4月15日発売だった3巻目、すぐにGetして、ゴールデンウィーク明けぐらいには読了していたのですが、色々と他に書く記事があり、5月下旬からは『あぶない刑事』どっぷりになって、すっかり後回しになっていました。
正直だいぶ記憶が怪しいのですが、がんばって書いていきましょう。
【太子殿下の過酷な過去】
2巻の途中から始まった過去のお話。まだ神官になって間もない謝憐が祖国のために頑張れば頑張るほど悪い方へ転がっていたのですが、人面疫に続いてさらに大地震が仙楽国を襲います。
その地震で「天塔」と呼ばれる塔が倒れそうになり、すんでのところで謝憐は黄金の太子像(謝憐を崇めるために造られた神像)を使って塔を支えます。しかしそのためには大変な法力が要り、永遠には持ちこたえられない。
謝憐の苦労も知らず、「太子殿下がいるから大丈夫!」「殿下が支えているのに崩れるわけがない」と言う無邪気な人間たち。
ここで、ついに謝憐は「己の無力」を痛感するのですね。それまでは、たとえ天が崩れても自分なら支えられると信じていた。水不足だって自分が水を運べばなんとかなると思っていた。
人々が彼を信じなくなっただけでなく、謝憐自身ですら自分を信じることができなくなってしまった! (P20)
いやー、作者さんほんと謝憐に厳しいなぁ。何もここまでこてんぱんにしなくても、と思うぐらい打ちのめしてくれる。
結局塔は支えきれず太子像とともに崩れてしまうし、人面疫も治まらず、永安との戦いにも勝てず、仙楽国は滅んでいく。そして「衆生を救えなかった」仙楽太子は崇敬の対象から「疫病神」へと転落する。
「神官」といってももとは人間だし、唯一神ではないのでできることとできないことがあるわけだけど、民衆にとってはやはり「神様」で、ご利益のない神様を信奉するものはいない。そして人々の信奉が――功徳が得られなければ、ますますその“法力”は失せ、いっそう役立たずになっていく。
ああ、どうしてこんなことに。
天界に戻る直前、謝憐は例の、「三郎とおぼしき少年」と再会します。すっかり荒れ果てた仙楽宮で悪党どもにボコボコにされながら、くじけず自作の太子悦神図を掲げようとしていた少年。
あまりにボコボコにされてしまっていて、「顔だちもわからなくなっている」せいか、謝憐はそれが「彼」だと気づいていないようなんだけど、少年の方は、姿を隠した謝憐の気配を瞬時に感じとる。
「俺の心の中ではあなたが神なんです! 唯一の神で、真の神なんです!」 (P34)
見えない謝憐に向かって必死に呼びかける少年。「もう忘れなさい」と言われ、「俺はあなたのことを永遠に忘れたりなんかしない!」(P36)と叫び返す少年。
アニメ2期最終回で描かれた場面ですよねぇ。この別れから800年の時を経て、ついに憧れの人の前に姿を現すことができた三郎。ようやく「対等の立場」で向かい合えると思ったからこそ、殿下の前に現れたのでしょうけど、「神」ではなく、「鬼」になるしかなかった三郎。一体どうやって、どれほどの辛苦を乗り越えて、「絶」にまでなったのか。
アニメ最終回ではこの「忘れたりなんかしない!」のあとに1期での出逢いのシーンが続いて、「今度こそ、最後まで肩を並べて歩きたい」という三郎の台詞が。うぉぉぉぉ、泣いてまうやろぉぉぉ。
あの時、どんな想いだったのか。
その前に与君山で花嫁衣装の殿下の手を取ってはいるけど(あれもどんな想いだったのよ!!!)、800年焦がれ続けた人にようやくきちんと顔を見せることができた、目を合わせることができた――あの瞬間の三郎の胸の裡はどれほど。
アニメのあの演出、ほんとに見事だったよなぁ。ううう。
(※『天官賜福 貳』をAmazonPrimeVideoで見る)
【百無禁忌~三郎を意識しすぎる謝憐~】
時間が現在に戻り、アニメ2期最終回の続き――一般人に取り憑いた戚容に対して謝憐が剣を振り上げたところから「第三巻 百無禁忌」が始まります。
2期最終回のサブタイトルが「百無禁忌」だったんですけど、「百無禁忌」というのは中国語で魔除けに使われる言葉で、禁忌は何もない、好きなようにしてよい、というような意味だそうです。 (→外部サイト「天官賜福用語集wiki」参照)
ああ、どうしてこんなことに。
