(※以下ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください)



はい、観てきました!
前売りチャレンジにはあっさり玉砕して観劇を諦めかけていたところ、申し込んでいた貸切公演にまさかの当選!
千秋楽間近の2月1日15時公演に行ってまいりました。

立ち見も出る盛況、開演前のトイレも混んでいて、貸切恒例組長挨拶に間に合わないという失態。なんてこった。
まだあと5分あるから大丈夫と思っていたのに…。

「静かな場面が多いのでくれぐれも携帯の電源はお切りください」みたいなアナウンスが流れて、ちょっと珍しいなと思ったし、お芝居の雰囲気を壊さないために挨拶と開演の間もしっかり時間を取ったとかそういうことなのかしら。いつも5分前には挨拶してたかな。

ともあれ。
禁酒法時代のアメリカを舞台に繰り広げられるお芝居、ソフト帽にスーツの男役さん達を堪能♡
きらびやかな軍服や王子様コスも素敵だけど、スーツ姿の男役さんもほんと格好いいですよねぇ。
また望海さんが「大人の男」がとってもよく似合うし。

お話は主人公ヌードルスの少年時代(ハイティーン?)から50代くらいまでを描いているんだけど、プロローグの格好いいギャング達のシーンが終わるといきなり50代なんだよね。「25年ぶりに故郷の街に戻ってきた」ヌードルス。
これがちゃんと「若者ではない」「ちょっとおじさん」になってて、望海さんすごいなぁ、と。喋り方とかこう、雰囲気がちゃんと壮年。「老人」ならいくらでも大げさに演じればいいけど、ギャングで格好良くて、でも青年ではなくて、今は「身を隠して普通に暮らしている、少しうらぶれた感じの男」をさらりと存在させている

で、次のシーンでは一気に35年ぐらい遡って、少年時代の話になる。憧れの少女を友人たちとのぞき見る、町一番の「ワル」。「ワル」と言っても根は純粋なヌードルス。貧しい移民の子である彼は、「いつか皇帝に」と夢見て、ともかくも金を稼ごうとしている。いつかまっとうな仕事をするために。その元手を稼ぐために、今は手を汚しても仕方がない。

ヌードルスの憧れの少女、ヒロイン・デボラもまた同じ貧しい移民の子。歌の才能を磨くことで街を出て、「いつか皇后に」と大きな夢を描いている。

とにかく望海さんは歌がうまいし芝居もうまいし、デボラ役の真彩さんも見事な歌唱で、「そりゃこの子ならハリウッドのプロデューサーの目に止まるよ!」と思わされる。ハリウッドスターにしてはちょっと線が細い気はするけど、途中で失速してしまう役としてはそこも合ってるというか、こう、ハリウッドで生き抜いていくには生真面目なところがあった、みたいな雰囲気も合ってるなぁ、と。

一方、「バーン!」とした女役を見せてくれるのがキャロル役の朝美さん
朝美さんって男役なんだけども。

びっくりした。

めちゃくちゃうまい。

もともと歌のうまいスターさんだけど、ちゃんとコケティッシュな女性の歌い方になってて、すんごい魅力的。
貸切公演当たってホント良かった、朝美さんのこのキャロルを見逃すことにならなくてマジ良かった、今日はもうキャロルだけで満足、って思うぐらいでした。

望海さんや真彩さんがうまいのはわかってるし、望海さんのギャングがハマるのもわかってたけど、朝美さんの女役がこんなにハマるとは……。『グランドホテル』の役代わりでラファエラやってらしたそうだけど、あれはこんなに「女!」って感じの役じゃないもんなぁ。そんなに歌ったり踊ったりしてた印象もない。動きの少ない、「静」の役だった記憶。

今、これ、観劇後もう4日ほど経って書いてるんだけど、ほんとにキャロルのことしか頭に残ってない。「朝美さんが素晴らしかったです、以上」

……実のところ、お話自体はそんなに面白いと思わなかったんだよね。惹かれあいながらも道を違えたヌードルスとデボラが25年後に再会し、「今は幸せ?」「少しは」と言い合うシーンは『若き日の唄は忘れじ』のあの名シーンを思い出させもして、心に沁みたけれども、全体としては退屈というか……。

ギャングならもっとドンパチ(アクション)してよー、とも思うし、ヌードルスとマックスの絆というか相棒感というかがあんまり感じられなかったし、望海さんと真彩さんが歌うますぎるせいかコーラスとの掛け合いとか、私の好きな感じのシーンがあんまりなくて、「ここ良かった!」って思い出せるシーンがない。

