このblogで「死」とか人生についてちょろちょろ哲学的な(?)ことを書いていたら、友達が心配して、彼女の信仰する教えについて書いたものを送ってくれた。

Nちゃん、ありがとう。

それで、ちょっと「宗教」のことを考えた。
「死」とか「生きる意味」とかについて、子どもの頃から考えてきたわりに、私は信心深くなくて、宗教に救いを求めようというふうに思ったことがない。
まぁ、神社仏閣めぐりは好きだし、たぶん外国行ったら古い教会とかでも「ほ〜」と荘厳な気分に浸っていると思うんだけど。

古い建物、特に信仰関係の建物というのは、その教えがどうこうというよりも、そこに込められた人々の祈りや想いが蓄積されていると思うから、それに打たれて「ほ〜」となってしまう。

祈らずにはいられない人間、救いを求めずにはいられない人間、宗教を必要としてしまう人間。
神様よりも、「人間」が面白いと思う。

昔、『ルバイヤート』という本を読んだ時、「この人あたしと同じこと考えてる!」と思って嬉しかった。
遠いイスラムの地で、何百年も前に、「死すべき生」について同じように嘆きの声を上げていた人がいた、っていうことが、「生きる意味」の答えがわかるよりもずっと救いになった。

Gacktさんの映画『MOON CHILD』を見た時も、「この人あたしと同じこと考えてる!」と(勝手に)思った。
それで歌を聴いたらホントに大好きな世界観で、一気に惚れ込んでしまった。

『Dears』があれば生きていけるな、なんて。
ある意味、これも一つの宗教みたいなものかな……。
歌が教典(聖飢魔�か!?)。

もしかしてもっとひどい災難に遭ったら、神様にすがってしまうのかもしれない。悠長に「考えられないから死ぬのが嫌だ」なんて言っていられるのは、健康で、食べるものにも不自由していなくて、恵まれているからだろう。

どんな状況でも、『Dears』や『OASIS』の心意気で生きている自分でいたい、と思う。