(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意ください)
『十日間の不思議』に引き続き、ライツヴィルシリーズの新訳版です。
旧訳版を2015年11月に読んでいます。(感想記事→こちら)
『十日間の不思議』で手痛い失敗をして、「もう探偵をやめる」などとのたまっていたエラリー、『九尾の猫』であっさり復帰、性懲りもなくまたライツヴィルに舞い戻ります。
エラリイは、ライツヴィルとのつながりはもう切れたと思っていた。感傷に満ちた目のレンズを通して、少年時代のわが家に思いをはせる者のように、郷愁すら感じていた。生まれ育ったのはニューヨーク市だが、ライツヴィルは魂の故郷だ、と好んで口にした。 (P11)
これ、最初の一文なんですが、よくあんな事件のあとで「ライツヴィルは魂の故郷」とか言えるよなぁ、と。ヒロインに「ライツヴィルが大好きなのね?」と問われた時には「大好きだ」と答えているし、自分のせいで何人もの人間が死に、さらに明確な意志を持って人一人を死に追いやったのに、エラリー、なかなか神経が図太い。
『十日間の不思議』に出てきたウルファート・ヴァン・ホーンのその後、そしてディードリッチ・ヴァン・ホーンが社主を務めていた新聞社のことに言及する時も、特に胸の痛みを感じているふうもなく。
ウルファート・ヴァン・ホーンは、去年の秋に、マホガニー山地の尾根近くにひろがるファリシー湖の夏用の別荘に、ワトキンズ家の娘のひとりを(以下略) (P83)
《レコード》紙の前社主兼発行者だったディードリッチ・ヴァン・ホーンの自殺を耳にするや、町へ舞いおり、ウルファート・ヴァン・ホーンから会社を買いとって、すべてを思いどおりに動かしはじめたにちがいない。 (P162)
まぁこれらはあくまで「地の文」だから、エラリーに複雑な想いがあったとしてもいちいち描写してないだけかもしれないし、色々あっても結局「謎解き」へのワクワクがすべてを凌駕してしまうのがエラリーという人間なんですよね。うじうじして本当に探偵をやめてしまっていたら、この作品も存在しないわけですし。
エラリーが四たびライツヴィルに舞い戻ることになったきっかけは、匿名の手紙。ライツヴィルでの二人の人物の死を報じる新聞の切り抜き。そしてヒロイン・リーマの来訪。彼女の父の失踪(おそらくは殺人)も、先の2人の死と関係があるかのように見え――。
旧訳版を読んだ時も、エラリーのリーマに対する態度につい冷ややかな視線を送ってしまったのですが、今回新訳版を読んで、さらに「あー、はいはい」「ほんと惚れっぽいよね、君ね」という気持ちになりました。リーマが魅力的な女の子なのはわかるけど、彼女が他の男と恋に落ちるとあからさまに不機嫌になったり、彼女が「私にはスパイみたいな真似はできない!」と協力を拒むと「じゃあもうニューヨークに帰る」とごねたり、今作のエラリー、いつにもまして大人げない。あんたそんな男だったの!?
おそらく越前敏弥さんの翻訳が活き活きしすぎているのでしょう。国名シリーズの時の、あの若くて生意気でちょっと鼻持ちならない感じのエラリーがそのままライツヴィルにもいるんですよね。だいぶ年を取って、苦い経験もしたはずなのに。
解説によると越前さんにとってリーマは「クイーンだけでなく、全海外ミステリ中最高のヒロイン」(P464)らしく、「自然児でありながら教養人でもある」彼女にふさわしい文体を練るのに、なかなか苦労されたようです。
解説では旧訳と新訳の比較も行われていて、リーマの反応が真逆になっている個所が引用されていました。新訳でのリーマは旧訳以上に聡明で、エラリーを冷静に観察している“大人の女性”なんですよねぇ。
ちなみに旧訳版の感想記事で紹介していたクイーン警視とのやりとり、新訳ではこうなっていました。
新訳:これまで、自室をだれにも譲らないという英国流を断固として貫いてきた警視が、今夜はリーマに自分のベッドを貸そうと申し出たとき、エラリイは最悪の事態が訪れたのを悟った。 (P63)
あのクイーン警視の心まで一瞬で掴んでしまうリーマ、エラリーがすっかり骨抜きにされてしまうのも仕方ないですね。
しかし「仕方ない」では済まされないのが事件の顛末。エラリーは連続殺人を止めることができず、新たに4人もの人間が命を落とし、自分自身が5人目になる寸前まで犯人の目星を立てられない。のみならず、またしてもエラリーは犯人に利用されている。
エラリイのしたことは、暗くてこわいと泣き叫ぶ子供がいる部屋で、わずかな灯りを消すも同然だった。 (P293)
名探偵がよけいな推理を披露したばっかりに、追いつめられる被害者。
これ、最初の一文なんですが、よくあんな事件のあとで「ライツヴィルは魂の故郷」とか言えるよなぁ、と。ヒロインに「ライツヴィルが大好きなのね?」と問われた時には「大好きだ」と答えているし、自分のせいで何人もの人間が死に、さらに明確な意志を持って人一人を死に追いやったのに、エラリー、なかなか神経が図太い。
『十日間の不思議』に出てきたウルファート・ヴァン・ホーンのその後、そしてディードリッチ・ヴァン・ホーンが社主を務めていた新聞社のことに言及する時も、特に胸の痛みを感じているふうもなく。
