。 (ちくま版3巻解説部P438)

えええええ。
三人称部分、むしろとっつきにくくて、エスターの語りの方が読みやすいけどな。
3巻目ともなると登場人物にも馴染みが出てきて、三人称部分もすらすら面白く読めるようになってるけど、1巻目はエスターの語りに来るとホッとしたよ。

それは私が女だから、ということもあるかもしれないし、何より訳者さんが「読みやすく」、エスターの性格付けをしっかりして訳してくれてるから、なのかもしれないけど。
一人称の場合、どういう文体で訳すかで読者がイメージする人物像が大幅に変わってくるものね。「私」か「わたくし」だけでも違ってくる。

たとえばちくま文庫では元騎兵のジョージは「~であります」って喋ってるけど、岩波版ではそうじゃなかった気がする(返却してしまったので同じ場面を比較できない(>_<))。

で。

そんなつもりはさらさらなかったのにエスターに熱病を移し、行方をくらませてしまった浮浪児ジョー

なんとか幸せになってくれるといい、と思っていたんですが。
この3巻で、死んでしまいました……うう。

「ここから動け!」と言われて動き続けていた結果、ジョーはぼろぼろだし、かつて親切にされたことのある人に会っても逃げようとする。

おいらみたいなみじめなやつ、ほっといてくれてもいいじゃん? これぐらいじゃ、まだみじめさが足らないの? どこまでみじめになりゃいいんだよ? いろんな人がつぎからつぎへと出てきちゃいじめるもんだから、おいら、食うものも食えずがりがりになっちまった。 (P400)

ああ、ジョー。゚(゚´Д`゚)゚。

ジョーを助けたのは先ほど名前の出たウッドコート医師なんですけど、2巻でジャーンダイス氏が嘆いたと同じ嘆きを繰り返します。

文明社会のただ中で、野良犬の面倒をみるよりも人間の形をしたこの生き物の面倒をみる方が難しいとは何とも不思議な事実だ (P409)

いっそ犯罪者なら刑務所で衣食住をあてがわれる、罪のないただの浮浪児であるがゆえに、ジョーはただ追い払われ、自身も「一つところにいてはいけないのだ」とさまよい、病み衰えていく。

ジョーは本当に何も悪くないのに、死ぬ間際まで「ごめんと大きく書いてくれ」って謝ってるんですよね。世間を恨んで死んでいってもおかしくないのに、恨むことすら知らない。
ウッドコート医師に「お祈りの仕方を習わなかったのか」と聞かれて、ジョーは

たいていは、だれそれの祈り方がまちがってるとかいう話だけで、おまけに、みんなひとりごと言ってるみたいだった。ほかの人の悪口ばかり言って、おいらたちに話しかけてるんじゃないんだ。みんななんにも教わらなかったよ。 (P434)

と答える。
慈善事業に夢中で家庭を顧みないジェリビー夫人とか、この手の皮肉はいっぱい出てくるけど、ジョーのこのセリフもすごい。
「それは間違ってる。正しいお祈りはこうだ」と自分の言いたいことだけ言って何の救いももたらさず去って行く偉そうな人……あるあるすぎる。

ウッドコート医師に頼まれてジョーに最期の場所を提供するのはジョージ。
この人も、ジョーと同じく事件に巻き込まれて生活を脅かされつつある。

デッドロック夫人の昔の恋人、つまりはエスターの父親は、実はジョージのかつての上官だったらしく、彼の筆跡がわかるものをジョージが持っているということで、タルキングホーンなどに目をつけられている。

ジョージ、すごいいい人なんだよぉ。
2巻の感想にも登場した、ジョージの友人バグネット氏とその家族もとても素敵だし。

バグネット氏の息子、ウリッジに向かってジョージが言うセリフ。

「自分のせいで愛しいおっかさんの髪の毛が一本でも白くなったことはないし、額に一本の皺が増えたこともない」って思えるように、小さいうちから心がけとくこった。大人になったらいろいろ考えることはあるがな、ウリッジ、その思いが一番大事なんだぞ! (P80)

その「おっかさん」、バグネット夫人の誕生祝いの会がこの巻の最後で開かれて、その様子も実にほのぼのとするんですよね。
奥さんのことを愛し、尊敬しながらも「規律が大事」と面と向かって奥さんに「おまえの方がすぐれてる」なんて言わないバグネット氏。

でも夫人の誕生日には「おまえは何もしなくていい」と自分で料理して。
正直それは美味しくなかったりもするんだけど、夫人は夫人でその特別な一日を楽しみ、「私がやった方が100倍うまくいく」なんて言ってぶち壊しにしたりはしない。
ほんとにいい夫婦、いい家族だよなぁ。

そんな素敵な誕生会に招かれざる客……。

またしても、「ちょ、どうなるの!?」というところで終わる3巻。
大団円が来ると信じて4巻をひもときたいと思います。


【おまけ】

ちくま文庫版3巻の訳も少し紹介しておきます。

まるで私が何か、名をつけることも、はっきり頭に思い浮かべることもできない何かを、永久に失ってしまったかのような気がしたからです。私は本当に幸せで、感謝と希望にみちみちていました。でも、私はひどく泣いてしまったのです。 (ちくま版3巻P302-P303)

どうしておいらみたいなかわいそな奴ほうっといてくんないんだい? まだおじさんにゃかわいそに見えねえってのかい? どれっくらいかわいそになりゃいいってんだい? おいら年がら年じゅう、ガミガミこづき廻されてんだ。はじめはこっちの奴に、次はあっちの奴にって、しまいにゃおいらの方が骨と皮ばかりになっちまわァ。 (ちくま版3巻P341)

このジョーのセリフ、岩波版では「ガリガリになっちまった」で完了形な訳し方だったけど、ちくまでは未来というか仮定というか。
両方見るの面白いです。