観てきましたぁぁぁぁ!劇場版仮面ライダージオウ!!!!(公式サイトはこちら)
良かった。
すごく良かった。
剛ちゃん出てくるし観ないわけにはいかないよな、ぐらいの感じで正直そこまでお話に期待してたわけじゃなかったんだけど、これはやられた。観に行って良かった。
夏映画ではこれまでで一番の出来じゃね?ってぐらいよくできてたわ。
うん、「出来」というか、「好み」という点で。
「信長の時代にタイムスリップ」というあらすじを聞いた時はほんとね、「また信長かよ」って思ったんだけどね。
なんでみんな歴史を改変しようと思うとそこに行くかな、っていう。
時間の管理者「Quartzer」とやらはむしろ時間遡行軍じゃないのか、ライダーより刀剣男子呼んできた方がいいのでは、とか混乱してしまう。(何のことかわからない人は映画『刀剣乱舞』を観よう)
ライダーでもオーズの冬映画で信長出てきてるもんね。Wとの『MOVIE大戦CORE』。この頃の感想記事、内容が全然わからんけど(W部分に比べてオーズ部分は印象の薄い話だった)、あれはカタカナの「ノブナガ」で、タイムスリップしてきた織田信長ぽいけど本当にそうかどうかまではわからなかったんだっけ……?
(ひゅうがの記憶などあてにならないので気になる人はPrimeVideoで今すぐ『MOVIE大戦CORE』を観よう!)
でも「また信長か」すらも見終わったら「映画も含むこれまでの平成ライダー作品へのオマージュかも」と思えるし、戦国時代のあの合戦の絵面も「鎧武のオマージュ」としてわざと使いましたに見えてくるから不思議。
それぐらい平成ライダーに――すべてのライダーと“今を生きる私たち”に対する愛に溢れた映画だった。
お話は。
長篠合戦図屏風に突如変な絵が現れた、というテレビのニュースから始まります。変なロボットみたいなものやライダー(ニュースではライダーとは言わないが)、そして「芸津殿」という文字が合戦図の中に……。
(ちなみに本物の合戦図屏風は徳川美術館で展覧中だそう)
「何これ~」とソウゴやゲイツがニュースを見ているといきなりテレビにクリムの姿が。電波ジャックというか、ピンポイントでクジゴジ堂のテレビに電波を送れるクリムすげぇな、って思いますけど、テレビの中のクリム、「君たちの助けが必要だ!」と自分の屋敷跡に来てくれるよう二人に頼みます。ジオウの映画に出てくる「長篠合戦図屏風」は、名古屋の徳川美術館で明日から公開です!— 徳川美術館かろやかツイート (@tokubi_nagoya) July 26, 2019
大切なことなのでもう一度言います。
ジオウの映画に出てくる「長篠合戦図屏風」は、名古屋の徳川美術館で明日から公開です!https://t.co/N5rfEQsviq#仮面ライダージオウ#ジオウ pic.twitter.com/imDraSj5zw
屋敷跡の地下に行ってみるとそこには謎の十字架が……と思ったところで剛ちゃん登場! 「おまえらが悪党か!」といきなり二人に襲いかかろうとしますが、クリムの映像が出現し、「待て待て、私が君たちを呼んだんだよ」と説明。
ああ、剛ちゃん可愛いよ剛ちゃん。
地上へ出ると今度はキョウリュウブラック=イアン様登場。イアン様ふつくしいよイアン様。生身での登場シーンがそれほど多くないのが残念。
仮面ライダーザモナスに変身し攻撃を仕掛けてくるイアン様。もちろんソウゴ、ゲイツ、剛ちゃんも変身して応戦。久々の「追跡!撲滅!いずれもマッ ハ!仮面ライダーマッ ハ!」
この名乗りにソウゴとゲイツ(すでに変身後だったかな?)は一瞬顔を見合わせてたような気がするけど、特に「それ毎回やるの?」的なリアクションはなく。
なんか言ってほしかったwww
ザモナス達はとりあえず撃退したものの、消えてゆくクリムの映像。クリムのデータが……系図そのものが消えかかっている、とのことで。