天界に戻る直前、謝憐は例の、「三郎とおぼしき少年」と再会します。すっかり荒れ果てた仙楽宮で悪党どもにボコボコにされながら、くじけず自作の太子悦神図を掲げようとしていた少年。
あまりにボコボコにされてしまっていて、「顔だちもわからなくなっている」せいか、謝憐はそれが「彼」だと気づいていないようなんだけど、少年の方は、姿を隠した謝憐の気配を瞬時に感じとる。
「俺の心の中ではあなたが神なんです! 唯一の神で、真の神なんです!」 (P34)
見えない謝憐に向かって必死に呼びかける少年。「もう忘れなさい」と言われ、「俺はあなたのことを永遠に忘れたりなんかしない!」(P36)と叫び返す少年。
アニメ2期最終回で描かれた場面ですよねぇ。この別れから800年の時を経て、ついに憧れの人の前に姿を現すことができた三郎。ようやく「対等の立場」で向かい合えると思ったからこそ、殿下の前に現れたのでしょうけど、「神」ではなく、「鬼」になるしかなかった三郎。一体どうやって、どれほどの辛苦を乗り越えて、「絶」にまでなったのか。
アニメ最終回ではこの「忘れたりなんかしない!」のあとに1期での出逢いのシーンが続いて、「今度こそ、最後まで肩を並べて歩きたい」という三郎の台詞が。うぉぉぉぉ、泣いてまうやろぉぉぉ。
あの時、どんな想いだったのか。
その前に与君山で花嫁衣装の殿下の手を取ってはいるけど(あれもどんな想いだったのよ!!!)、800年焦がれ続けた人にようやくきちんと顔を見せることができた、目を合わせることができた――あの瞬間の三郎の胸の裡はどれほど。
アニメのあの演出、ほんとに見事だったよなぁ。ううう。
(※『天官賜福 貳』をAmazonPrimeVideoで見る)
【百無禁忌~三郎を意識しすぎる謝憐~】
時間が現在に戻り、アニメ2期最終回の続き――一般人に取り憑いた戚容に対して謝憐が剣を振り上げたところから「第三巻 百無禁忌」が始まります。
2期最終回のサブタイトルが「百無禁忌」だったんですけど、「百無禁忌」というのは中国語で魔除けに使われる言葉で、禁忌は何もない、好きなようにしてよい、というような意味だそうです。 (→外部サイト「天官賜福用語集wiki」参照)
最終回のタイトルに使われたのは、三郎が謝憐に「あなたは好きにして」って言ったことに繋がってるのでしょうか。あるいは続きを――3期を作るからね、という決意? あんなところで終わられたら、気になってしょうがないですよね。
謝憐は結局戚容を斬ることができず、戚容を「自分の父」だとまだ信じている子どもとともに、菩薺観に連れ帰り、一緒に暮らし始めます。さすがお人好しというかなんというか。でも「父ちゃんをいじめないで、殺さないで」と訴える子どもを前に、めったなことはできませんよね。生かしておくなら自分の目の届く範囲に置いておくしかしようがない。
与君山で出会ったあの人面疫の少年、郎蛍まで引き取って、菩薺観はすっかり賑やかに。食糧調達のため、殿下は道端で大道芸を披露したり、お守りを売ったり。そしてとある事件に遭遇します。苦しむ妊婦のお腹にいたのは赤ん坊ではなく「胎霊」――医者ではなく、道士の出番、道士ならここにいます!と胎霊退治に乗り出す謝憐。
その過程で与君山で聞いた子どもの霊の声が――って、ええっ、あの嫁入り娘の歌の話、まだ引きずるの!?
引きずった上にまだ解決しないし、胎霊となった子どもの父親は謝憐だ、なんて話になって、もちろんそんなのはでっち上げなんだけど、そこには慕情が一枚噛んでいるようでもあり、引きずる伏線が多すぎる。
後半は風師殿の話で、天界でもっとも「いい人」と思えるあの風師殿に大変な悲劇が降りかかってしまう。作者さん、登場人物に対する態度が厳しいよ、ほんとに。しかもあの「地師が鬼界に潜入していた話」がここで効いてきて、これまた伏線の張り巡らし方がすごい。「あの地師がそういうことだったとしたら、え? でも、つまり??」と読みながら混乱したし、たぶんあんまり理解できてない(^^;)
それはそれとして、どんどん縮まっていく謝憐と三郎の距離。
まず、胎霊退治の際に湖に飛び込んだ謝憐に空気を送るため、突如現れた三郎が水中でいきなり口づけ。いや、空気送るためだから。いわゆるひとつの人工呼吸みたいなやつだから、ね?
