やっと読み終わりました。

途中で『ひらがな日本美術史』に浮気してしまったこともあるんだけど、なんかこう、つらくって読み進むのが嫌だったのよ~。

強化人間のマリーダっていうお嬢さん(まだ18歳!)がいるんだけど、この人がもう生まれ落ちてからずっと過酷な人生を歩まされていて、本当に、本当に可哀相なのだ。

この第6巻でまたひどい目に遭わされてて……それがわかってるから、読み進みたくなかった。

福井さ~ん、もうちょっとマリーダに優しくしてあげてよ~~~。

まぁ、「人為的なニュータイプ=強化人間」の悲劇は『Z』以降のかなり主要なテーマだとは思うんだけど。

『Z』ではフォウが黒いガンダムに乗ってたよね。

今度は黒いユニコーンガンダムが出てきたもん。あーあ。

別にマリーダと主人公バナージの間に恋は生まれないと思うけど……。

マリーダは「プルトゥエルブ」でもある。

『ZZ』のエルピー・プルの流れを汲む者なのよねぇ。

つまんなかった『ZZ』の中で、エルピー・プルのエピソードだけは好きだった。なのでよけいマリーダに肩入れしちゃって……。

もういい加減、強化人間だって幸せになっていいのに。彼女達(なんで女ばっかりなんだろ?)の持つ特殊な能力が、争いを求める愚かな人間達を引き寄せてしまう。彼女達を利用しようとする者がいる限り、平穏な日々は訪れないのね。

なんか、今までもそうだったけど、今回特に「戦争の狂気」というものがしっかり描かれてて、それもすごく辛い。

マリーダのマスターであり、バナージを大人へと成長させるジンネマンの妻子を襲った、「血まみれの公衆便所にされる」悲劇。

復讐のために、一部の人間の利益のために、あるいは「大義」のために、あっさりとただの肉塊にされてしまう何も知らない市民達。その数はおびただしく、「昨日と変わらないはずの今日」は一瞬の閃光に断ち切られる。

「こんなのは戦争じゃないと言ったな。目を開けてよく見ろ。こんなことが起こるのが戦争だ。主義も、名誉も、尊厳もない。殺す奴がいて、殺される奴がいるだけのことだ」(P270)

ファースト『ガンダム』が画期的だったのは、「敵も同じ人間」である戦いを描いたことだった。個人的には決して「鬼畜」などではない、普通に優しくもある兵士達が、敵味方に分かれて殺し合い、それをさせる「上層部」は平気でそんな兵士達を見捨て、民間人を見捨てる。

主人公達があんなにがんばってるのに、「囮にしとけ」だもんね。

ホワイトベースにはかなり長い間避難民が乗ってて、その避難民達は別にアムロ達のことを英雄だなんて全然思ってないし。

がんばって戦ってるのに「そんな子に育てた覚えはない」とか言われちゃって。

つらいなぁ。

つらいよ。

可能性の獣、ユニコーンには、「それでも」という希望を是非見せてほしい。争うことをやめられない人間達だけれど、それでもやっぱり、人間は捨てたものじゃないんだって……。

次はもうちょっと、明るい話題も欲しいって感じです。


ブライト出てきたけどね。

バナージには父親とかダグザとか、今回のジンネマンとか、「背中を見せてくれる」「正面からぶつかってくれる」大人がいるのに、リディにはそーゆー人がいなかった。

リディというのは、主人公バナージとミネバ・ザビを取り合っているええとこのぼんぼんなんだけど、『ラプラスの箱』の正体と自分の一族との因縁を知ってしまって超悶々としている。

リディの個所を読むのもつらかったので、ブライト艦長という「大人」との関わりで、少しでも彼が幸せな方に向かっていくといいな、と思う。少なくとも、自分自身を呪わなくてもいいように。


しかし『ラプラスの箱』の正体って、なんなんやろなぁ。


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