昔みたいに2回3回と観たらまた違うんだろうし、そもそも昔だと下級生も知ってて「あの子がこんな役を」とかちょっとしたシーンでも面白く感じられたんだけど、今はもうトップさん他3人ぐらいしかわからないで観てるからなぁ。
1階A席中央付近でまずまずの席だったけど、それでも双眼鏡なしにはスターさんの顔見えなくて、同じようなスーツ姿だと役の判別も難しく。

ジミーが彩凪さんなのも気づかないぐらいだった……。彩凪さんはちゃんと知ってるのに……わかるはずなのに……。

幕間にプログラム見て「あ!あれ彩凪さんだったのか!」って。
遅い!!!!!

ジミーって労働組合の委員長みたいな人間で、ストを成功させるためにマックス達ギャングに助力を求めてきて、「通りすがりの依頼人かな」と思ってたら最後には「バーン!」と。

いやぁ、「おまえがラスボスか!」感あって、良かったわ、彩凪さん。彩凪さんの観柳良かったもんなぁ(宝塚版『るろうに剣心』観劇記事はこちら)。

で、ヌードルスの相棒にしてギャング仲間4人のリーダー格なのがマックス、彩風さん。彩風さんもスーツ姿決まってて格好良かったんだけど、マックスってあんまり見せ場ないような気がした。
同じ「貧しい移民の子」でもヌードルスは「いずれはまともな仕事を」と思っているけど、マックスの方は「アメリカなんてくそくらえ、俺はアメリカに復讐してやる!」で裏社会に生きることを良しとしている。

それでヌードルスとは「行く道が違う」みたいにもなり、キャロルに頼まれたこともあってヌードルスはマックスの行動を「サツにたれ込む」ことになってしまうんだけど……。

キャロルがマックスのことを、「道端の犬を杖で叩きのめしておいて、後で自分が怖いと泣くのよ」って言ってるんだけど、衝動を抑えられない狂犬、そのことに自分でもおののいているけどだからこそ一層過激な方へ――自分を強く見せる方へ行ってしまう、みたいなキャラクター。

それが25年後にはすっかり牙を抜かれてしまって。

ヌードルスが密告したおかげでマックス他3人は襲撃されて死亡、1人生き延びたヌードルスは名前を変え、小さな修理工場か何かを経営してひっそりと暮らしている。
そこへ差出人不明の謎の手紙が来て、冒頭の「久しぶりに故郷に戻ってきた」シーンになる。

「手紙の主が誰か」はちょっとしたミステリーなんだけど、観客には途中で「実はマックスは死んでない」が明かされているから、「マックスなんでしょ?」と予想ができてしまう。
終盤、記憶喪失で療養所に入っている可哀想なキャロルや、そこで「元ハリウッド女優」としてボランティアをしているデボラが登場、療養所の経営者である「ベイリー長官」とやらが実は……。

25年前、命からがら逃げ出してジミーに助けを求めたマックス。名前を変え、ジミーとともに政界という「表舞台」で成功をおさめていたマックスは今、大変な窮地にあった。裏社会との繋がりをマスコミに暴かれ、ここまで“相棒”としてやってきたジミーから「自分で自分の始末をつけろ」と言われていた。

ヌードルスを探し出し、「仕事の前金」として金を渡したのは、てっきり「ジミーを殺してくれ」という依頼をするためかと思ったのに。

「どうせ死ぬならおまえの手で殺してくれ」

マックスが頼むのは、「自身の殺害」。
ええええええ……そんな弱気な……。
狂犬みたいだった若き日のあのマックスはどこへ行ってしまったの。名前を変え、死んだ気になって、本当に心を入れ替えてしまったの……???

まぁ「犬を殴って後から泣く」タイプだったわけで、実は小心者というか、弱いからこそ吠えるみたいなところあったんだろうし、壮年になって、色々考え、振り返った末に、「ヌードルスに謝ろう。そしてヌードルスの手で決着をつけてもらおう」と思った、っていうの、わからなくはないけど。

デボラと付き合ってたりもするんだもんなぁ。

かつてデボラがヌードルスの求愛を受け入れなかったのは、彼女自身の「ハリウッドへの夢」「皇后への夢」のためと、「裏稼業のあなたではダメ、まっとうな仕事をして」ということがあったからだった。
そんで、まっとうな仕事をしたがったヌードルスを抑えて無茶をしようとしたからこそ、マックスは「命からがら」になったわけで。