オーマジオウの誕生を阻むためにゲイツが過去の(若い)ジオウを抹殺しようとしたように、敵は過去のクリムを――クリムの祖先を抹殺して仮面ライダードライブの存在を消そうとしている。
って、遡り過ぎやん、せいぜい爺ちゃん婆ちゃんぐらいでええやん、戦国時代まで遡らんでも。
さっきのニュースからして戦国時代に飛べばいいんだな、ってことになるんだけど、そういえばソウゴ君、長篠の戦いを「1575年!」って即答してたけどすごくない? 日本史は得意だったのか、ソウゴ君。魔王信長に憧れてるとかテレビ本編最初の方で言ってたから、信長絡みのとこだけ詳しいんだろうか。
うん、そうだね、そういえばソウゴ君と信長っていうのは、最初から提示されてた繋がりではある。今回の映画で使われるのも意外ではないと言えばない。
「未来のライダーには会ったことがあるが過去には」云々と剛ちゃんが言ってた気がするけど、剛ちゃんって会ったことあるっけ? 仮面ライダー3号とか4号とかええっと…? あ、ドライブの夏映画は「サプライズ・フューチャー」で未来から進兄さんの子どもがやってくるんだったっけ。もはや記憶が。
ともあれ、「フフフ」と笑ってソウゴ君、「過去にも行けるんだよ」とタイムマジーンのご登場。
なんか、テレビ本編はすっかり「対スウォルツ戦」になって、タイムマジーンで過去ライダーの時代へ飛ぶ設定忘れてたけど、自在に時間旅行できるってほんとチートな設定だなぁ。
「ウォズも行く?」と言われた時のウォズの表情が意味ありげで、この後も何度かウォズが意味深な顔をするカットがあって、なんというかウォズさんほんとキーマンだし、ついこの間まで古着屋で働いてたって信じられないうますぎる。
そしてやってきました戦国時代。
剛ちゃんはお留守番で、ソウゴ、ゲイツ、ウォズ、ツクヨミの4人。ソウゴ達が一応その当時の衣裳に身を包んでいる中ウォズだけがそのままで、「どうしてウォズは着替えないの?」「私までコスプレしたら見ている人が混乱するでしょ」「見ている人?誰?どこ?」みたいな。ふふふ。
そこで出逢った織田信長は全然「魔王」のイメージではない、どっちかというと秀吉的なキャラで。ソウゴ達が「後世では魔王って呼ばれてるのに」と言ったがために「魔王、それいいね!」と伝記作家(?)牛三(ぎゅうぞう)が「信長=魔王」と書くことになる。
歴史とは後世の人間が勝手に解釈したもの。
本当の織田信長がどんな人物だったのか、その目で見たわけでもない未来の人間にわかるわけもない。
ね。
うまいよね、この持って行き方。
未来ではオーマジオウという「最低最悪の魔王」ということになっているソウゴ。まぁ、ゲイツ達は実際にオーマジオウのいる時代を生きているから、「見たことのない歴史上の人物としてのオーマジオウ」を語っているわけではないけど、「歴史」として知られていることのどこまでが真実なのか。「魔王」と恐れられる人物はどの時点で「魔王」というレッテルを貼られることになるのか。
よく知っている歴史上の信長とは違う行動をしようとする信長に対して、ソウゴは「好きなようにすればいいと思うよ」と言う。「だって信長にとっては“今”だから。今を生きなきゃ」と。
未来から見れば過去。
未来から見れば、過去はもう決まりきった、変更のきかないものに見えて。
でもその時点を生きるものにとって、そこは“今”で、未来は不確定だ。一瞬一瞬選び取った結果がどうなるかなんて、その時点を生きる者にはわからない。
好きなように、良かれと思うように、精いっぱい“今”を生きるしかない。
ソウゴ達は無事クリムのご先祖を守って、現代(2019年)に帰還。剛ちゃんとクリムからめでたくドライブウォッチをもらってこれでめでたく平成ライダーウォッチコンプリート!
