SFオールタイム・ベストに燦然と輝くハインラインの名作、『夏への扉』
お噂はかねがね……ですが、読んだことありませんでした。
図書館の、書架ではなく「未整理」的な移動用棚を見ていたらこの新訳版があり、訳者が小尾芙佐さんで、分量的にも読みやすそうだったので、手にとってみました。

小尾芙佐さんはキイスの『アルジャーノンに花束を』やル=グィンの『闇の左手』を訳しておられ、私が数年前大いにはまったアシモフの作品も多数手がけておられます。『われはロボット』『ロボットの時代』『夜明けのロボット』『ロボットと帝国』『はだかの太陽(新訳版)』

そもそもアシモフにはまるきっかけが『はだかの太陽』の新訳が出るからその前段である『鋼鉄都市』を読んでみよう、だったので、その後アシモフ世界を楽しめたのは小尾さんのおかげと言っても過言ではない(笑)。

で、その『鋼鉄都市』は福島正実さんの翻訳だったのですが、この『夏への扉』も福島さんの訳で長く親しまれてきました。

旧訳版は現在も普通に入手可能。今見たらAmazonさんには19冊も在庫が。さらに「入荷予定あり」になってる。さすがオールタイム・ベスト。


私はいきなり小尾さんの新訳を読んだので、訳の比較はできませんが、特にひっかかることなくすらすら読めました。何よりお話がなるほど納得の面白さ。はぁ~、ハインラインさんすごい。

※以下ネタバレありまくりなのでこれから読む方はご注意ください

何がすごいって、いきなり「ルンバ」が登場するんですよ。
お掃除ロボットの、あれ!

主人公のダニーが技術者で、自ら設計して色々すごい機械を作り出すんですが、

おそうじガール(その後改良した準人工知能型ロボットではなく、最初のモデル)がやることというと床掃除だった……どんな床でも一日中、監督なしで掃除ができる。 (P40)

夕食どきになると、そいつは格納室へ行き、急速充電器で充電する――これは、永久に使えるパワー・パックを装備する前の話だが。 (P41)

お話の舞台は1970年。1970年に、ルンバが実現している!!!
っていうか、ルンバってこの作品の「おそうじガール」を目標に生み出されたんでしょうか。

作品自体は1957年の発表。1957年というとまだ昭和32年ですよ。昭和32年にルンバを考えるハインラインさんほんと。
いわゆる人型のロボットじゃなく、まずは床掃除特化で「格納庫に充電に戻る」っていうタイプを発想できるのがすごいなぁ。

しかもハインラインさん、ダニーの述懐として

驚くべきは、家事労働はほとんど顧みられたことのない分野だった、しかもそれが世界中の全労働量の少なくとも五十パーセントを占めているというのにである。 (P43)

ぼくは、“女の仕事にきりはない”という古い諺を抹殺してやりたい。家事というものは、果てしなくくりかえされる不必要な苦役なのだ。技術者としては、腹立たしいかぎりである。 (P55)

なんて書くんですよ!!! もうこの2つの文章だけでハインラインさん主婦にとって神だし、この後お話がどんな展開を見せようともこれだけで『夏への扉』は傑作!(笑)

そんな、画期的なおそうじロボットや、なんでもやってくれる「万能フランク」といった機械を発明するダニー、一緒に事業をやってきた親友マイルズと婚約者ベルに裏切られて、会社も発明品もすべて取り上げられてしまいます。

またこのベルって女がろくでもないんだけど、ともかく失意のダニーは「ひどい現在」に見切りをつけ、30年後の未来に希望を託そうとします。コールド・スリープに入ることによって。

1970年にコールド・スリープが実現しているというのもすごいですが、そういえば私が子どもの頃(ちょうど70年代の終わり頃)に読んでたトリビア本みたいなのに、「冷凍睡眠」の話が出てきていました。
現代医療では治せない病を未来の医療に託して、すでに冷凍睡眠に入った子どもがいるみたいな。なんか写真まで載ってたような……。

本当か嘘か、今となってはその本の名前も思い出せないけど、もし本当だったなら、あれから40年近く経って、まだ彼女(女の子だった気がする)は眠り続けているんでしょうか? それとも途中で保存(あるいは覚醒)に失敗して亡くなっているのかな。

SFではすっかり「当たり前の技術」になっている冷凍睡眠、現実にはどれくらい研究されているのか。

ちょっとWikipedia見てみたら、私が昔読んだのはコールド・スリープではなく「クライオニクス」(人体冷凍保存)の方っぽいですね。遺体を冷凍して未来の復活に望みをかける……いや、これ、全然無理っぽい気がするけど、あの子まだ冷凍されてるのかな。

と。
話を『夏への扉』に戻しましょう^^;

ダニーはコールド・スリープの会社と契約し、手持ちの株券をマイルズの義理の娘リッキーに送ったり、色々手はずを整えるのですが、最後にへまをして、ベルの魔の手に落ちてしまいます。

ベルと来たら、書類を書き換え偽造して、もともとダニーが契約していたのとは別の会社でコールド・スリープに入らせる。ひえぇ、まったくなんて女!

