『カラマーゾフの兄弟』、光文社古典新訳文庫版、読み終わりました!!!!!
すごく面白かった。
なんでこんなに面白いのに「反逆」と「大審問官」以外全然覚えてないんだろう、って不思議なぐらい面白かった。
もしかして私、最後まで読まなかったのかな?と思うぐらい知らないシーンばっかりで(笑)。
最後までわくわくしながら読みました。

なんか、最後は泣けてしまったし。

この間、「こーゆー長編は普通、巻を追うごとに挫折する人が多くなって刷数が減る」というようなことを書いたんだけど、この『カラマーゾフの兄弟』が5巻目もちゃんと12刷にもなっている(たった半年で!)わけがよぉくわかりました。

だって、途中でやめられないよ、これ。
すっごくスリリングで、どきどきさせられて、どういう結末になるのか、続きが気になって仕方ないもの。
うん、結末というか、「展開そのもの」が気になるというのかなぁ。
あらすじは、けっこう知ってる人多いと思うんだけど、私も細部は覚えてないものの、3兄弟の父親が何者かに殺されて、長男が疑われて逮捕されて、でも真犯人は別にいるのだ、っていう大筋は覚えていた。
あらすじがわかっていても、引きつけられる。
むしろ、「え?でもこうなんでしょ?ホントはこうなんでしょ?こうだって言って!」みたいな感じになってくる。

1巻から2巻へはそうでもないんだけど、2巻には「反逆」と「大審問官」があって、殺害前日の謎めいたやりとりがあって、すごくドキドキさせられる。
3巻で殺人が起こり、長男ミーチャの逮捕があって、「でも違うんだよね?」という読者の期待を引っぱりつつ4巻へ。

4巻では一応の真相と裁判。
5巻はエピローグ。

うーん、なんか、何から書けばいいんだろう。
正直、登場人物達はみんな普段からヒステリー状態で、すごい長台詞なのに会話がかみあってなかったり、辟易させられるところもある。1巻なんか特に、まだ事件が起こる前の「登場人物紹介」みたいだから、付き合うのがしんどい部分もあった。

だって、ホフラコーワ夫人とかホントに「なんやねん、このおばはん」って感じやもん。こっちの言ったことはおかまいなしに一方的にしゃべりまくりで、知り合いにいたら嫌やな〜みたいな(笑)。
今、こういう登場人物で小説書いたら「リアリティがない」って言われてボツになりそう。
うん、やっぱりこう、少なくとも「日本人じゃないよなぁ」っていう……。
この時代のロシア人はみんなこーゆー人だったんだろうか?これが「ロシア」というものかしら、みたいなね……。

裁判のシーンも、時代性なのか検事側も弁護側もすごい情緒的なのよねぇ。小説を話しているような、事件そのものの論証以上に自分の意見をしゃべってて、それがまた「泡を吹きそうな」情熱でしゃべってる。
裁判は陪審制なのだけど、結局は「誤審」という形になって、もうすぐ裁判員制度が始まるということとも合わせて、考えさせられてしまう。

人間って、自分の信じたいことを信じたいようにしか信じないもので、わかりやすい、よく知っている、見えている部分だけで判断してしまう。
状況証拠はすべてミーチャにとって不利で、しかもミーチャは普段から乱暴で破滅的な生活をしている。「読者である私」にはミーチャの心の内というものが提供されているけれども、小説の中の人間達には「外づら」ばかりが見えて、ミーチャの一風変わった「気高さ」などわからない。

予審の際に、ミーチャは「自分の恥辱」を白状しなければならなくなる。ミーチャにとってそれは「大変な恥辱」で、「死刑にされても言いたくないこと」であるのだけど、聞かされる判事達にとっては「なんだ、そんなこと」でしかない。それが「恥辱である」が理解できないから、その他のミーチャの告白もまったく信憑性のないものに思える。

なんか、ホントに息苦しくなってくる。
どうしてわかってくれないの?って。

読者には真相が明かされているのに、そして裁判でも証言がなされるのに、それはまるで信用されないのだもの。
ああ、まったく!
人間が人間を裁くことの難しさ。
真実は神様にしかわからないものなのか。
そう、明かされている「真相」ですら、完全なものではなくて……。

「父殺し」というセンセーショナルな事件を喜んでいる人々の空気。「殺したのはミーチャだけど、心神喪失で無罪になる」と思っている人達。
裁判のところだけでも読み応えがあるんだけど、別にそれがテーマというわけでもないからまたすごい。

最後、思わず泣けてしまった部分というのは、ミーチャの話ではないんだもの。
「父殺し」とは一見無関係な、少年の葬儀で小説は終わる。
ミーチャに酒場でからかわれ、ひどい目にあった父親を守ろうとしてクラス中を敵に回した9歳の少年。貧乏のどん底で、決して頼りがいがあるとは思えない父親を愛し、幼くして病で死んでいく少年の葬儀と、彼に深く関わった「カラマーゾフの三男」アリョーシャの言葉。

このアリョーシャのセリフを読んでたら泣けてきた。

死んだ少年の学友達がアリョーシャを讃えて「カラマーゾフ万歳!」って叫ぶところでこの長いお話は終わるのだけど、なんか、なんだろうな。
「父殺し」と、それにまつわる色々な葛藤、人間の醜さ、弱さ、業、どうしようもない運命……。
でも、その醜さ、弱さをもひっくるめて、やっぱり何か崇高なものが、何か大切な、愛しむべきものが人間にはあるんだ、というような。

「万歳」と叫びたい何か――。

……5巻には訳者亀山郁夫さんによる『解題 「父」を「殺した」のは誰か』がついていて、早く読みたくてうずうずしています。
亀山さんの『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』ももう図書館で借りてきてあるし。

「世界最高の文学」。
カラマーゾフ万歳!!!