で。
これも最近のテレビ本編ではすっかり忘れてたんだけど、ウォッチを渡したとたん剛ちゃんが「ここはどこ私は誰」状態になる。
ウォッチを渡すと――ジオウにライダーの力を託すと、本物のライダー達はその力と記憶を失う。
ああああ、ほんとーにその設定忘れてたわ……。
(だって最近のテレビ本編、その設定使われてなかったことない?力はともかく記憶は全然残ってたことない??)
それがどういうことなのか、何を意味するのか。
ああああ、もう、ほんとこの映画よくできてる。最初からそういうつもりで、ここをゴールにするつもりで全部作り込んできたのかどうか知らないけどほんと。
めでたく全ライドウォッチを手に入れて「祝え!王の誕生である!」と祝われるはずのソウゴ君、でも玉座に座っていたのはISSAで。
「ご苦労だった。替え玉にしてはいい面構えになったな」などと言われてしまう。
時間の管理者Quartzer。そのリーダーらしいISSAと、実はその一員だったウォズ。ウォズの手にした本。そのシナリオどおりに導かれ、操られて、常磐ソウゴはQuartzerのためにライドウォッチを集めさせられていた。
平成ライダーをやり直すために。
平成そのものをやり直すために。
平成ライダーの力と記憶は失われてしまった。
そしてたまたま替え玉に選ばれた「普通の高校生」常磐ソウゴはオーマジオウになるどころか「普通の高校生」でもう用済みで、牢屋送り。
うわぁ。
毎回「普通の高校生」「普通の高校生」っていちいち連呼されてたのもこれの前振りだったとは。
さすがのソウゴ君もへこみかける。諦めかける。
そこへ。
この足音は……!
鑑賞前にネタバレで「仮面ノリダー」出る、って知っちゃってたから、「来るぞ!」と思って笑っちゃったんだけど、まさかその後泣かされるとは。
ネタバレ聞いた時はほんと、「ふざけんな」ぐらいに思ったんだよ。さすがにノリダーはないだろうって。よくできたパロディーとして当時はおおいに楽しんだし好きだったけど、本物のライダー映画にサプライズとして出してくるのはなしだろ、って。
でも。
おまえは替え玉だった、偽物だった、と言われて落ち込むソウゴ君の背中を押せるのは、本物の――先輩ライダー達ではなく、ライダーとしては「偽物」のノリダーなんだよな。
「誰?」
「平成の最初に活躍した改造人間だ」
「じゃああなたも仮面ライダー?」
「いや、俺はライダーには選ばれなかった。だからずっとここにいる」
「一緒だね」
「一緒じゃない。君は選ばれた。選ばれなかったやつはごちゃまんといる。選ばれた人間には選ばれた者の責任があるんじゃないのか」
(※セリフはだいたいのイメージです。かなり違うかもしれないけどご容赦)
ううっ。
なんでノリダーに泣かされなきゃならないんだよぉ。ぐすん。
「替え玉」だったとしても、操り人形だったとしても、ここまで仮面ライダージオウとして戦ってきたのは俺だって言えないソウゴなんて男じゃない!
