(※ネタバレありまくりなのでこれから本書を読む方はご注意ください)

ああ、終わってしまった……。
『鋼鉄都市』から始まったロボット・ダニールのシリーズと『ファウンデーション』シリーズ、その両方がついに全部終わってしまった。

さみしい。

とてもさみしい――。


前作『ファウンデーションへの序曲』でダニールと出会い、心理歴史学を発展させる運命を担ったハリ・セルダン。その時32歳だったセルダンの、波乱に富んだ後半生が描かれます。

エピローグを含めた5部構成になっていて、それぞれの間におおむね10年の月日が流れます。

まず第一部「エトー・デマーゼル」。
『ファウンデーションへの序曲』の最後でめでたく相思相愛になったドースと結ばれ、同じく『序曲』で出会った「やんちゃ坊主」レイチを養子に、貧しい労働者でありながら稀有な数学の才能を持ったユーゴを“弟子”に、セルダンは大学で心理歴史学の研究をしています。

セルダンは40歳、レイチは20歳の若者になっていて、前作でセルダンが披露していたツィストと呼ばれる武術をすっかり習得しています。

もちろんセルダンもまだまだ元気で、大学構内でアジ演説をしていた若者を見事ツィストでこらしめるんですが……いちいち「加齢によりうなり声が出てしまう」なんて描写があって、セルダン本人が寄る年波を「ちきしょー」と思ってるし、ドースに至っては「あなたはもう若くないのよ」と。

え、たったの40歳ですよね?

「ハリ、あなたはもはやツィストの達人ではなくて、ただの――」かれは急いで続けた。「老人、かい?」「ツィスト家としては、そうよ。四十歳なのよ」 (上巻 P33)

40歳でそんな言われ方……。銀河帝国の平均年齢はいくつなんですか、人間五十年ですか!?

まぁ、「年を取らない」ドースから見れば、活きのいい32歳からそろそろ中年期に、という変化はすごーく大きいものなんでしょうけど。

ドースは、八年前にこの大学で最初に会ったときとまさにそっくりの様子で (上巻 P31)

そう、ドースはロボットです。前作で「27歳」ぐらいに設定されていた彼女(でもセルダンには「もっと若く見える」と言われていた)、人間なら35歳程度に“老けてる”はずですが、その外見に変化はないはず。ドースもまだ「歴史学者」として大学にいるみたいなんですけど、周囲から不審がられないんですかね? ロボットという言葉すら消えてしまい、一般の人はかつてそんなものが存在していたことをまったく知らない時代、たとえ不審に思っても、「だから彼女はロボットだ」と推測することは難しいでしょうが。

8年間ドースと夫婦として暮らしてきたセルダンでさえ――ダニールという精巧な人型ロボットを知っているセルダンでさえ、

セルダンの妻はロボットについて気味の悪いほどの知識を持っているようだった。これまでの年月に、セルダンはしばしばそれを不審に思ったが、結局あきらめて、心の奥に押しこんでしまっていたのだった。 (上巻 P37)

って、え? 前作の最後でドースにプロポーズする時、「それでもぼくはかまわないんだ」と言っていたのは「ロボットでも」ってことじゃなかったの?

ともあれ、問題はセルダンの老化でもドースの正体でもなく、「大学でアジ演説をする者達」です。前作でさんざんヒューミン(=ダニール)が言っていた通り、帝国は衰退する一途、大学構内で公然と皇帝や帝国を非難する連中が出てきている。

思いきった手を打てずにいるダニールの代わりに、セルダンはレイチをクーデターの中心人物ジョナラムのもとへ送り込みます。

セルダンに「心理歴史学を確立しろ!」と迫った自称ジャーナリストのヒューミンと、皇帝クレオンに仕える首相デマーゼルは実はどちらもダニールだったのですが、セルダンはなんとレイチに、「デマーゼルはロボットなんだ」とわざと言わせるんですね。

その情報にジョナラムが飛びつくことを見越して。そしてそれを逆手にとってジョナラムを失脚させる。レイチが言わせられる、

「ぼくは人間だ。帝国の運営をロボットなんかに、にぎらせたくないよ」 (上巻 P136)

