以前、図書ボランティアで学校に行った時に、「これからちょっとスーパー寄って買い物して帰る」と言ったら、友達が「え?○○まで行くの?自転車で?」と訊いてきた。
私「うん」
友達「坂あんのに自転車大変やん」
私「は?」
学校からスーパーまで、私の認識では坂は一つもない。
真っ平らである。
基本的に、今住んでるとこは坂のない街だ。
なので私は訊いた。
私「坂ってどこに?」
友達「××の前らへん」
私「……あすこ、平らやん……」
友達「え〜っ、坂やん!」
私「どこがっ!!」
その友達は地元の子で、ずーっとこの街に住んでいるので、私にはとても坂とは思えない傾きでも、「坂」と認識するらしい。
私は、実家がひたすら坂ばっかりの街だったので、滋賀に来た時は「なんで坂がないの?」と不思議に思ったくらいだった(前住んでたアパートの周辺も、ずっと平らだった)。
何しろ私の住んでた家は、駅からかなりの急勾配を登っていかねばならず、家から小学校や中学に行くのもまだ坂を登り、高校も「心臓破り」級の坂を登ったところにあって、私はそこを毎日自転車で通っていたのだ。
まぁ若かったし(笑)、慣れればどうってことない。
行きはしんどいけど帰ってくる時は早いし
(ブレーキなしのジェットコースター。自転車暴走族。今の街ではあの爽快感を味わうことは不可能だ)
なので、思わず「坂っていうのはさ!」と友達に力説してしまった。
「あんなのは坂って言わへんの!!」
そうしたら、「あそこを坂じゃない、って言う人初めてや」。
そう言えば、夫が私の実家の近辺にひとり暮らししていた時、川西や宝塚あたりの「山の斜面に建っている家」を見て、「なんでわざわざあんなところに住んでるんだ!危なくて当たり前じゃないか!」とぶつくさ言っていた。
阪神大震災の後かな……。
ずっと真っ平らな街に住んでいる人には、わざわざ山に住むのが理解できないらしい。
そんなこと言ったって土地がないんだから。
(まぁ確かに、「いくら何でもあんな高いとこにあんなにマンションを林立させなくても」と思う場所もあったが)
人間の感覚とか、認識っていうのは、環境や経験や、諸々の要因に左右されるもので、「え〜っ!?」って驚くような「ずれ」は小さなものから大きなものまでアホほどあるに違いない。
結局のところ、私達は「外界」を自分の頭で処理したものとしてしか、見ることができない。
人の数だけ、「世界」や「現実」があるということだ(←話、大きくしすぎ)。
あれ以来、「××の前辺り」を通ると、ついつい「絶対、坂じゃねぇ!」と一人ツッコミしてしまう私である。
日記・その他
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