このシーン、自分でもびっくりするくらい涙出たんだけど、ヒーローに憧れて、「何者か」になりたくて、何者にもなれないまま「普通のおっちゃんおばちゃん」として毎日をやり過ごしてる人間はごちゃまんといるわけですよ、ううっ。
ノリダーの言葉に背中を押されたソウゴ君。助けに来てくれるツクヨミと剛ちゃん。剛ちゃんは背負子で牛三を背負ってる。
ゲイツの戦いっぷりに感銘を受けた牛三、みんなが現代に帰る時にくっついてきてたんだよね。そんでQuartzerが「平成をやり直す!」つって「平成に生まれた人&ものを全部吸い込む装置」でどんどん人&ものを吸い込んで、剛ちゃんも吸い込まれそうになる中、「拙者、永禄生まれでござる!」って重石になって助けてくれるの。
で、そのまま剛ちゃんが吸い込まれないように重石として背負われてるw
いや、でも、うまいwww なるほど、と思っちゃう。
戦国時代では信長の伝記を書き、今度はゲイツのを書きたいと言ってくっついてきてる牛三、ウォズに対する鏡のような気がちょっとしなくもないし。
ウォズが持ってる「逢魔降臨暦」は別にウォズが書いたものではないのかもしれないけど、自分が「これぞ」と思う人物にくっついて観察し、その行動を書きとめ未来に伝えようとするって、「未来から来てすでに書かれたものの通りにこれぞと思う人物を動かそうとする」っていうのの合わせ鏡になってない?
あと、ゲイツは戦国時代で信長の「替え玉」をちょこっとやらされて、信長の伝記を書いていた人間がその「替え玉」の方を「本物」と見込んで伝記を書こうとするって、やっぱり「ソウゴが替え玉だった」ということと対になってるよね。
ともあれ救い出されるソウゴ君。
そしてその間ゲイツは。
Quartzerからライドウォッチを取り戻そうとしていた!
が、ウォズと対決することに。
「俺とお前は似たもの同士だ!あいつ(ソウゴのこと)に惹かれていたんだ!」
ゲイツってばほんと何回告白するの。どんだけソウゴのこと好きなの///
ええっとそれで、どうなったんだっけ。
結局ライドウォッチ取り戻したんだっけ。
「ジオウ!」つってソウゴにウォッチ投げてたよね。(細かい部分の記憶が早くも曖昧^^; もう一度観に行かねば)
ジオウに変身して、バールクスに変身したISSAと対決、でも一度は破れて……だったかな。変身が解けて、「平成生まれを吸い込むやつ」に吸い込まれていきそうになるソウゴ君。
遠のく意識の中で蘇るのは幼い頃の記憶。父と母、スウォルツに“選ばれた”時よりもっとずっと小さい、三輪車に乗ってる自分。そんなにちっちゃいのに、もう、「ぼく、王様になる」って言ってた自分。
替え玉として選ばれたから王様になりたかったんじゃない。もっとずっと前から、それは自分自身で選んだ夢だった。
そして聞こえてくる力也さんの――オーマジオウの声。「若き日の私よ、なぜおまえは王になりたかったのか」
「他の人とか関係ない!俺が王様になりたかったのは、世界を良くするためだ!」
夢を思いだしたら、自分のものとして夢を取り戻したら、その手にオーマジオウウォッチ(って名前でいいのか?)が!!!
熱い。
熱いぞこの展開。
(ここでも泣いてた)
そうしてソウゴが自らの手で「仮面ライダー」であることをつかみ取ったら、ウォズさんが祝ってくれるんだよ。「祝え!我が魔王がオーマフォームを手に入れた瞬間である!」
セリフ全然違うかもだけど、とにかく祝ってくれるんだよ、ウォズさんが!
