2016年11月10日木曜日

感情は論破できない~米大統領選に思うもろもろ~

eoblogから移行した記事をチェックして画像を入れ替え、記事リンクを差し替えるというちまちました作業を継続中。記事自体は無事すべてインポートできたけど、チェックはまだ半分も終わってない。あまりに作業量が多くて、

「blog書きすぎやっ!」
「絵文字なんか使うなボケッ!」
「よけいな改行入れてんじゃねぇぞこの○△□※!(blogの品位を損なうので伏せ字)」

と昔の自分に悪態をついています。

一番記事数が多いのが2008年。1年365日なのに407記事もある。ほんとふざけてんのか?(笑)

8年前だから「大統領選と中絶の是非の関係」なんていうアメリカ大統領選にまつわる記事もあったりします。オバマさんが大統領になった時の選挙。

この頃は「政治・社会」カテゴリの記事をけっこう書いていて、自分でもびっくりしてます。Twitter以前ということもあって、ほんと何でもかんでもblogに書いてたんですねぇ。最近はTwitterでも政治や社会に対する「自分なりの意見」をつぶやくことがめっきり減っちゃってるのに。

他の人の意見をリツイートしてそれで済ませてしまう。

タイムラインにはいくらでも「私なんかのつぶやきよりずっとしっかりした分析&意見」が流れてくるし、つぶやきにしろblog記事にしろ、政治的なことをちゃんと書こうと思ったら時間がかかっちゃうから。

この記事も書こうかどうしようかなー、と思ったんだけど、「トランプ大統領誕生!」という大ニュースについてはやっぱり何かしら記録を残しておくべきかなぁと。

8年前の記事に

“アメリカは超大国で、アメリカの大統領は世界の命運を左右する人だけれども、でもアメリカの国民の大多数は普通の庶民で、「生まれた町から出たことがない」ような人もいっぱいいて、世界情勢よりも今の自分の暮らしを良くしてほしいと思っている人がいっぱいいるだろう。”

と書いているんだけど、今回もまさにそれだったんでしょう。「世界の指導者たるべきアメリカ大統領にふさわしい人物を選ぶ」というよりは、「俺たちのこの現状をなんとかしてくれよ!」という。

Twitterに流れてきたもので興味深かったのは

ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう

という7月末に書かれたというマイケル・ムーア氏のコラムとか、





といったつぶやき。

北丸さんのブログの中の

“トランプ対ヒラリーは心理的というか心の動きの上での、理屈と感情、建前と本音、大脳皮質とその奥の原始的な反射脳、みたいな心の中の「上下」の層の争いみたいな感じがした。”

という部分は「ほんまそれ」って思う。

理屈は感情に勝てないんだよなぁ。

「おまえの言ってることは正しいかもしれんが、俺はおまえが嫌いだ」

感情っていうのは合理的ではないから理屈で論破することはできないし、「誰がどう見ても正しい反論できない正論」で論破されればされるほど「でもおまえなんか嫌い」という鬱屈が溜まっていくという。

トランプ氏当選で「番狂わせ」と驚いてる日本だけど、東京都民が石原さんを再選した時も、大阪府民がやっぱり維新を選んだ時も、他県民としては「えー、なんでまた選ぶの?」って思ってきたわけで……。


あと8年前の記事で「“夫婦別姓に反対”を公約に掲げても云々」って書いてるんだけど、今だったらこういうことが十分「選択基準」になってしまう気がする。自民党の改憲草案ってまさにそういう感じで、家父長制だったり「個人より家族、さらに国家」みたいなところを目指しているんだもんね。いわゆるリベラル派は「みんな草案の実態を知らないから支持しちゃうんだ」「知ったら反対するはずだ」と言ったりするけど、別にそういうわけではなくて、支持者はわかっていて支持している、本当にそうなってほしいと思って支持している。

ような気がする。

戦前世代が現役でなくなれば、軍国主義的なもの、家父長的なもの、男尊女卑的なものは自然消滅していくと思っていたのが、全然そうはならなくて、なんというか、「嫌いなものは嫌い」というか、「政治的に正しい」ということはつまり「心情的に正しくない」というか。

ただ、日本ではエスタブリッシュメント中のエスタブリッシュメントがそっち方向で、「エスタブリッシュメントvs庶民」の構造にならないのが不思議……って、要するに日本ではリベラルがエスタブリッシュメントだったことがないということなのかな。「グローバリズムへの反対」っていうのも、安倍政権はTPP強行派で、その辺ねじれてる感じ。


(…オチがつかなかった)

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