いい加減『院政の日本人』の感想も終わらなければな。

「その4」で、鳥羽法皇がシステムを変えずに持ってまわったやり方をしたために「誰が一番偉いのかわからなくなった」と書いた。

「平家物語」の最後で平氏が滅び、御世最大の権力者後白河法皇も亡くなると、「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」で東国に武士政権が誕生する。

幕府ができても朝廷は健在。

源頼朝の肩書きは「征夷大将軍」で、その肩書きは朝廷が与えることになっている。その後の室町幕府も、江戸幕府も、そこらへんのところはおんなじ(はず)。

子どもの時は、「1192作ろう鎌倉幕府」以後は将軍が一番偉い人になったのだ、と思っていた。天皇の代わりに将軍が政治のトップになったんだな、と。

でも天皇はまだちゃんといて、朝廷もちゃんとあって、藤原氏のための「摂政・関白」という地位というか職も、明治維新前までずーっとあったらしい。

日本ではシステムが変わらないなぁ。

「大前提」は変わらないのに、「その時一番偉い人」は「その時どき」で変わる。

でも――というかなんというか、そもそも「幕府」というのは「地方分権」のシステムであるらしい。頼朝は別に平氏とか朝廷とかはどーでもよくて、東国の武者達をまとめ、都とはずいぶん違った生活&政治形態になってしまっている「東国」に、ふさわしいシステムを確立したかっただけなのだ。

……いや、この言い方も違うのかな。「システムを確立したかった」というのでもなく、「自分の取り分を増やしたかった」だけであるのかも。

幕府というのは「分権のシステム」だから、徳川幕府の江戸時代一杯まで、京都には朝廷という「中央政府」があるのである。(P359)

鎌倉幕府や室町幕府なら規模が小さそうでなんとなく納得できるけど、日本全国を掌握していたであろう江戸幕府でさえも「地方の分権システム」だと言われると、「???」と思ってしまう。江戸幕府ぐらいになったらもう朝廷は本当にまったく必要ないじゃないか、なんで家康はさっさと朝廷を廃してしまわなかったんだ? もし信長がもっと長生きしてたら「朝廷」というものをどうしただろう???

鎌倉幕府成立期、朝廷は自分達貴族の人事異動だけが「政治のすべて」で、反乱が起こらない限り、「地方」なんてどーでもよかった。税さえ取れれば――お金さえ入ってくれば、きっとそれで良かった。

一方の東国の人間達にとっても、自分達の基盤である東国が安定して、自分の取り分さえちゃんと確保できていれば、都がどうなっていようと関係はない。

当時の人間は、「自分のテリトリーの中」だけを考えていて、誰も「天下国家のあり方」なんてものを考えていなかったというだけのことである。(P402)

一体それは「当時の人間」だけの話か?と思ってしまうけれども。

それはつまり、ヴィジョンがないということで、天下統治のグランドデザインがないということである。「天下と国家というものはもうある」と考えてしまって、その中での「自分の取り分」しか考えないから、そういうことになるのである。(中略)この時代の人は「自分の理解出来る範囲のこと」しか考えないから、鎌倉幕府は出来ても朝廷はそのままで、幕府と朝廷はその以前と同じように「棲み分け」をしてしまうのである。(P402)

なぜ朝廷はそのままだったんだろう?という長年の疑問がちょっと解けた気がするけど、でもやっぱりこれって、「その時代の人」だけの話なんだろうか……。 


この本は系図や年表、そしてよく知らない似たような名前のオンパレードで、決して「読みやすい簡単な本」ではない。

けれども実に面白い。

平板で無機質な、年号と事件の名前だけが羅列された歴史が、人間の息づかいの聞こえる、「濃密なドラマ」として目の前に展開される。

平安時代とか、院政の時代とか、大河ドラマにもならないし、とっつきにくくて、別に面白いことなんてなさそうな気がするんだけどね。

「歴史好きのアイドル」というのが今はやってるみたいだけど、「私は後白河法皇のあの無茶苦茶さが好きで」とかいう人はまずいない(笑)。日本でもてはやされる「歴史」は戦国時代と幕末・維新期だけで、後は学校で無理に覚えさせられる「無意味な年号の羅列」。

まぁ確かに華々しくはないんだ。華々しくないどころか、貴族達の権力争いはじめじめと陰湿で、もってまわってめんどくさい。血湧き肉躍る大河ドラマというより、ドロドロな昼メロ。

ある意味、日本の政治――というか上流階級の人たちって、もう平安時代にはすっかりソフィスティケートされてしまって、表だっては争わない。「武力で争う」なんていうのは野蛮で、「お洒落じゃない」。

「官」というシステムに依拠する平安時代の貴族達は、システムの中に入り込むことによって、欲望を隠蔽することを当然とした。平安時代に文化のレベルが高かったのは、この「欲望を隠蔽する」というソフィスティケイション能力が高かったからだろうと思うが、鎌倉時代の武士達は欲望丸出しである。(P156)

時代的には「武士」が後で、だからそっちの方が「進歩してる」ようにも思ってしまうけど、人間としてどっちのレベルが高いかって言ったら、平安時代の貴族達に軍配が上がってしまうんだろう。

直接対決しないで腹の探り合いやら事前の根回しやらで知らない間に事を進めてしまう、というのは日本社会の悪い慣習のようにも言われているけど、ある意味「ソフィスティケート」された結果なんだよね……。


橋本さんの語り口はほんとに楽しくて、比喩がまた面白い。

平安期の貴族にとって「男色」はいたって当たり前の話で、それを武器に出世する人たちもたくさんいた。

個人だけでなく「そーゆー家系」になってしまってる家もあって、橋本さん、「もう駄洒落を承知で「家のゲイ」になっている」なんて言う。鳥羽上皇と藤原家成の関係を「大学の先輩の愛みたい」とかね。大学の先輩の愛、って(^^;)

「武者の世」になる前、都で武力をひけらかしていた「僧兵」達は「全共闘」だとか。

都にいる武者は軍隊というより「警察機動隊」で、これと衝突することが多かった僧兵は「全共闘」だと。ここの話、ほんとに「へぇ~!」で面白かった。

平家滅亡の端緒ともなる「鹿ヶ谷の謀議」は橋本さんにかかると「派閥争いに敗れた負け犬オヤジの欲求不満の飲み会」。わかりやす~(笑)。


「歴史」とひとくくりにされる遠い時間の中には、人間がいる。

後の世にそしられる人、重要ではないと忘れられる人々も、みんな、それぞれの生を、それぞれに精一杯生きていた。

無味乾燥に見える年表の記述の間には、たくさんの人の思いがつまってる。

橋本さんの筆によって甦る、古代の人々の息吹。

もう一度彼らに会うために、『双調平家物語』を読み返し始めた。