ウルファート・ヴァン・ホーンは、去年の秋に、マホガニー山地の尾根近くにひろがるファリシー湖の夏用の別荘に、ワトキンズ家の娘のひとりを(以下略) (P83)
《レコード》紙の前社主兼発行者だったディードリッチ・ヴァン・ホーンの自殺を耳にするや、町へ舞いおり、ウルファート・ヴァン・ホーンから会社を買いとって、すべてを思いどおりに動かしはじめたにちがいない。 (P162)
まぁこれらはあくまで「地の文」だから、エラリーに複雑な想いがあったとしてもいちいち描写してないだけかもしれないし、色々あっても結局「謎解き」へのワクワクがすべてを凌駕してしまうのがエラリーという人間なんですよね。うじうじして本当に探偵をやめてしまっていたら、この作品も存在しないわけですし。
エラリーが四たびライツヴィルに舞い戻ることになったきっかけは、匿名の手紙。ライツヴィルでの二人の人物の死を報じる新聞の切り抜き。そしてヒロイン・リーマの来訪。彼女の父の失踪(おそらくは殺人)も、先の2人の死と関係があるかのように見え――。
旧訳版を読んだ時も、エラリーのリーマに対する態度につい冷ややかな視線を送ってしまったのですが、今回新訳版を読んで、さらに「あー、はいはい」「ほんと惚れっぽいよね、君ね」という気持ちになりました。リーマが魅力的な女の子なのはわかるけど、彼女が他の男と恋に落ちるとあからさまに不機嫌になったり、彼女が「私にはスパイみたいな真似はできない!」と協力を拒むと「じゃあもうニューヨークに帰る」とごねたり、今作のエラリー、いつにもまして大人げない。あんたそんな男だったの!?
おそらく越前敏弥さんの翻訳が活き活きしすぎているのでしょう。国名シリーズの時の、あの若くて生意気でちょっと鼻持ちならない感じのエラリーがそのままライツヴィルにもいるんですよね。だいぶ年を取って、苦い経験もしたはずなのに。
解説によると越前さんにとってリーマは「クイーンだけでなく、全海外ミステリ中最高のヒロイン」(P464)らしく、「自然児でありながら教養人でもある」彼女にふさわしい文体を練るのに、なかなか苦労されたようです。
解説では旧訳と新訳の比較も行われていて、リーマの反応が真逆になっている個所が引用されていました。新訳でのリーマは旧訳以上に聡明で、エラリーを冷静に観察している“大人の女性”なんですよねぇ。
ちなみに旧訳版の感想記事で紹介していたクイーン警視とのやりとり、新訳ではこうなっていました。
旧訳:自己の私室を守る点に関しては純然たるイギリス式で押し通す警視が、今夜は自分のベッドをリーマに提供してもいいといい出したとき、エラリイは事態容易ならずと悟った。 (P51)
旧訳:「もう帰ってきたのか?」と警視。
「見ればわかるでしょう」エラリイは冷ややかに答えた。「ぼくがなにをしてたと思ってるんです?」 (P51)
新訳:これまで、自室をだれにも譲らないという英国流を断固として貫いてきた警視が、今夜はリーマに自分のベッドを貸そうと申し出たとき、エラリイは最悪の事態が訪れたのを悟った。 (P63)
新訳:「もうもどったのか」クイーン警視は尋ねた。「見てのとおりですよ」エラリイは冷ややかに言い放った。「ぼくが何をしていたと思っているんですか」 (P64)
あのクイーン警視の心まで一瞬で掴んでしまうリーマ、エラリーがすっかり骨抜きにされてしまうのも仕方ないですね。
しかし「仕方ない」では済まされないのが事件の顛末。エラリーは連続殺人を止めることができず、新たに4人もの人間が命を落とし、自分自身が5人目になる寸前まで犯人の目星を立てられない。のみならず、またしてもエラリーは犯人に利用されている。
エラリイのしたことは、暗くてこわいと泣き叫ぶ子供がいる部屋で、わずかな灯りを消すも同然だった。 (P293)
名探偵がよけいな推理を披露したばっかりに、追いつめられる被害者。
ライツヴィルのこれまでの“大成功”には、いつも自分を嘲る苦さしか残らなかったことを思い出した。
少なくとも、そこには一貫性があった。 (P422)
ライツヴィルを「故郷のよう」「大好きだ」と思っている時には、その苦さを忘れているのですかね…。
ライツヴィルを「故郷のよう」「大好きだ」と思っている時には、その苦さを忘れているのですかね…。
エラリーがリーマに探偵小説を見繕うくだりで「チャンドラーにしよう。それともケインか、ガードナーか」(P174)と言っているのが面白かったです。そして探偵小説を読み終わったリーマが
「探偵って、ほんとうはあんな風に生きてるわけじゃないでしょ? 出会った女に片っ端からキスや平手打ちをしたり、みんなを殴ったり、いつでも銃を撃ちまくったり」 (P188)
と尋ねるのも。エラリーはそういうタフなハードボイルド探偵とは違いますものね。
(※クイーン作品の感想記事一覧はこちら)
と尋ねるのも。エラリーはそういうタフなハードボイルド探偵とは違いますものね。
(※クイーン作品の感想記事一覧はこちら)
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