一旦は「ご静聴ありがとうございました。これが平成ライダー最後の一ページです」と案内を終えたウォズが、「やっぱり似たもの同士」で「我が魔王」の真の誕生を待ち望んでた。
ソウゴが信長に「好きに生きろ」「俺たちにとっては過去でも、信長にとっては“今”だ」と言ったこと、それがウォズにもちゃんと響いてた。
「私も好きに生きさせてもらう。この先は、本に書いてない物語」
ビリビリと逢魔降臨暦を破り捨てて。
その代償に、ISSAに後ろから刺されてしまうけれども――。
ジオウ以下、平成ライダー総出演でQuartzerと戦うクライマックス。
「おまえらの平成って醜くないか?」「世界観もバラバラで」などと勝手なことを言う敵から、平成を――平成に生まれた人間とものを守るために。
ここで出て来る「平成のライダー」がテレビシリーズだけでなく、マンガ作品だったり舞台作品としての「斬月」だったり。
舞台のポスターが貼られてて、「沢芽市」とか「風都会館」って書いてあったように思う。ふふふ。
そうだ、ゴライダーも出てきた。
「仮面ライダー」はテレビシリーズだけでなく、もっともっと広がりを持って存在してる。だからこそQuartzerに「世界観バラバラ!」「めちゃくちゃ!」みたいに言われてしまったりもするけど。
巨大化したバールクスを倒す平成ライダー大集合ライダーキックはあの、「20周年記念ロゴ」。ここで使うために足形だったのかぁ!と思うし、それぞれのライダーのロゴが次々と表示されるのもすごくメタっぽい。
物語の中の人たちには「ロゴ」なんて――「作品」という外部の枠組みなんて、知り得ないはずのものだもんね。
巨大バールクス、長方形の板みたいなものを盾にしてライダーキックを受けるんだけど、キックで開いた穴が「平成」になってるという、これまたメタメタな展開。
これはあれか、令和の次の元号発表の時にはこれでコラを作れということか。
ノリダーにしてもこの「平成コラ素材」にしても、大人が本気で遊びましたというか、ふざける時も全力ですというか。
それでいて――それだからこそ伝わってくるメッセージは熱くて、笑って泣ける、すごい快作になってる。
バールクスは倒され、でも他のQuartzerは生き残ってて、彼らに「本当にやり直さなくていいのか?もっと美しいものにしてやるぞ」って言われるんだけど、ソウゴ君、さらっと笑顔で。
「人生が美しくないのなんて当たり前じゃない? 本に書いてあるわけじゃないんだから」
なんて見事なセリフなんだ。
ジオウのお話全部、これを言うためにあったのか!と思えるぐらい。
これをさらっと、爽やか笑顔で言うソウゴ君がほんと、「いい面構え」になってて良い。
平成ライダーがバラバラなのも当たり前、それでいいんだ、ってセリフも途中であったけど、この映画、ほんと、「平成ライダー集大成」を作りながらも、「昭和だの平成だのすぐそうやってひとくくりにするのどうなの?」とも言ってるみたいで。
後世の人間は勝手に区切りを作って「歴史」にして、新人類とかバブル世代とかひとくくりにしてレッテル貼って、それでおしまいにしちゃうけど、そこで生きてる一人一人は、ただ懸命に“今”を生きてるだけ。後から「醜い」とか「意味が無い」とか「失敗」とか言われても……。
ソウゴは再び「替え玉」ではない「ジオウ」になって、そしてゲイツとツクヨミは消えていく。歴史が変わり、ソウゴが最悪の魔王でなく、最善の魔王になるなら、未来からゲイツとツクヨミが若きジオウを抹殺に来る必要はなくなるのだから。
2人が消えていくということは、未来が変わったということ。
さびしいけれど、でもそれは喜ぶべきことで、そして、だからといってここまで一緒にいた時間までもが消えるわけじゃない……。
と美しく(?)終わるかと思いきや、クジゴジ堂に戻るとゲイツとツクヨミがいて、「え?おかえり」とつい言ってしまったソウゴにおじさんが、「何?逆でしょ?(今帰ってきたのはソウゴの方)」と突っ込まれる。
