『ポケットに外国語を』に引き続き、黒田センセのご本を手に取ってみました。

大変面白かったです!

『スラヴ言語文化入門』という副題を見ると専門的で難しそうな本といった感じがしますが(実際専門的な話も出てきますが)、学術書ではなくあくまでも「読み物」として書かれており、黒田センセのやわらかくて楽しい語り口で、さくさくページを繰ることができます。

スラヴ諸語をまったくかじったことのない人でも、「言葉」に興味のある人なら十分楽しめるのではないでしょうか。

「スラヴ諸語」というのは一般的には

東スラヴ語群=ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語
西スラヴ語群=ポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、上ソルブ語、下ソルブ語
南スラヴ語群=スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語、ブルガリア語

というふうに分類されているそうです。

このうち「キリル文字」を使っているのがロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、ブルガリア語、セルビア語、マケドニア語。

それ以外の言語(とセルビア語の一部)はラテン文字を使っている。

キリル文字はモンゴルでも使われていますが、これは言語が近いためではなくソ連の影響。ソ連崩壊後「モンゴル文字を復活させよう」という機運もあったらしいのですが、Wikiによると「モンゴル文字への全面的な切り替えは正式に中止された」そう。

日本人にとっては「ロシア語と言えばあの独特の文字」という印象の「キリル文字」。この文字の成立や歴史を扱った「第三章 文字をめぐる物語」は特に興味深かったです。

キリルさんが作ったから「キリル文字」……と思いきや、キリルさんが作ったのは「グラゴール文字」と呼ばれる別の文字だそう。キリルさんとメトディーさんという兄弟が作った「グラゴール文字」から50年ほど遅れて、キリル文字が登場したそうです。

で、なんでキリルさんとメトディーさんが新たに文字を作ったかというと、それは布教のため。当時スラヴ人はまだ文字を持っておらず、キリスト教伝道には文字で書かれた文献がどうしても必要だ!ということで二人は「たちまち文字を作り上げ」、福音書をスラヴ人の言葉に翻訳して布教の旅に赴いたらしい。

ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語以外で神を称えることがなかった当時、スラヴ語でキリスト教の儀式をおこなうのは、たとえばカトリックのドイツ人から見れば非常識もいいところで、大センセーショナルなことだったと思われる。 (P146)

へぇー、そうだったのか。

日本だと中国語(?)以外でお経を上げるなんて!みたいな感じでしょうか。般若心経とか日本語訳で「お経をあげた」らなんか御利益薄そうな気がしますね(笑)。

グラゴール文字やキリル文字といった「スラヴ語専用の文字」が編み出されて「万歳!これで私たちの言葉が書き表せる!」となったかというとそうでもなくて、「スラヴ文字なんか要らないじゃないか」という声もあったようです。修道士フラブルによる『文字の物語』という作品が紹介されていますが、これは“スラブの文字に批判的な人に対するなかなか過激な返答となっていて、興味深い(P161)”内容です。

当時文字を必要とし、読み書きできた人々というのは聖職者が主だったのでしょうから、「文字が必要ない」どころかそもそも「スラヴ語で神を称える必要なんてない」と思っていたのでしょうか。

世界には、文字を持たなかったがゆえに存在すら確認されていない言語がきっと多くあったのだろうと思います。

日本語には「日本語の文字」があって良かった、と読んでてしみじみ思いました。

漢字は中国から入ってきたもので、「借り物」ではありますが、今となっては「中国の漢字」とはまた違ったものになっている気がしますし、「国字」という日本で作った漢字もあります。何より「平仮名」の発明がやはり素晴らしかったと。

カタカナが9世紀、平仮名もそのちょっと後ぐらいに出て来たみたいで、偶然にもグラゴール文字が出現したのと同じ頃。

自分達が日常話している言葉で文章を書けるって、ほんとありがたいことですよねぇ。まぁ、「言文一致」に関しては日本語でも色々な紆余曲折があるわけですけども。(参考:『失われた近代を求めてⅠ~言文一致体の誕生~』

一時期、日本語表記をすべてローマ字にしようという運動もあったそうですが……採用されなくて本当に良かった。

実際、言語は国家統治のカナメである。言語政策は国の命運を左右する。だからどこの国でもその威信にかけて、自らの「国語」をまとめ、辞書を編纂し、国を治めていこうとするのである。 (P65)

グローバル人材の掛け声も勇ましく英語教育の話ばかり盛り上がる昨今ですが、「日本語教育」についてはどうなんでしょう。国家として熱意はあるのでしょうか。日本人に対する日本語教育だけでなく、外国人に対する日本語の普及に関して、どれぐらい力を入れているのかな。

なんかさっき、「中国の腐女子専用の日本語教材『腐女子的日語』がヤバすぎる」って記事を見つけましたけども、「国家」としてはお世辞にも仲が良いとは言えない国でこんなにも熱い日本語学習が行われているなんて感動ですよね。ヲタの世界は人類皆兄弟というか。

「将来役に立つから」とかいうのよりよほど頭に入りそうです。

『腐女子的ロシア語』とかいう教材、ないかなー。

……話がずれました。

祖を同じくする言語だけに似たところも多く、下手に複数勉強すると混乱するらしいスラヴ諸語。「静かなるベラルーシ語」「さまよえるチェコ語」など「現代のスラヴ諸語」にまつわるエピソードを集めた第五章も楽しかったです。

相撲クラスタとしてはチェコと言えば隆の山(笑)。琴欧洲や碧山はブルガリアですし、臥牙丸はグルジア――って、グルジア語はスラヴ諸語じゃなくコーカサス諸語だそうで。

じゃあ把瑠都のエストニアは……と、この本読んでから「○○国は何語?そしてどこ系?」というのが妙に気になります(笑)。

ちなみにエストニア語はウラル語族だそうです。ウラル語族ということはえーっとそもそもインド・ヨーロッパ語族ではないということか?(←本当に言語学専攻だったのか怪しい(^^;))

さらにちなみに日本語は今のところ「孤立した言語」で、色々仮説はあるものの「系統はわからない」とするのが一般的なよう。

言葉の世界って面白いなぁ、英語だけが外国語じゃないよなぁ、と改めて思わされる楽しい本でした。

こうやって「世界を垣間見る」のが面白いのであって「しゃべれるようになろう」などとはついぞ思わない私、「しゃべる必要のない(誰も現在それを日常語として使っていない)ラテン語とか面白そうだなぁ。いつかかじってみたいなぁ」と思っていたのですが。

たとえばラテン語は、ヴァチカンに暮らすカトリックの僧侶たちがいまでも会話に使うらしい。インドの古典語サンスクリットはラジオ放送があり、新聞や雑誌が発行されている。(中略)1981年の国勢調査では、日頃家庭で用いることばとしてサンスクリット語を挙げた人が2946人いたそうだ。 (P131)

えええっ、サンスクリット語で日常会話!?

ラジオ放送があるということは少なくとも「しゃべれる人がいる」ってことだし、サンスクリット語の新聞ってつまりあの梵字がずらずらと紙面を埋め尽くしているの……???


言葉の世界は、本当に広く深いです。


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