2000年7月に刊行された黒田センセのご本です。今回も楽しく読み進みました。グラゴール文字とか出て来る『羊皮紙に眠る文字たち』よりさらに一般向きで読みやすいのではないかしら。

まず、第1章の「水曜日の外国語研究室」では、黒田センセが出会った学生たちのエピソードが語られます。当時黒田センセは東工大で理系の学生にロシア語を教えていらっしゃったのですね。

理系の大学なのにロシア語の講座が開講されてるなんてすごいなー、と思ってしまいます。私は文学部でしたが、ロシア語は第二外国語としては選択できず、教養科目の一つとして開講されていただけだったような(間違ってたらすいません、何しろン十年前の話です)。

文学部に進んだものの語学はまったく好きでも得意でもなかった私。

外国語の嫌いな学生は考える。英語の他に、どうしてさらにもう一つ勉強しなければならないのか? いまや英語ができればほとんどの場合、用が足りる。もっと英語を勉強するほうがいいのではないか(とは思うが、べつにやる気もない)。英語が苦手な人間にこれ以上新しいものを学べといわれても、それは無理というものではないか? (P8)

と黒田センセが代弁してくださるとおり、第二外国語として選択したドイツ語はひとかけらも身につきませんでした。

黒田センセはロシア語の先生ですから、当然学生が「英語だけでいいじゃないか」などと言わずにロシア語を学んでくれたら嬉しいわけですが、別に何語でもいいんだよ、とおっしゃる。

人にはそれぞれ考えもあるし、好みもある。愛情を強制するわけにはいかない。 (P10)

いいですねぇ、このスタンス。「愛情を強制するわけにはいかない」。

で、「なぜ英語以外の外国語を学ばなければいけないのか?」という問いに対して黒田センセはこう答えます。

大学における外国語の役割とは、新しい外国語を学ぶノウハウを身につけるためのシミュレーションなのだと考える。 (P10)

この先仕事その他でどんな国に行くことになっても、どんな言語と付き合う羽目になっても、そこでアレルギーを起こさず、学ぶ姿勢を持てるようになる訓練。

「未知の外国語に対する抵抗力をつける」というふうにも表現されています。

なるほどなぁ。

東工大の学生には面白い人が多いのか、いや、面白い人だけを特に抜粋して本になさってるんでしょうが、なかなか学生さん達のエピソードが楽しいです。

「ムーミンを世界一苦しみながら読む青年」アンドレイのくだりなんて、なんか泣けましたもの。

「アンドレイ」と言っても別に留学生ではなくて、黒田センセの研究室ではそれぞれにロシア名をつけてその名で呼ぶ習慣なのだとか。いいなぁ、楽しそう。ついでに父称もつけると面白そうですよね。父親がタカヒロだったらタカヒーロヴィチとかつける。

「ねぇ、アンドレイ・タカヒーロヴィチ、君はどう思う?」
「そういうことは僕じゃなくカテリーナ・アツーシヴナに訊いた方がいいと思うな」

クラスメイトの名前を覚えられる気がしない(笑)。

第2章は「外国語幻想」。

多くの人にとって「外国語学習とはこういうものだ」と信じていることがいくつかあり、それがわたしからみると何の根拠もない話なのである。 (P106)

たとえば、「ロシア語は難しい」という先入観とか、「日本語は外国人にとって難しいはず」というような。

じゃあ易しい言語とは何かと、反対に尋ねたくもなる。ところがこれはあまり意見の一致を見ない。 (P107)

英語が易しかったらみんなもっとペラペラ話してるはずだもんね。

印欧語族の人にとって他の印欧語を学ぶのは日本人が印欧語を学ぶよりは「易しい」だろうとは思うけど、母語ではない言語を本当に完璧に話そうと思えば、やはり非常な努力がいる。

「完璧は無理」と書いてある個所もあったような。

「日常会話ならなんとか」、というのも幻想で、

日常会話をナメテはいけない。日常会話はある意味では会話能力の総決算、最高段階なのである。知識がしっかりあれば、語彙が限定されている専門分野での会話のほうがむしろ楽なのだ。 (P147)

これはそうだろうと思います。日本語でも、「雑談」って高度なコミュニケーションですから。あっちこっち話題は飛ぶし、それぞれの交友関係や仕事といった「言語外現実」もおさえておかないと話が通じなかったり。

さっき「ムーミンを世界一苦しみながら読む」青年が出てきましたけど、彼が読んでいたムーミンは、ヤンソンの原作ではなくマンガタイプのものでした。もちろん言語はフィンランド語ですけれど、50ページほどの薄い雑誌タイプ。「フィンランドの子どもならきっと寝っ転がって読んでしまうような漫画雑誌」だけれど、だからこそ外国人には理解が難しいわけです。「省略されている部分」が非常に多いでしょうから。

あと、「会話は簡単で文法は難しい」みたいな話も幻想だと。

文法とはマニュアルである。本来なら例文を山ほど覚えるところを、効率的にまとめてあるのだから、嫌うどころか有り難く感謝しなくてはならない。 (P134-135)

うん、少なくとも「会話は簡単」ってことは全然ないですもんねぇ。

第3章の「学習法としての言語学入門」は、黒田センセが実際に同名の授業を担当していらして、その講義の内容を簡潔にまとめたもの。

「言語学とは何をする学問か?」という根本から始まって、音声学や語彙論、文法論、日本語学に社会言語学とひととおり俯瞰する形。

なんか、昔大学で学んだことを懐かしく楽しくおさらいさせていただいたという感じです。うん、黒田センセに習ってみたかった。

授業での「学生の回答例」も掲載されていて、これも興味深かったです。



やっぱり言葉って面白いなぁ、と思える本でした。



社会言語学ではこのさまざまなことばのどれもがその研究対象なのである。そのときに評価を与えてはいけない。言語には決して美醜はないのである。 (P232)


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