ええっ、なんでいるの? 殺されたはずのウォズさんもなぜかいて。
いや、うん、いてくれた方が嬉しいよ。ゲイツとツクヨミはともかく、ウォズさんは「殺されて死んだ」だからちょっとショックだった。
Quartzerから「自分たちの歴史」を取り戻したから、Quartzerがやったことはなしになったのかな。そういう意味ではウォズさんが生き返ってるのはまだ納得できるか。
ゲイツとツクヨミがまだこの時代に存在するっていうことは、未来が――未来のオーマジオウが「やっぱ2人いないとさびしいから戻って」と言ったとか……。
時間移動ものはどうしても「あそこで干渉すると歴史が変わって、でも歴史が変わったならそもそもゲイツ達が来ないから“一緒に戦った時間”も消えてしまって、ソウゴの記憶にも……???」というタイムパラドクスが大変ややこしくなる。
まぁ、ともかく、そんな面倒くささを超えていくソウゴ君の最後のセリフも良かったし、60分強とは思えない中身の濃さで大満足だった。
これ、でも、この映画にはスウォルツが出てこなくて、ツクヨミが「別の時間軸の人間」っていう話もなくて、ISSAは「オーマジオウ」ではなくバールクスで、やっぱりテレビ本編とは違うパラレルなのかな。
テレビ本編でスウォルツとの決着がついて、ツクヨミが「私はこの時間軸でソウゴやゲイツと一緒に生きたい」と選んだ後のお話だったりするのか。
結局テレビ本編でも、ソウゴが最悪の魔王になるのか最善の魔王になるのか、力也さんは本当に未来のソウゴなのか、そこははっきりしないのかもしれない。
未来は誰にもわからない。
今を生きる私たちにとって、未来は不確定だ。
なんかね、ソウゴ君にはちゃんと物語があって良かったなぁ、ってほんと思うのよ。
ディケイドは「ディケイド自身に物語はない」とか言われちゃって、つかさ君が本来属している「時間軸」があるんだかないんだかもよくわかんないまんま、相変わらず「世界の破壊者」としてあちこちの時間軸をさまよい歩いてるわけじゃない?
ジオウのテレビ本編でツクヨミに、「おまえは俺と同じ、この世界の人間じゃない」って言ってたけど、つかさ君には帰るべき「自分の世界」もないのでは。
孤独だよなぁ、つかさ君。
今年の七夕には海東くんと会えたけど。
「とりあえずそれまでの平成ライダーを出すための触媒」として、ちゃんとした設定があるんだかないんだか、大ショッカーの首領にされたり、映画に出てきた妹も本物なんだかどうなんだかよくわかんないつかさ君に比べたら、レジェンドライダー毎回登場で本筋混乱しつつもゲイツとウォズに愛され、自分自身で「仮面ライダーであることをつかみ取る」ソウゴ君は、幸せだよなぁ。
まだテレビ本編は終わってないけど、エンディングでこれまでの振り返り映像が流れた時にはなんかすごく感無量になった。
ちゃんと曲に合わせた映像の動きになってるし、「シャッフルしよう世代」「諦めかけた夢にチャレンジ」とか予想外に歌詞が映画の内容にリンクして聞こえてうるうる。
えーっと後は、何?
あ、剛ちゃんがね、チェイスさんのことに言及するからね、ちょっとだけチェイスさんの映像も流れる。
クリムの祖先が消されてクリムが誕生しないと仮面ライダードライブが存在しなくなるけど、ロイミュードも誕生しなくて、チェイスさんもいなかったことになる。だから何としてもクリムの系図を守ってほしいと。
剛ちゃん、実はクリムのことはどうでも良かったのでは。
とにかくチェイスが一番なのでは///
そんでクリムやチェイスさんを助けるべきなのか、ってちょっと議論になるんだよね。ゲイツだったかな、「だってもうクリムは死んでるし、チェイスってやつも消えてるんだろ」って。すでに存在しない連中を助けるためにわざわざ行動するのか、って。
ここ、そんなに長いシーンでもないけど、印象的だった。
「すでに死んでいる」のと、「最初から存在しない」のとは、全然違うよね?