しかしこれを機に三郎のことが「そういうふうに」気になってしょうがなくなる謝憐、うぶというかなんというか、800年も生きて、しかも相当な腕を持った「武神」なのに、中身が乙女すぎる。
三郎が畑仕事を手伝っていると農夫たちが「うちの娘を嫁にもらってくれないか」とたかってくるんですけど、そこで三郎、「俺はもう結婚してる」って言うんですね。
※英語版「Heaven Official's Blessing: Tian Guan Ci Fu (Novel) Vol. 1」をAmazonで買う謝憐は結局戚容を斬ることができず、戚容を「自分の父」だとまだ信じている子どもとともに、菩薺観に連れ帰り、一緒に暮らし始めます。さすがお人好しというかなんというか。でも「父ちゃんをいじめないで、殺さないで」と訴える子どもを前に、めったなことはできませんよね。生かしておくなら自分の目の届く範囲に置いておくしかしようがない。
与君山で出会ったあの人面疫の少年、郎蛍まで引き取って、菩薺観はすっかり賑やかに。食糧調達のため、殿下は道端で大道芸を披露したり、お守りを売ったり。そしてとある事件に遭遇します。苦しむ妊婦のお腹にいたのは赤ん坊ではなく「胎霊」――医者ではなく、道士の出番、道士ならここにいます!と胎霊退治に乗り出す謝憐。
その過程で与君山で聞いた子どもの霊の声が――って、ええっ、あの嫁入り娘の歌の話、まだ引きずるの!?
引きずった上にまだ解決しないし、胎霊となった子どもの父親は謝憐だ、なんて話になって、もちろんそんなのはでっち上げなんだけど、そこには慕情が一枚噛んでいるようでもあり、引きずる伏線が多すぎる。
後半は風師殿の話で、天界でもっとも「いい人」と思えるあの風師殿に大変な悲劇が降りかかってしまう。作者さん、登場人物に対する態度が厳しいよ、ほんとに。しかもあの「地師が鬼界に潜入していた話」がここで効いてきて、これまた伏線の張り巡らし方がすごい。「あの地師がそういうことだったとしたら、え? でも、つまり??」と読みながら混乱したし、たぶんあんまり理解できてない(^^;)
それはそれとして、どんどん縮まっていく謝憐と三郎の距離。
まず、胎霊退治の際に湖に飛び込んだ謝憐に空気を送るため、突如現れた三郎が水中でいきなり口づけ。いや、空気送るためだから。いわゆるひとつの人工呼吸みたいなやつだから、ね?
しかしこれを機に三郎のことが「そういうふうに」気になってしょうがなくなる謝憐、うぶというかなんというか、800年も生きて、しかも相当な腕を持った「武神」なのに、中身が乙女すぎる。
三郎が畑仕事を手伝っていると農夫たちが「うちの娘を嫁にもらってくれないか」とたかってくるんですけど、そこで三郎、「俺はもう結婚してる」って言うんですね。
「美人で、しかも才徳兼備。子供の頃から好きだった金枝玉葉の貴人だ。何年もずっと好きで、千辛万苦を重ねてやっと追いついて受け入れてもらえた」 (P255)
読者には「謝憐のこと」ってすぐわかるんだけど、肝心の謝憐は「え?三郎にそんないい人が!?」とドキッとして、「嘘だよ」と言われてホッとする。謝憐…おまえ……。いい加減気づけよ!
