最近のSF2作がどちらも肌に合わなかったので、また古典ミステリに戻ってきました。
『紅はこべ』の作者、オルツィが1910年に上梓した女性探偵ものの先駆、『レディ・モリーの事件簿』。

『紅はこべ』は昔、「痛快世界の冒険文学」で読んだんですが、残念ながら記事を書いていません。

『紅はこべ』をもとにした宝塚ミュージカル『スカーレット・ピンパーネル』については感想記事があります(2008年星組版感想記事こちら、雪組版感想記事こちら)。

最近になってミュージカル化されたと思ってたんですが、この『レディ・モリー』の解説によると、もともと『紅はこべ』はお芝居として大当たりを取ったあとに原作小説が刊行されたのだとか。へぇぇ、そうだったのか。

「ホームズのライヴァルたち」というシリーズの一冊として出されたこの邦訳、帯には『紅はこべ』ではなく『隅の老人』の方が挙がっています。


『隅の老人』も「ホームズのライヴァルたち」というシリーズで翻訳されているんですよね。そして「安楽椅子探偵の走り」と言われている。
安楽椅子探偵と女性探偵、両方の“走り”を書いちゃってるオルツィさん、すごいですよね。

そもそも女性ミステリ作家が数えるほどしかいなかった時代。
イギリスで女性が犯罪捜査課に加わったのは1920年らしいのに、早くも1910年にスコットランド・ヤードに「婦人捜査課」を作って、「他でお手上げになると主任がレディ・モリーを頼ってくる」という凄腕の婦人警察官を造型するんだもんなぁ。

本書にはレディ・モリーが活躍する12篇すべての短篇が収められています。
語り手はレディ・モリーの“パートナー”、メアリー。レディ・モリーに絶大な信頼を寄せ、一緒に捜査に飛び回り、時に危ない橋を渡らされたりしています。

第1篇では「私達の課」と言っていて、メアリーもスコットランド・ヤードの婦人警官なのだけど、途中で「ヤードを離れてレディ・モリーの個人秘書」のようになります。

私達の属する婦人捜査課はいつも男性陣からお荷物扱いされていた。とはいえ、女性が不器用で頭の堅い男どもの十倍も鋭い洞察力を持っていない、などと決めつけて欲しくない。世に言う解けない謎が婦人捜査課での精査を受けていれば、迷宮入りの事件は半分ほどに減っていただろうと私は固く信じている。 (P1)

1910年(明治43年)にこう書き切っちゃうのって勇気あるなぁ、と思うんだけど、当時の男性読者の評判はどうだったんでしょうね。

レディ・モリーの素性については最後の2篇で明かされるんですけど、冒頭、いかにもいわくありげな紹介がなされます。

あるものは彼女のことを公爵の娘だと言い、またあるものは貧民街の生まれで、品格や威厳を与えるために“レディ”の肩書きをつけているのだ、と言う。 (P1)

単に「モリー嬢」ぐらいの意味かと思ったら違うんですよね、「レディ・モリー」という呼び名。しかるべき出自がないと普通は「レディ」という肩書きがつかないという。だからおそらく語り手のメアリーが「レディ・メアリー」と呼ばれることはない。

私は最初からレディー・モリーを生まれながらの貴婦人に違いないと信じて疑わなかったが、それでも至るところで出会う洗練された友人達の多さには驚かされた。 (P41)

注文仕立て(テーラー・メード)ドレスを着て完全に身支度を整えた優美なレディ・モリーが(後略) (P91)

レディ・モリーの美しさ、たおやかさ、その振る舞いや友人関係から「高貴な出自」がたびたび匂わされるのですが、しかし「生まれながらの貴婦人」であるはずのレディ・モリー、捜査のためなら変装もいとわず、うす汚れた服を着て掃除婦になったり、夫が警察に捕まったので身を隠しているはすっぱな女になりすましたり、はたまたいかめしい老婦人に化けたりします。

一体どこでそんなスキルを身につけたの……。

短編集だから読みやすいし、小難しいものに疲れた頭にはちょうどいい読みものでしたが、ミステリとしてすごく面白いかというと、そこは微妙なところが。
何しろレディ・モリー、特に「推理」を披露してはくれないんですよね。何の説明もなく、いきなり行動して容疑者にカマ掛けたりして、あっさり自白を引き出す。

どのお話もミステリ好きなら「こういうことかな?」と予想がつく事件ではあるので、詳しく推理を説明される必要はないと言えばないんだけど、謎解きを楽しむと言うよりはレディ・モリーの大胆な行動を楽しむ感じ。

「他の刑事達がどこでつまずき、なぜ解決できなかったかもはっきりわかっているの。でもね、いくら主任が自由裁量を認めてくれたとしても、今からやろうとしていることは型破りだから、失敗すれば即刻首になるでしょう。あなたの経歴にも傷がつく。まだ遅くないわ――今なら、手を引いて私一人にまかせてもいいのよ」 (P91)

ここまでさらっと言い切りながら、「今からやろうとしていること」や「私の推理では真相はきっとこう」という説明を一切メアリー(及び読者)にしてくれないんだもんなぁ。

四の五の言わずに行動で結果を出す、格好良いですけどね。

『大きな帽子の女』という一篇では珍しく種明かしをしてくれて、「女性探偵ならではの視点」を味わえます。

「その女は小柄でなければならないのよ。だから広いつばの下から顎しか見えなかったわけ。だから、すぐに背の低い女性を捜したの。みんなは思いつかなかったみたいね、男だから」 (P264-265)

なるほど~。

で、最後の2篇でレディ・モリーの素性が明かされ、なぜ彼女が警察に入ったのか、その理由も語られます。そしてその理由が“解決”したことでレディ・モリーは警察を辞めて大団円……なんですが。

この最後の2篇は蛇足な気がするなぁ。訳者さんも「最後の事件では入り組んだ血縁関係に矛盾がある」と書いてらっしゃるし。
書かれた時代を考えれば、レディ・モリーのような女性がなぜ警察官として活躍することになったか、単に「推理好き」だから、「バリバリ働くのが好きだから」って話にならないの、しょうがないことかもしれないけど。
ハッピーエンドであっさり警察辞めちゃうのも、そうしないと読者から「続きはないんですか?」「もっと読みたい」と言われてしまうかもしれないもんね。


ともあれ、楽しめました。
『隅の老人』も読んでみたいと思いました(しかし最寄り図書館になかった)。