2015年6月20日土曜日

「本を買う」という行為、あるいは選択権の話

先日(2015/06/15)、NHK「クローズアップ現代」で「買い物は“おまかせ”スタイルで!? ~広がる目利きビジネス~」というテーマの放送がありました。

前半しか見なかったんですが、プロのスタイリストさんに洋服をコーディネートしてもらったり、本屋さんに1万円分お任せで本を選んでもらうサービスが紹介されていました。どちらも好評なのだとか。

「おまかせ1万円選書」のいわた書店さんは以前にもテレビで取り上げられ、ITメディアにも記事があります。(“おまかせ「1万円選書」に注文殺到 北海道の小さな書店”)

活字中毒者としては「ええええっ、人に本を選んでもらうなんて考えられない!1冊ぐらいならまだしも1万円分も!もったいない!!!」とつい思ってしまうのですが。

どうなんでしょう。

利用しているのは「本を読むのは嫌いじゃないけど何を読んだらいいかわからない」という人なんでしょうか。

「自分でも選ぶけど、人に選んでもらうのも面白そう。自分ではなかなか手に取らない本に出会えるし」という人もいるんでしょうね。

この間、私は「森へゆく径」という雑誌の「1万円お渡しするので好きに本を買ってください」という企画に参加したわけですが、降って湧いた「1万円」であるにも関わらず、「普段ならあんまり買わない・買えないような本を思い切って買う」ということができず、「遅かれ早かれ自分で買っただろう本」ばかり買ってしまいました。

だってやっぱり、もったいないじゃないですか……(貧乏性)。

なので、「自分では買わないような新しい本・新しい世界」に出会うなら、凝り固まった自分の頭で選ぶより、「人に選んでもらう」方がいいのでしょう。

それに、新聞の書評欄やネット書店の読者レビュー、書店で行われている「お薦め本」フェアなどを参考に本を買うのも、考えてみれば「人に選んでもらっている」ようなものです。最近の私は新しい作品にはほとんど手を出さず、古典ばかり読んでますが、「古典」というのは結局「みんながこれはいいと思ったもの」で、すでに「名作」と呼ばれているものを読むのは、「先人に本を選んでもらっている」のと同じことかもしれません。

でも、「名作」はいっぱいあるし、各種レビューを参照したとしても、最終的にどの本を買うか決めるのはやっぱり私です。

旅行も計画してる時が実は一番楽しかったりしますが、本も選んでる時が楽しかったりするので――そして、迷いつつ買った本が「当たり」だった時の喜びがまたたまらないので、私にとっての「読書」はただ「中身を読む」だけじゃなく、「その本を選ぶ」ところから始まってるんだなぁと思います。

「本の中身」だけではない、その外側に付随する物語。

そして「おまかせ選書」を利用する人達にとっては、「誰かが自分のために選んでくれた本」という「物語」がある。単にドサッと1万円分本が送られてくるわけではなく、アンケートや手紙でのやりとりがあり、「自分のために丁寧に選ばれた本たち」なのですよね。

うーん、それはわかる。わかるんだけど。

だが断る(笑)。

もっと若い頃だったら面白かったのかなぁ。この年になると別に自分の偏った趣味を矯正しようという気にもならないし、新しい世界に寄り道していたら今読みたいと思っている本を読まないうちにさっさと人生が終わってしまいそう。

命短し本読め乙女。

自分で選んだって当たりはずれはあるんだけど、人に選んでもらってはずれだったら「ああ、この1000円であっちを買っていれば」とか思っちゃいそうなんだよなぁ。てか絶対思うな、私は。

当たりだったら当たりで「ちきしょー、負けたぜ」とか謎の悔しがり方をしそうだし(笑)。

服に関しては自分のセンスをまったく信用していないので、もし会社勤めとかしていて「まともな服が相当数必要」な状況にいたら、「プロに選んでもらうサービス」を利用するかもしれない。

お洒落な人にとってはこのサービスも、「えーっ、お店を回って“これは!”って服を探すのが楽しいのに!」というお話なんでしょうね。要は、その人がどのジャンルならこだわって、どれなら他人に選択を委ねてもいいかという優先順位の問題にすぎない……。

ただ、本って「能動的に読まなきゃいけないもの」でしょう。

たとえば音楽なら、テレビやラジオから流れてきたメロディーにふと心を惹かれるとかあるけど、本は自分で活字を追って内容を把握しなくちゃいけない。

本を読むのが好きじゃない人って、そういう「自分で字を追わなきゃいけない」「そしてそれを脳内に展開しなきゃいけない」っていうのが面倒くさいんだろうなぁと思うんだけど、違うのかな。

能動的に読まなきゃいけないのに、最初のところが受動的に「お任せ」になるっていうのが、こう、すでにどっぷり活字中毒な人間には不思議な感じがするのですよね。

まぁ、本に1万円出そう、っていうんだから、あの選書を利用する人はやっぱりそこそこ本好きな人なのかも。

本好きなのに選書はお母さんにお任せ、って子がうちにもいるもんなー。

「だって、本屋行っても何が面白いかわかんないじゃん」 いや、そうだけどさ。私だって
「面白そう」と思って買うだけで、はずれることもある。むしろ「せっかく買ったんだからなんとか面白がろう」としてとにかくblogに感想書く、をしてる気もする。

もしかしてうちの子はそんなに「本好き」ではないのかもしれない、と思うけれど、それは単に、「“私のような”本好き」ではない、というだけの話かもしれず。

うーむ。

でも本は一人で読むもので、服みたいに「ある程度ちゃんとしていないと人目が」ってものでもないから、ものすごく趣味が偏っていても、周りにまったく理解されなくても、特に問題はないと思うんですよね。それこそ「本なんか全然読まない」でもかまわない。服はとりあえず何か着てないとまずいけど、本読まないからって社会生活が営めないわけではない。「ちゃんとした読書をする必要」なんてないし、「選ぶの大変だから読まなくていいや」で済ませられる。

……ここで「周りにまったく理解されなくても問題ない」と考えてしまうのがヲタ属性なのであって、普通の人はもうちょっと穏便に、コミュニケーションの取れる読書をしたいものなのでしょうか。いや、でも所詮本読んでる時って「一人で異世界にトリップ」じゃ(ループ)。

そもそも「本=小説」ということを前提に話している時点で、おかしいのでしょうね……。


いわた書店さんの「1万円選書」サービスはきっと、いわたさんの人柄や力量に負う部分がとても大きいのでしょうから、たとえ「目利きに本を選んでもらいたい」という需要が多くても、そうそうこのサービスが広く普及することはないようにも思えます。

Amazonさんが「この本を買った人はこんな本も買っています」というアレをもっと洗練させてくることは大いに考えられますが……。「あなたの購買&検索履歴とアンケートに基づいて定期的に本をお送りします」みたいなサービス(人手ではなく機械的なもの)がいずれ出てきたりするかなぁ。


というわけで、この記事に興味を持った人は、“人が「本を買う」という消費行動から、「本」について考えてみました。人は何を考え本を選ぶのか?”がテーマの『森へゆく径』創刊号を買ってみるといいかも(発売は2015/07/10のようです)。

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