今回の場合戦国時代から歴史を変えちゃうんだから、単にクリムが生まれないどころの影響ではすまないはずって話もあるけど、何十年も未来から来たゲイツにとってみればクリムは過去の人間で、ゲイツの時代には当然もう「存在しない」、それが「死」であろうと最初からいなかったのであろうとゲイツには違いがないけど、当の本人、そして周囲の人間にとっては。
「最初から存在しない」は全然違う。
平成に生まれた人間とものを全部吸い込んで「最初から存在しない」にして、平成をやり直そうとするQuartzerたち。
その方が世界が良くなるとしても――ロイミュードだって誕生しない方が世界は平和だろうけど、でも――。
(って、ここまで書いたところで8月11日放送回にチェイスさん来るって予告流れちゃった…。そんでチェイスに対して剛のことを話すって……ええ、じゃあ映画はやっぱり本編の途中に差し挟まれるエピソードなの……)
えー、それから最初と最後に令和初のライダー「ゼロワン」が出てきますが、「ふぅん」という感じです。ビジュアルはもう発表されてるし、ジオウのお話がしっかりしているので本当におまけだよな、と。毎回夏映画に次のライダー顔見せする必要ある?って思っちゃうなぁ。
入場者特典はゲイツ&ウォズ、アスナ&メルトでした。

今回はパンフも無事Get。もったいないのでまだ読んでない。読んだら色々ここまで書いてきたことが間違ってるってわかっちゃうかも。ハハ。
ともあれ。
仮面ライダーって、本当にいいものですね♪
2 Comments
こんにちわ、いよいよ梅雨明けで毎日暑いですね。
返信削除忘れてましたが平成って時代はもう終わって今は令和なんですよね。平成ライダーに象徴されるような特撮ヒーロー作品にハマっていた年月を遡ると平成時代に固定されていましたので、なんか自分の中ではもー特撮とライダーはアマゾンズで終わりでいいか。て気分でもあったりします。平成ライダーそのものは龍騎2019のライダータイムが「終わらせるってのはこんぐらい完膚なきまでにやるんだよ」見事な鎮魂作風(能楽だよなあ)で満足しますたし。
>「何者か」になりたくて、何者にもなれない
ここらへんの劣等感って自分の中じゃあんまし濃くないんですよね。
平成ライダーに熱中してた時期の妄想の中での「いっぱしな自分」と対比した10代後半期の「現実の自分」てものにも、まあアニオタで太ってましたけど(笑)わりかし否定的な感情は当時でもあんまり浮かびませんでした。やっぱり11~13時分に読みふけった小説「kikaider00」による「人間だれしもまず男女の前に“性別”持つキカイダー00として産まれる。過程でライダー的なりプリキュア的なりの“晴れがましさ”持つキカイダー00を目指すもやがては何者でもない自分そのものなキカイダー00となって、最終的にキカイダー00として死んでいく」って人生観念が大きいのかなーとか。
>「昭和だの平成だのすぐそうやってひとくくりにするのどうなの?」
分類しちゃうのは人の常なんでしょうかねえ。
個人的に平成って時代で仮面ライダーから徹底的に失われたものが「ライダーとしての自己否定」だと思ってます。客演って形でやたら戦わせてライダーとしての自分を結果として肯定させちゃうんですから。
だから電王およびディケイドに対しては「ありゃー困ったことしてくれたよねえ」になっちゃうのですが……。
創さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
削除「キカイダー00」についてはまったく知らないのですが、令和初のライダーが「ゼロワン」ということで、「キカイダーかよ!」と思ってしまいました(^^;)
キカイダー要素も多少意識されているのか、どんなライダーになるのか……。
>個人的に平成って時代で仮面ライダーから徹底的に失われたものが「ライダーとしての自己否定」
これは確かにそうですね。
ライダーであることの葛藤があまり(ほとんど?)描かれないですものね。初期はまだ自分自身オルフェノクだったりしたし、後期でもオーズで「このまま突き進むと怪人になってしまう」というのがあったけれども。
鎧武では突き進みすぎて「神」にまでなってしまいましたが……。
ライダー側の変貌はもちろん、敵方もずいぶん様変わりしてしまいましたものね。
果たして令和のライダーは何と戦うのか。
我ながらいつまで仮面ライダーを見続けるんだろう、と思いつつ、「ゼロワン」も楽しみです(^^;)
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