このくだりの少し前に三郎が「兄さん、結婚しよう」(P250)ってずばり言うシーンがあって、そこでも謝憐、心乱れて大変なありさま。まぁそりゃあ謝憐にしてみたらいきなりすぎるプロポーズだし、「冗談だろう」と思うのも無理はない。そして「冗談でもそんなこと言うなよ!」とむしろキレるの面白すぎる。冗談であってほしくないからこそ、怒っちゃうんだよねぇ。
でもここで謝憐が微妙に不機嫌になっちゃったからこそ、「実は嫁がいる」と農夫たちに言ったあとに、
「でも、全部が嘘っていうわけでもない。俺がまだ受け入れてもらえてないんだ」 (P256)
って言葉が続いたのかもしれない。「何年もずっと好きで」、でも「まだ受け入れてもらえてない」。あああああ、三郎ーーーーーっ。
さっさと「800年間ずっとあなたのために生きてきた」って告白しちゃえばいいのになぁ。三郎にしてみれば、自分から言うよりも、謝憐に「君が好きだ」って言ってもらいたいのかな。こっちから正体を明かすのでなく、謝憐に自分で気づいてほしい……。気持ちはわかる。すごくわかる。でもまさかあのボロボロの少年が絶境鬼王になっていようとは思わないよね。実際3巻に至っても明言はされてないし。
正体には気づいてないけど、どんどん三郎を意識するようになっていく謝憐。最後には「法力を吸い出すため」と称して自分から三郎に口づけし、「一戦交える」ことに。
錯乱状態に陥った三郎を落ち着かせるためだったので、正気を取りもどした三郎は何があったのか全然覚えていない。なんてこった!
しかし口移しで法力を吸ったりあげたりできるなんて、法力って酸素なのか…???
三郎が錯乱したのは「銅炉山が開いた」からで、つまりは「新しい鬼王が生まれようとしているのだ」――というところでこの巻はおしまい。いつもながら「どうなるの!?」という終わり方をしてくれます。
新しい鬼王は風師殿絡みのあの人かあの人ではないか、と想像しているんだけどどうだろう。そんなにすぐ鬼王になれたりしないかな、システムよくわかんない。
【鬼と神官~死んでいるのか生きているのか~】
この物語での「鬼」というのは「死霊」で、だから三郎=花城も厳密な意味では「生きてはいない」「死人」なんだよね。
途中、「死体の入っていた棺なら浮く」というエピソードがあって、「死者なら目の前にいるのでは」「俺が入ればいいんじゃない?」と三郎が申し出て、
謝憐の胸には訳もなく切ないものが込み上げた。 (P319)
ってなるんだけど、最初の口づけは「謝憐に空気を送るため」だったはずなのに、なんで死体が空気を送れるの??? あれも実は空気じゃなく「法力」を送って助けてた、ってことだったのかな。
最初の方で、少年のなりをした三郎を色々試して、「おかしなところはない」「普通の人間だ」という結論になっているので、絶境鬼王にできないことはない、というだけのことかもしれないけど。
逆に神官の方は普通に「生きてる」のか、っていうのもちょっと謎で。天界に飛昇して「神官」になってしまえば、謝憐のように800年経ってもほとんど見た目は変わらない。怪我をしてもすぐ治ってしまうようで、普通の人間とは明らかに違う。でもちゃんと「お腹は空く」ので飲んだり食べたりが必要。
不老っぽいけど不死ではなく、この巻でも某神官が首をねじ切られ、鮮血を噴き上げながら死んでしまう。神官たちの肉体、どういう仕組みなの……?
せめて「いつ頃」になるかだけでも教えてくれませんか、フロンティアワークスさん。せめて、「全巻ちゃんと邦訳出版します!」とだけでも。
読者には「謝憐のこと」ってすぐわかるんだけど、肝心の謝憐は「え?三郎にそんないい人が!?」とドキッとして、「嘘だよ」と言われてホッとする。謝憐…おまえ……。いい加減気づけよ!
