最後は「うぉぉぉぉぉ、さすが名作と呼ばれるだけある!」とジャン・バルジャンの数奇な一生に感動した『レ・ミゼラブル』ですが。

最初の司教さんのお話は読むのがとても大変でした。

1巻の感想にも書きましたが、その部分は電子書籍(青空文庫)で、スマホの小さい画面で読んだのですね。

読んでると眠くなるっていうか、退屈で、読み続けるのが苦行でした。

紙の本だと、「この司教さんのくだりどれくらい続くの~?」とぱらぱらめくって、いっそどーんと飛ばしてしまうとか、「あと少しか、頑張ろう」とかそれなりに対処できるんだけど、電子書籍だとそれがやりにくい。もちろんページをどんどんめくっていくことはできるけど、「分量」をぱっと把握しにくいし、めくった後で戻るためにはいちいち「しおり機能」とかでマークしとかないとダメでしょ。

最初の司教さんの話だけじゃなく、『レ・ミゼラブル』は途中に本筋と関係ない――いや、関係はあるけど登場人物達のドラマ部分とは一線を画した「社会背景の解説」みたいな部分がけっこうあって、紙で読んでもそこはやっぱり苦痛なので(だって「隠語の解説」とかめんどくさすぎる)、テキトーに斜め読みしてました。

で。

おんなじように「その部分が苦痛で読み進めないよぉ」とおっしゃってるフォロワーさんがいらして、その方は電子書籍で『レ・ミズ』読んでらして、「電子書籍って斜め読みができない」というお話に。

ホントそうだよなー、って思ったんですが、なんでなんだろ。

さっき言ったみたいに、「とりあえずぱらぱらっとめくって“この先を確かめる”がしにくい」のはもちろん、表示されてる画面の文章を「テキトーに拾い読む」も難しい気がする。

スマホの画面だと一度に表示される分量が少なすぎて、「全部読む」か「全部飛ばす」か二者択一みたいになっちゃうのかな。

ということは、タブレットなら「斜め読み」ができるんだろうか。専用端末やPCなら?

ところで以前、「日本語は斜め読みしやすい」という話を書いたことがあるのですね。

養老先生と内田先生の対談の受け売りだったのですけど、日本語の書き言葉は漢字と仮名の混合で、漢字は脳の中で「絵」として処理されている。だから、日本人は「絵」と「文字」が一緒くたになって展開する「マンガ」をすんなり読むことができる、と。

マンガを読む時、私達はまず見開き全体を「一枚の絵」としてぱっと把握して、その後で改めて一コマずつ「読んで」いるらしいです。

たぶん、マンガじゃない普通の文字ばっかりの本でも、脳はとりあえず見開き全部を「見ている」はずなんですよね。だって見えてるし。

で、斜め読みする時って、そこから何か大事そうな部分を、たぶん大事そうに見える漢字を拾って、それだけを読んでるんじゃないか。

漢字は「絵」であり「表意文字」で、漢字そのものに「意味」があるから、文章を全部追わなくても、仮名まで全部きっちり読まなくても、漢字の「字面」だけでなんとなく内容がわかる。

Twitterで、タイムラインが高速に流れていても、フォロワーさんのアイコン画像と、漢字画像とで、つまみ読みができる――。

と思ったのに、なぜ電子書籍ではダメなのか。

スマホの小さい画面では情報量が少なすぎて、「そこから重要そうなところを拾う」がしにくい。

タブレットや専用端末で電子書籍を読んだことはないけど、たとえばネット上の新聞記事とか、内田センセの長文のblogとか、「ディスプレイ上の長い文章を読む」ことはある。そういう場合、「斜め読み」はできるのか。してるのか。

うーん、どうなんだろう、してるのかな、私。

一口に電子書籍と言っても、物語とエッセイやノンフィクション、ハウツー物等内容で違う気がするし、短編小説と長編小説、会話が多いものと、『レ・ミズ』みたいに地の文びっしりのものとでは、「読みやすさ」も違うだろう。

『安吾捕物帖』は連作短編だったので、スマホでも読むことができた。でも、時々人物名とか事件の状況が頭に入ってこなくて、勘で読んでたりもしました。「全部わかんなくてもまぁいいか」って感じで(笑)。

「ん?」と思った時にぱらぱらと前に戻って確認したり、ついつい「最後どうなるんだろう?」と先の方をぱらぱらする、というのがどうにもできにくいですよねぇ。

エッセイとかハウツーはいいだろうけど、長編小説はやっぱりディスプレイで読むのは大変じゃないのかなぁ。『カラマーゾフの兄弟』とか、ディスプレイで読めるのだろうか…。

専用端末だとフォントや字間・行間も読みやすく調えられてるのでしょうけど、普通のPCの画面だと、文字だけがぎゅーっと並んでるの、平板ですごくこう、長く読むのは辛いよね。そんなことない?

紙の本は、開いた時決して「まっすぐ」じゃなくて、字の並びも立体的でしょう。なんかそういうのも「読みやすさ」と関係しているような気がする。

アニメ『サイコパス』では槙島さんが「紙を指でめくることが云々(細かいセリフ忘れた)」って言ってたけど、指が紙に触れる感覚とか、ただ「視覚」だけでない部分が――2次元のものをただ見ているのではない部分が、内容把握や「読みやすさ」に繋がっているのでは。

……と言っても、それは紙の本に慣れ親しみ、「紙の本を読むことをすでに身体化した」人間が感じることで、最初から電子書籍なデジタルネイティブはまた違うのかもしれない。ディスプレイ上の文字を読むことに脳や身体が最適化されていくのかも。

あと、アルファベット圏の方はどのように「斜め読み」しているのか、紙とディスプレイで「斜め読み」のしにくさや「読むスピード」に違いがあるのか、その辺りも知りたいところ。

アメリカでは電子書籍がずいぶん普及してきているらしいけど、アメリカの人は「長編をディスプレイで読むのはきついわ~」とか思わないのかなぁ。

日本で電子書籍が普及しない理由についてコンテンツ不足とか値段とか色々言われているけど、「言語の特性の違い」で、日本語の長文は英語の長文よりディスプレイで読みにくいとか……ないんだろうか。そういうことがあったとして、それを実感できるほどにまだ普及してないような気もするけれど。

かく言う私も電子書籍では『安吾』と『レ・ミズ』しか読んでないんだから、あまりにサンプル数が少なすぎるよね。

私は電子書籍でサクサク『レ・ミゼラブル』や『カラマーゾフ』や『戦争と平和』を読んでます!という方、いらっしゃいましたらコメントくださいませ。もちろん、「長編読みにくいよぉ(´Д`)」という方のコメントもお待ちしております。