京都国立博物館特別展「狩野永徳」から帰ってきました。
10時すぎに着いて、既に入場制限20分待ち。
なので10時半頃中に入り、最後に絵葉書なども物色して12時45分くらいに出てきました。
2時間ほど見ていた勘定です。

中も当然混んでいたわけですが、とりわけ目玉の「洛中洛外図屏風」のところは人の流れが滞っていました。
係員が「止まらず進みながらご覧下さい」と言っているのですが、やはりみんな近くでじっくりと見たい。
あの屏風、全体はそれほど大きくないのに、すごい細密画で人が2千人余りも描かれているのですね。
細かいところがすごいのです。
もちろん遠目に見ても美しいのですが、せっかくだから本物の細かいところ、見たいでしょ。
なのでどうしても、列が動かない。

あの屏風のところ以外は、それほど「押すな押すな」という感じにはなっていなかったのですけどね。

ちなみにあの「洛中洛外図」は信長が謙信に贈ったと言われるもの。
後ろで他のお客さんが「そらこんなんもらったら上洛したくなるよな」としゃべっていました。
折しも『風林火山』で謙信様、「また上洛」と言っていたところです(笑)。
年代的に、まだこの屏風はもらってないと思いますけれど。
「謙信」と出てくるだけで嬉しくなってしまう今日この頃。
この間森川久美さんの『信長』を読んだばかりでもあるし、「信長がこれを謙信に贈ったのかぁ」と思うと、その絵自体の素晴らしさだけでなく、そこに込められた戦国武将の思惑というものにも感慨を覚えます。

唐獅子図屏風など、本当に圧巻で、このような金碧画で埋めつくされたらしい安土城の天守閣や大阪城、聚楽第の中というのは、一体どれほど絢爛であったことか、と天下人の夢の空間を想像します。
またそれが、失われてしまったということが、世の無常を感じさせる。

永徳が洛中洛外図を描いたのは23歳の時だそうです。
なんと若いのでしょう。
そのような若者が、同じくまだそれほどの年ではない、男盛りの天下人達に才を愛でられ、乱世に華を咲かせたのです。
若々しく、荒々しく、躍動する命。
そういう時代だったのだな、と絢爛な金碧画を見て思いました。

でも、私はゴージャスな金碧画よりも、「花鳥図襖」や「琴棋書画図襖」といった水墨画の方が好き。
金など使わなくても、樹や岩は非常にダイナミックで、かつ幽玄に美しく、「こんな襖がうちにあったらいいなぁ」と憧れます。
そんな襖あったら、気を遣って大変でしょうけれど(笑)。

京都のお寺を巡れば、自然と狩野派の襖絵にも親しむことになって、やはり私は、美術館に飾られているよりも襖として室内を飾っているのを見る方が、美しいと思います。
本当に、お寺でそーゆー部屋を見ると、「ああ、ここでちょっとお茶でもいただいてのんびり過ごしたい」と思う。

今、私が住んでる家は客用の和室しかなくて、二階には襖自体がない。
襖は狩野派、欄間の彫刻も素晴らしく、床の間の掛け軸にはさりげなく中国の故事を描いた水墨画。
ああああああ、憧れるわ。
(でもそんな部屋をきっと散らかすのね、私……)

なんか久しぶりに清荒神の「鉄斎美術館」に行きたくなりました。全然時代は違うけど、鉄斎の水墨画、好きなんですよねぇ。
空いてるし、ゆっくり見られるよ、鉄斎美術館(笑)。

国立博物館の出口に、「3年後のお約束」と言って「長谷川等伯展」の案内看板が立っていました。
おおっ、等伯もやるんですか。
しかし3年後の展覧会の案内って……。