このくだりの少し前に三郎が「兄さん、結婚しよう」(P250)ってずばり言うシーンがあって、そこでも謝憐、心乱れて大変なありさま。まぁそりゃあ謝憐にしてみたらいきなりすぎるプロポーズだし、「冗談だろう」と思うのも無理はない。そして「冗談でもそんなこと言うなよ!」とむしろキレるの面白すぎる。冗談であってほしくないからこそ、怒っちゃうんだよねぇ。
でもここで謝憐が微妙に不機嫌になっちゃったからこそ、「実は嫁がいる」と農夫たちに言ったあとに、
「でも、全部が嘘っていうわけでもない。俺がまだ受け入れてもらえてないんだ」 (P256)
って言葉が続いたのかもしれない。「何年もずっと好きで」、でも「まだ受け入れてもらえてない」。あああああ、三郎ーーーーーっ。
さっさと「800年間ずっとあなたのために生きてきた」って告白しちゃえばいいのになぁ。三郎にしてみれば、自分から言うよりも、謝憐に「君が好きだ」って言ってもらいたいのかな。こっちから正体を明かすのでなく、謝憐に自分で気づいてほしい……。気持ちはわかる。すごくわかる。でもまさかあのボロボロの少年が絶境鬼王になっていようとは思わないよね。実際3巻に至っても明言はされてないし。
正体には気づいてないけど、どんどん三郎を意識するようになっていく謝憐。最後には「法力を吸い出すため」と称して自分から三郎に口づけし、「一戦交える」ことに。
錯乱状態に陥った三郎を落ち着かせるためだったので、正気を取りもどした三郎は何があったのか全然覚えていない。なんてこった!
しかし口移しで法力を吸ったりあげたりできるなんて、法力って酸素なのか…???
三郎が錯乱したのは「銅炉山が開いた」からで、つまりは「新しい鬼王が生まれようとしているのだ」――というところでこの巻はおしまい。いつもながら「どうなるの!?」という終わり方をしてくれます。
新しい鬼王は風師殿絡みのあの人かあの人ではないか、と想像しているんだけどどうだろう。そんなにすぐ鬼王になれたりしないかな、システムよくわかんない。
【鬼と神官~死んでいるのか生きているのか~】
この物語での「鬼」というのは「死霊」で、だから三郎=花城も厳密な意味では「生きてはいない」「死人」なんだよね。
途中、「死体の入っていた棺なら浮く」というエピソードがあって、「死者なら目の前にいるのでは」「俺が入ればいいんじゃない?」と三郎が申し出て、
謝憐の胸には訳もなく切ないものが込み上げた。 (P319)
ってなるんだけど、最初の口づけは「謝憐に空気を送るため」だったはずなのに、なんで死体が空気を送れるの??? あれも実は空気じゃなく「法力」を送って助けてた、ってことだったのかな。
最初の方で、少年のなりをした三郎を色々試して、「おかしなところはない」「普通の人間だ」という結論になっているので、絶境鬼王にできないことはない、というだけのことかもしれないけど。
逆に神官の方は普通に「生きてる」のか、っていうのもちょっと謎で。天界に飛昇して「神官」になってしまえば、謝憐のように800年経ってもほとんど見た目は変わらない。怪我をしてもすぐ治ってしまうようで、普通の人間とは明らかに違う。でもちゃんと「お腹は空く」ので飲んだり食べたりが必要。
不老っぽいけど不死ではなく、この巻でも某神官が首をねじ切られ、鮮血を噴き上げながら死んでしまう。神官たちの肉体、どういう仕組みなの……?
【三郎の深すぎる愛】
三郎の深すぎ愛エピソード、色々ある――というより、ほぼ全編それ、と言っても過言ではないわけですが、千灯観と三千本の祈福長命灯のお話がとても良かったです。
天界では、中秋の宴の際に、「闘灯」というイベントが行われます。「闘灯」とは、
その神官の最も大きく有名な宮観に奉納された祈福長命灯の数を競い合う。祈福長命灯はどれだけ金を積んでも一本手に入れることすら難しく(後略) (P66)
というもので、要は神官たちが信者の数と財力を競う遊びなのですが、毎年1位は帝君・君吾と決まっている。その数はダントツの961本。
10位で461本、そして毎年君吾の次に多い数を誇る水と財運の神・水師が718本。
「ガラクタの神」と揶揄され、今となっては菩薺観しか「宮観」が存在しない謝憐には無関係な競技と思われたのですが、最後に出現した光の爆発のようなおびただしい祈福長命灯。
「千灯観、太子殿、三千本!」
えええええええーーーっ!と一堂仰天。
もちろんそれは三郎の仕業で、三郎は「もうすぐ中秋だな、兄さんも参加するだろうな」と考え、鬼市に壮麗な「千灯観」を建て、誰も真似できない三千本もの長命灯を奉納してみせた。
