一昨日の記事で内田樹さんについて言及しました。
内田さんのblogを過去に遡って読んでいたら、面白くて自分の用事をするのを忘れそうです。

今朝読んだところに、こんな文がありました。

「自分の好きな時間に寝て起きて、
 好きなものを好きな時間に食べて、
 好きなところに行って、好きなものを買って・・・
 ということに私はあまり(ぜんぜん)興味がない。
 (中略)
 自分がしたいことを誰にも邪魔されずに
 ひとりでやっていて何が面白いのであろう。
 人生は邪魔が入るから楽しいのである。」

うおー。
すごい。
私は一人でいる時間がないとダメです。
一人で一日中本読んだり書いたりしてられたりしたら幸せなのに、と常に思ってます。

でもたぶん、本当にそれ以外にすることがなかったら、きっと「書きたいこと」も浮かんでは来ないのでしょう。
現実にはそうそう「一人で好きなことばかり」してるわけにはいかないから、ないものねだりで憧れているだけなのです。
実際、他の用事が忙しい時の方が「なんとかして時間を作ってやる!」と思って燃えるものなので、自分のやりたいことも捗ったりします。
「今日は一日好きなことしてていい」となるとダラダラして、結局何もできなかったということも多いのです。

まぁそうは言っても、やっぱり全然社交的ではないし、内田さんのように「たぶん他人と暮らすのがたいへん好き」などとは口が裂けても言えません。
結婚相手だって、できれば天涯孤独な人にしたいと思っていたぐらいです。
それで今、夫の両親に祖母、夫の妹とも一緒に暮らして、盆や正月になると20人以上の親族大宴会になる家の嫁をやってるんですから、人生そうそう自分の思い通りにはいきません。

「人生は邪魔が入るから楽しいのである」

うーむ。
そうなのかもしれませんね。
嫁に来て10年も経てば大家族にも慣れて、正月の人数が少ないと「今年は少なくてさびしいね」などと大口叩けるようになるものです。
(内田さんの主旨とは違うか???)

また、別のところにこうありました。

「研究者というのは、
 実体的なものではなくてマインドのことである。
 研究室があり、研究予算がつき、
 研究時間がなければ研究ができないという人間は
 もともと研究者に向いていないのである。」

色々な邪魔が入るから研究(あるいは自分のやりたいこと)ができない、というのは言い逃れでしかないのでしょう。

続き。

「研究者マインドのある人間は
 眼に触れるありとあらゆるものについて、
 ただちにその成り立ち…(中略)
 …などについて深く後戻りのきかない考察の
 うちに踏み入ってしまって
 忘我の境をさまよってしまうのである。
 そういう人間が語の本来の意味における
 「研究者」であると私は思う。」

私は単に考えることが好きなだけですが、まったく「研究機関」とは無縁な私でも、マインドさえあれば「研究者」と言ってもらえるのでしょうか。
よく小説のネタを考えていて忘我の境地には入ってしまうのですが、それではダメ?(笑)