昨日の記事を書いた後で。
「スタイルを持った男」に育てるより何より、未来のお嫁さんに喜ばれるであろうことは、「家事のできる男」に育てることであろうと思い至った。

うちの父は古い人間だったので、「男子厨房に入らず」はもちろん、横のものを縦にもしないという人だった(年とってからはだいぶ母に教育されて色々やるようになったけど)。
「何にもしてくれないんだから!」と怒っている母を、私はずっと見てきた。
「もし結婚するとしたら、家事も手伝ってくれる人がいいな」と思ったものである。

今、ママ友達の愚痴を聞いていても、「食器を片付けてもくれない!」とかいう類のものが多い。
奥さんが出かけるとなると「俺のメシは?」と聞き、作り置いていった食事を食べたら食べっぱなし、帰ってくる早々流し台の惨状にうんざりさせられる。雨が降ってきたのに洗濯物を取り込んでもくれていない……などなど。

「私は家政婦じゃないんだから!」

うちの夫は一通り家事ができる人で、洗い物も当然のようにしてくれます。
なのでママ友からは、「いいわよね、ひゅうがさんとこの旦那さんは優しくて」と言われるのだけど。

思うに、こーゆーことは「優しいかどうか」よりも、そーゆーことをするのが「苦にならないか否か」という問題である気がする。
夫の父、つまり義父も、あの年代の人には珍しく(と私は思うが違うだろうか?)必要であれば洗い物でも洗濯たたみでも掃除機がけでもする人で、そのような家庭で育ったればこそ、夫も抵抗なく家事をしてくれるんだろうな、と思う。
何しろ「下着と靴下は自分で洗いなさい」と教育されて育った人である。ことさら奥さんに優しくしようと思わなくても、日々の生活習慣として身についているのだと思う。

奥さんが風邪で寝込んでいる時に、平気で「メシは?」と言って何もしない夫というのが「全然優しくない!」のはもちろんだけれど、皿洗いにしか夫の優しさを見いだせないとしたら、それもなんか寂しいだろう。

そもそも奥さんが「食器を片付けてもくれない!」と怒るのは、実際に洗ってくれるかどうかということよりも、「そんなことは女房がやって当然」という、夫の態度の方だと思う。いくら専業主婦でそれが「仕事」でも、「こっちは客なんだから」という横柄な態度でいられると、やはりむかつく。
たとえばお店のレジなんかでも、ちょっと包装してもらった時なんかは「ありがとう」と言う方が気持ちよくないだろうか。向こうは仕事でやっていることで、客が「包んで」と言えば包んでくれるのは当たり前だけれど、そこで一言「ありがとう」と言えば、お互いに少しいい気分になれると思う。

ろくに家事を手伝ってくれなくても、他の面で旦那さんに「優しさ」だの「思いやり」だの「尽くし甲斐」だのを感じることができれば、流しに皿がほったらかしになっていても、「しょうがないわね」という鷹揚な気分でいられるんじゃないだろうか。

だからこそ「皿洗ってくれない」ではなくて、「皿洗ってくれない」という愚痴になるのだ。

ちなみにうちの息子、一応「自分用の包丁」を持っているが、それほど料理を作ろうという気はない。
夏休みの宿題で、「お米を洗う」「洗濯をたたむ」などと決めたのに、ほとんどやらなかった。
掃除機は、一間かけただけで「もういいやろ」とやめる。
もちろん「下着と靴下は自分で洗う」なんて育て方はされていない。

……彼が将来奥さんから文句を言われるのは、やはり私の責任でしょうか……。