その結果まっとうな仕事についたマックスがデボラの愛を勝ち得て、ヌードルスはひっそりと、25年もの間身を隠して生きてきた。
「どっちが幸せというのでもない」みたいなことを、再会したマックスとヌードルスは語り合って、そこは沁みる名場面ではあるのだけど。

「殺してくれ」という依頼を断られ、「諦めるな」とヌードルスに言われて、でもマックスは自分の頭に拳銃を……。

ええええええ、死んじゃうんや、足掻かないんや……。さんざん足掻いた後なのかもしれないけど、なんか拍子抜けだったなぁ。
何ならヌードルスを自分の身代わりに仕立てて殺して生き延びるつもりでは、ぐらいに予想していたのに(そう予想する私が極悪すぎるのか)。
今こうして振り返ってお話を整理すると「そうせざるを得なかった」もわからないではないけど、舞台を見ている時は「なんだよ、つまらん」と思ってしまった、ははは。

一緒に観劇した母は「なんや可哀想な話やったな」と一言。
そうねぇ、ヌードルスもマックスもデボラもキャロルも……。

望海さんと彩風さんってすごくバランスのいいトップ&2番手コンビだと思ってて、『ひかりふる路』の時のロベスピエールとダントン、『壬生義士伝』の時の吉村と大野のお芝居、好きだったから、あの2作に比べるとヌードルスとマックスの絡みはどこか淡々というか、うーん。

ヌードルス達はユダヤ系の移民で、歌にもセットにも「ユダヤの星」が出てくる。これもなんか、生臭いというか、トランプ大統領によるイスラエル寄りの中東和平案とか思い出しちゃって、「こんなにデカデカとユダヤの星を使うのか」と思ってしまったなぁ。

そもそも一本立ての大作よりショーと二本立てが好きということもあるし。
フィナーレナンバーだけじゃ物足りないよぉぉぉぉぉ。
大階段で男役さんが思い思いにポーズ取ってるフィナーレD、すごく格好良かったけど。音楽がシンセじゃなかったらもっと好きだった。

エトワールが舞咲さんだったので「あれ?舞咲さん辞めるの?」と思ったらほんとに退団だそうで。
名前のわかる数少ない娘役さんだったのにな……。
最近ほんとにトップ娘役さん以外の娘役さんがわかんなくて、「二番手」ぽい立ち位置そのものが作られてないのかな?って思うんだけど、単に私がジェンヌさんの名前と顔をわかってないだけなのかな。
昔だったらキャロルはジュンベさん(洲悠花)がやっていたのではとか、つい思ってしまうけれども。

ヌードルスの幼なじみでデボラの兄ちゃんのファット・モー、壮年期は組長奏乃はるとさんで、少年&青年期は橘幸さんがやってるの、そっくりというか違和感なさすぎというか、いいキャスティングだなぁ、と思った。

あと、昔の、カリンチョさん(杜けあき)がやった『華麗なるギャツビー』を思いだしたんだけど、あれも小池先生だったよね。小池先生、この時代の、こういう男達の話が好きなんだなぁ。
『ギャツビー』は「朝日ののぼる前に」を聞くだけでばーっと思いだして感動しちゃうけど、あれも一本立てだし、作品そのものが好きだったというよりは、あの時代の雪組組子さんがみんな好きで、少なくとも2回は観て歌も覚えて、だから「面白かった」だけなのかもしれない。

カリンチョさんのヌードルス、鮎ちゃんのデボラはすぐ目に浮かぶし、ゆきちゃん(高嶺ふぶき)とトドちゃん(轟悠)がギャング仲間のコックアイとパッツィー、ジミーはみゆさん(海峡ひろき)でバッチリ、マックスを一路さんがやるのはちょっと違う気するけど、キャロルはリンゴさん(小乙女幸)…よりは美月さんかな、いや、そんな妄想キャスティングしてもしょうがないけども。

ともあれ朝美さんのキャロルはすごく良かったです。
マックスが死んだと思って、それで当時の記憶を全部なくして炎や火事を怖がる、要介護の身になってしまったキャロル。お金出して自分の面倒を見てくれているのがそのマックスだとも知らずに……。名前を変えて別人として生きるマックスはキャロルと顔を合わせてはいないんだろうし、キャロルを影で面倒見ながらもデボラとよろしくやってんだもんなぁ。
キャロル可哀想すぎるよなぁ。

(元になった映画はAmazonPrimeVideoで見られます。3時間49分……)