図書館に「おうちで学ぼう!」というステイホーム向けのコーナーができていて、そこにこの本が並んでいました。
「わ、黒田先生の本が取り上げられてる!」と嬉しくなったのですが。
読んだ本だっけ?
いや、読んでない???

中身をパラパラしてもわからない。
読んだことない気がするけど自信がない。

おばあちゃん、その本はさっき読んだでしょ(´・ω・`)

blog記事を検索したら、読んだことがあるのは『ポケットに外国語を』『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』の3冊でした。なんでもblogに書いておくと本当に役に立つ。

読んでたのは2014年らしく、もう7年も経ってるから忘れてても無理はない…よね? ラジオでロシア語勉強してからもうそんなに経ったのか(遠い目)。
皆様ご想像のとおり、その後ロシア語学習はまったく継続していないのですが、自分はほったらかしのくせに息子氏をそそのかして第二外国語にロシア語を選ばせたりしました。私の時は第二外国語としては選べなかったのになー(息子氏がどれくらいロシア語ができるようになったのかは不明)。

ラジオのロシア語講座でのお話がとてもわかりやすかった黒田先生、文章もお上手で、先にあげた3冊もどれも読みやすく面白かったのですが。

この本はまたすごいです。
先生1人で90もの言語を紹介してくれます。

「世界の言語について、一人でどこまで語れるか? 本書はひとつの試みである」 (P3)

こういう「世界の言語」を扱う本の場合、各言語に詳しい研究者がそれぞれの得意言語を分担して執筆するのが普通。それを1人でやってしまう。つまり、黒田先生は90カ国語に通じていらっしゃる!?

さすがにそういうわけではなく、「よく知らない」とおっしゃる言語もあって、そういう場合は他の概説書を参考に紹介してくださいます。
たとえばジャワ語。

さあ、困った。本格的に何も知らない言語がテーマとなってしまった。ジャワといわれても、頭に浮かぶのはカレーぐらい。ジャワカレーという語結合をはじめて耳にしたときは、子どもながらにかなりのインパクトを感じた。 (P94)

ジャワカレー美味しいですよね、ジャワのカレーじゃなくハウスのカレーですけど。

「世界の言語入門」などと言われるととても敷居が高そうですが、新書ですし、一つの言語につき見開き2頁、ジャワ語の引用部でもおわかりのとおり、文法がどうのアクセントがどうのという本ではなく、90の言語にまつわる「エッセイ集」。
楽しみながらすらすら読み進むことができます。

言語はあいうえお順に並べられ、アイスランド語で始まり、ロシア語で終わります。最後がちゃんと先生のホームグラウンドで終わるの、よくできてる。

読んでいて思うのは、本当に先生は「言語」が好きなんだなぁということ。読めない言語の本でもバンバン買ってらしてすごい。

嬉しくなって、小説やら詩集やら、たくさん買い込んだけど、いまだに文字すら読めない。 (P43 イディッシュ語)

しかもそれが、研究者になる前、子どもの頃からだそうで。

文字の読めない本を買うことにはまったく抵抗がない。小学生の頃より、お年玉を貯めては丸善へ出かけて輸入絵本を買い求める。(中略)当然ながら読めない。でも、絵が気に入ればそれでよかった。 (P132 テルグ語)

えええええ。ちょっとすごい小学生すぎないですか。栴檀は双葉より芳しすぎませんか。

ちなみにテルグ語というのはインドで使われている言葉で、ヒンディー語に次ぐ言語人口を占め、6000万人以上の話者がいるそうな。

黒田先生の奥様もチェコ語の研究者でいらっしゃるらしいのだけど、スロヴェニア旅行の際スロヴェニア語の教材を買われた奥様、その後日本語でスロヴェニア語の入門書を書いてしまわれた、という話が披露されています。
ご夫婦揃ってすごい。
(ちなみにその入門書はおそらくこれ↓)

中国語の項目では、

今まで出したことのなかった音を出すことは、こんなにも楽しいものか。 (P128)

と書かれていて、やっぱり語学が堪能な方は感覚が違うというか。私、音声ほんとダメダメで、発音とかアクセントとか、苦行としか思えません……。脳味噌が文字に特化されてる気がする。いや、まぁ、キリル文字もハングルも全然覚えられないんだけど、でも音声よりはまだ文字の方が興味は持てる気が…いや、えっと……。

音声も文字もダメダメな私ですが、アイヌ語には「第四の人称」があるという話や、インドネシア語には「相手を含む“われわれ”」と「相手を含まない“われわれ”」の2種類がある、という話など面白いです。

ウェールズ語の項目にはカドフェルのことが出てきて嬉しくなるし。

日本語の項で紹介されるエピソードが「サハリンの韓国朝鮮人の人々の使う日本語」っていうのもまた、黒田先生らしい。

言語学で大切なことは、広い視野から言語を眺めること。日本語と英語が中心で、後はせいぜい欧米やアジアの言語が二つか三つ、それだけで世界を推し量るのは、はじめから間違っている。そういうときにコサ語を聞くとよい。言語に対して謙虚になれる。 (P89 コサ語)

コサ語というのは南アフリカ共和国等で話されている言語で、吸着音とか放出音という珍しい音があり、さらに名詞のクラスが13(あるいは15)もあるのだとか。男性、女性、中性と3つあるだけでも面倒くさいのに13って一体。
どういう分け方をするんでしょうねぇ。

世界には90どころかもっともっとたくさんの言語があって、それは「神様が話を通じなくさせるためにやった」と言われたりもするけど、たとえ「言葉が違う」せいで相互理解が大変になっても、全世界が英語だけで統一されればいいとか、話者人口の少ない言語はなくなればいいとか、そういうのはやっぱり違いますよね。

文字にしても、日本語をアルファベット(ラテン文字)で書くようにする、なんて施策、実行されなくてほんとに良かった。

「はじめに」のところに書かれている

とくに最近の言語学は、人間が言語を生成するメカニズムを理論的に追い求めるのが主流である。心の中、いや、頭の中がどうなっているのかを追求するわけで、これは心理学や生理学に近い。 (P5)

言語一般の法則がまずあって、それを個別言語に適応させていくような演繹的方法ではなく、個別言語をたくさん見つめながら、そこから何かをつかんでいく帰納的方法こそが、言語学であると信じている。時代遅れかもしれないけど。 (P5)

という考え方も素敵。いわゆる「生成文法」、全然わかりません……。

本書は『はじめての言語学』の実践編として、個別言語に触れるためのイントロダクションの役割が果たせればと期待している。 (P6)

順序が逆になったけど、『はじめての言語学』の方も読んでみたいと思います。