800年前、
「いつか俺が、あなたのためにもっとたくさん、もっと大きくて、もっと立派で、誰にも負けない宮観を建てます」 (P34)
と誓ったとおりに。
しかも謝憐には「ここはずっと前に完成してたけどずっと使い道がなかった」なんて嘘をつくんですよね、三郎。この日のために――いつか再び太子殿下とめぐり逢って献上するために用意していたに違いないのに。
はぁー、もう、ほんとに、三郎ってば。
「私のために生きなさい」と言われ、そのとおりに生き、そして「今度こそ肩を並べて最後まで歩く」ため、絶境鬼王にまで上りつめた少年。
天界では、中秋の宴の際に、「闘灯」というイベントが行われます。「闘灯」とは、
その神官の最も大きく有名な宮観に奉納された祈福長命灯の数を競い合う。祈福長命灯はどれだけ金を積んでも一本手に入れることすら難しく(後略) (P66)
というもので、要は神官たちが信者の数と財力を競う遊びなのですが、毎年1位は帝君・君吾と決まっている。その数はダントツの961本。
10位で461本、そして毎年君吾の次に多い数を誇る水と財運の神・水師が718本。
「ガラクタの神」と揶揄され、今となっては菩薺観しか「宮観」が存在しない謝憐には無関係な競技と思われたのですが、最後に出現した光の爆発のようなおびただしい祈福長命灯。
「千灯観、太子殿、三千本!」
えええええええーーーっ!と一堂仰天。
もちろんそれは三郎の仕業で、三郎は「もうすぐ中秋だな、兄さんも参加するだろうな」と考え、鬼市に壮麗な「千灯観」を建て、誰も真似できない三千本もの長命灯を奉納してみせた。
800年前、
「いつか俺が、あなたのためにもっとたくさん、もっと大きくて、もっと立派で、誰にも負けない宮観を建てます」 (P34)
と誓ったとおりに。
しかも謝憐には「ここはずっと前に完成してたけどずっと使い道がなかった」なんて嘘をつくんですよね、三郎。この日のために――いつか再び太子殿下とめぐり逢って献上するために用意していたに違いないのに。
はぁー、もう、ほんとに、三郎ってば。
「私のために生きなさい」と言われ、そのとおりに生き、そして「今度こそ肩を並べて最後まで歩く」ため、絶境鬼王にまで上りつめた少年。
「この世でもっとも苦しいことは何か」と問われて、三郎はこう答える。
「目の前で愛する人が踏みにじられ陵辱されているのに、自分にはどうすることもできない。何者でもない自分は無力なんだと、何もできないんだと思い知らされる。それこそがこの世で最も苦しいことだ」 (P205)
かつて謝憐が民衆から踏みにじられ、その像がことごとく打ち据えられた時、まだ子どもだった三郎には何もできなかった。ただ、「忘れずにいる」ことしか。
【まだまだ引きずる伏線】
与君山での「子どもの霊」の正体、郎蛍の正体、そして半月関に行くことになった時のあの「空殻道士」の正体。まだまだ判明していないことだらけ。
あの「空殻道士」、何だったんだろうと思いつつ、鬼界の話になったり過去の話になったりして忘れそうになっていましたが、ちゃんと今回の終盤で三郎が持ち出してきてくれます。
色々な事件の渦中に謝憐を巻きこもうとする「見えざる手」。
もしかして、800年前に仙楽国を襲った悲劇にも「裏」があったのでは、と思ってしまいますが。
日本語訳4巻目、いつ出るんでしょう。早く出版して~。5巻6巻も怒濤の速さで出版してほしいぃぃぃ。かつて謝憐が民衆から踏みにじられ、その像がことごとく打ち据えられた時、まだ子どもだった三郎には何もできなかった。ただ、「忘れずにいる」ことしか。
【まだまだ引きずる伏線】
与君山での「子どもの霊」の正体、郎蛍の正体、そして半月関に行くことになった時のあの「空殻道士」の正体。まだまだ判明していないことだらけ。
あの「空殻道士」、何だったんだろうと思いつつ、鬼界の話になったり過去の話になったりして忘れそうになっていましたが、ちゃんと今回の終盤で三郎が持ち出してきてくれます。
色々な事件の渦中に謝憐を巻きこもうとする「見えざる手」。
もしかして、800年前に仙楽国を襲った悲劇にも「裏」があったのでは、と思ってしまいますが。
せめて「いつ頃」になるかだけでも教えてくれませんか、フロンティアワークスさん。せめて、「全巻ちゃんと邦訳出版します!」とだけでも。
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