そうして30年後、2000年に目覚めたダニーの資産はゼロ。
でも2000年世界ではおそうじガールや万能フランクが進化して大活躍。それらの礎を築いたのは誰あろうダニーなのに……。

でもけっこうダニーは楽観的というか、「ずいぶん変わってしまった世界」でも前向きに一歩一歩進んでいくし、もともと彼が運営していた会社がどうなったのか、マイルズとベルはどうなったのか、何より可愛いリッキー(1970年当時彼女は11歳だった)は今どうしているのか……とがんばって調査していく。

ダニー自身は30歳ぐらいなんですよね。
リッキーが普通に年を取っていれば、20も年下だった彼女は10歳年上になってしまっている。

コールド・スリープというのはタイムワープでもあって、いきなり30年後の世界へ来てしまうわけで、服装が違っているのはもちろん、言葉の使い方(語の意味)も変わっていたり、もちろん世界情勢にも変化が。

大アジア共和国が、南アメリカ貿易からわが国を閉め出そうとしていても、ぼくは驚かなかった。(中略)英国がカナダの一州だと知って、一瞬とまどった。(中略)金の価格はいまは安く、もはや通貨の裏づけの役割は終えており、多くのひとびとが、この転換ですべてを失ったということを知っても、それが悲劇だとは思えなかった。 (P154)

1957年のハインラインさんから見れば2000年は43年後。今、2019年から40年経った世界は……。果たして世界は存在しているのか?と思ったりもします。

特に興味深かったのが、ダニーが2000年世界で最初についた「くず鉄リサイクル」の仕事。余剰の車をスクラップにする工場なんですが、豪勢で大型で、しかも走行距離ゼロの新品同然の車をなぜスクラップにするのか、疑問を呈するダニー。

「ごく簡単な経済問題だよ。これは政府が価格維持貸付金の担保として受け入れた余剰の車なんだ」 (P170)

そもそもが「売るための車」「乗るための車」ではないんですね。

「売れないのであれば、そもそもなぜ作るんです? 無駄なような気がしますがね」 (P170)

と、さらに質問するダニーに、工場の職長はこう答えます。

「無駄に見えるだけだよ。みんなが失業してほしいのか? 生活水準を下げたいのか?」
「それじゃどうして外国に輸出しないんです?(後略)」
「なに!--そうやって輸出市場を壊滅させろというのか? そのうえ、もし車を安値で外国に投げだすようなことをはじめたら、われわれは世界じゅうから非難を浴びる」 (P170)

いや、これ、すごいよね。失業者を出さないためにはとにかく何か作らなきゃいけないんだよ。車でも家電でもスマホでも、行き渡ってしまえば買い替え需要しかなくなるから、どんどん壊れて新しいの買ってもらわないと製造業はたち行かなくなるけれども、そこももう通り過ぎて、「要らない」ってわかってるものを「価格維持」の担保として作り続ける……。

うっかり安い値段で外国に売ればその国の製造業を脅かして「世界じゅうから非難を浴びる」。うん、浴びましたよね、日本の車……。
そして今や製造業だけでなく農業でも「外国からの安い産物」に脅かされ。

「未来」と言うと単純に「全部機械」ぐらいしか想像できないので、「未来の経済」までしっかり描かれてることに感心しちゃいました。

リッキーのその後や、「まるで自分のアイディアをそのまま実現したかのような機械」の特許を調べるうち、話は「あれ?」という方向に進んでいきます。

そして後半ではコールド・スリープではない、本物のタイムワープが出てきます。重力場の実験の副産物として時間を跳躍する。同じ質量のものを2つ並べれば、どちらかが過去、どちらかが未来へ行く。

なんか、量子テレポーテーションがそんな感じじゃなかったでしたっけ。2つの量子のどちらか一方が……いや、全然違う???

タイムワープ絡みのところは「そんなにうまく行くか?」「タイムパラドックスはどうなるんだ?」と思っちゃうし、「この時点でこの情報を見ているということはタイムワープが成功しているはずで」みたいな、どうしても「鶏が先か卵が先か」と混乱してしまいます。

2つのコインの、一枚は一週間未来へ、もう一枚は一週間過去へ行く。だからその実験を行う時、過去へ行ったその「同じコイン」は実験者のポケットに入っていたりする。
同じものが同時に2つ存在する。

厳密には、そのコインは一週間分よけいに時を過ごしているわけで、「完全に同じ」ではないんだけど、でも……???

過去に送られたものが人間なら、その人間は突如一週間前に現れ、同じ人間が同時に2人存在することになってしまう。そしてもともとの「そいつ」は一週間後タイムワープの機械に入って……。

ダニーがリッキーに向かってモルモットの例を出して説明するんですが、「どっちを?」「どっちも何も、はじめから一匹しかいないんだよ?」という会話、読んでて頭がこんがらがります。んー、なんか騙されてるような気がするぅ。

お話はめでたくハッピーエンドになるし、「未来はより良いものだ」というダニーのハインラインさんの人間への信頼に、あたたかい気持ちで本を閉じました。
でも2019年の人間としては、「ほんとうに未来はいいものかしら」「ほんとうに人間はいいものかしら」と思ったりもしてしまいますね。

そもそもコールド・スリープって、人間への信頼がないと無理ですよねぇ。いくらお金を積んでも、いくらちゃんとした会社でも、その会社が30年後も存続していると限らないし、誰も目覚めさせてくれない可能性が……。

あ、そうそう、猫のピートの話を忘れてる。
『夏への扉』というタイトル、ピートがいなければ始まらない。
ダニーの愛猫ピート、寒くなると家中のドアを開けさがし、「きっとどれかが夏に繋がっている、夏への扉」だと信じている。

失意のダニーにとってそれは「未来への扉」、コールド・スリープだったわけですよね。くぐり抜けた先には30年後の世界。

30年後かぁ