という言葉がなんともつらいです。

2万年も「人類の幸福」のために献身してきたダニール。人間よりよほど「人類」のことを考えてきたのに、その手の上で繁栄を謳歌してきた人間たちは、それが「ロボット」だと知ったとたん糾弾を始める。

どうして人間は、それが「ロボット」だったら嫌なんだろう。『ファウンデーションと地球』の最後でその事実が明かされた時、ダニール贔屓のはずの私もやっぱり「えーっ」と思ってしまった。すべての背後に彼が――ロボットがいたことを、素直に喜べなかった。

どうしてなんだろう。

人間同士では争いをやめられず、衰退の道を辿るだけなのに、なぜ、「ロボットに牛耳られるくらいなら滅亡した方が」などと思ってしまうんだろう。それが「神」なら、また違うんだろうに。
ロボットは「人間が造ったもの」。自分達を作ったものではなく、自分達が作りだしたものに命運を握られたくはないと、人は思うんだろうか。

なぜ。


セルダンに「ダニール」と本当の名で呼んでもらって、ダニールは喜んでいた。ロボットだということを知られたら、彼は首相ではいられない。「本当の自分」を隠して、たった一人で二万年生きてきた。

「首相はロボットだ」という告発を「馬鹿馬鹿しいデマ」にするためにダニールは「微笑」の練習をして、無事ジョナラムの“革命”は潰える。そうして。

ダニールは去っていく。

「しかし――ダニール――きみなしで、わたしはどうすればいい?」
「そう呼んでくれて、ありがとう。わたしはもはやデマーゼルではない。ただのダニールだ」 (上巻 P160)

「友達よ、さようなら」と。エトー・デマーゼルはいってしまった。R・ダニール・オリヴォーは消えてしまった。 (上巻 P161)

この、「友達よ、さようなら」っていうセルダンの言葉を、ダニールは聞いてないんですよね。それを言いに戻った時、もうダニールの姿は消えていて、以後、セルダンは二度と彼の姿を見ない。

ドースがダニールに「セルダンへの想い」を相談した時、ダニールはこんな風に言います。

わたしにとって、その人と一緒にいると物を考えるのが容易になり、反応するのがより楽しくなるという人物が、わたしの生涯に何人かいた。(中略)わたしはかれらがいるときの反応の気楽さと、そして、かれらがついにいなくなったときの反応のぎごちなさを、比較しようと努力してきた。(中略)かれらがそばにいる楽しさは、かれらがいなくなった落胆よりも、値打ちがあるということだ。 (上巻 P70)

だからドースも、セルダンのそばにい続けなさい、その楽しさを味わいなさい、ってことなんだけど、ダニールがベイリの死を看取った時のこと、思い出しちゃうよね……。(『ロボットと帝国』参照)

ああ、ダニールのことこんなに好きなのに、なんで「彼がすべての糸を引いていた」ってなると「えーっ」ってなっちゃうんだろ。


で。

ダニール=デマーゼルが姿を消して、セルダンがその後任として首相になります。クレオンが、「もうデマーゼルなんかクビだ!セルダン、おまえがやれ!」って言っちゃうんですよね。

第二部では、セルダンは50歳。首相になってもう10年が経ってる。

ジョナラム党の生き残り達がまた帝国顛覆を図り、セルダンはまたレイチを敵の本拠地に。

もともとダールの貧民街ではしっこく生き抜いていたレイチ、今ではツィストも使えるし、セルダンの息子として20年近くを過ごして知識も増え、頼れる男になっているとはいえ。

やたらに危ない橋を渡らされるの気の毒(^^;) 下手すれば殺されるかもしれないのに。

この第二部では政治談義が印象に残りました。

公務員を清廉潔白にしておくには、給料を支払わなければならない。それができなければ、かれらは必ず別の方法で、不適当な給料の埋め合わせをすることになるのだから。(中略)増税しなければ賃金の増加はありえず、住民は増税をおとなしく受け入れるわけがなかった。かれらはむしろ、十倍の金を汚職のために失うほうがましだと考えているようだった。 (上巻 P230)

民主主義は、いくつかの世界ですでに試みられた。まだやっている世界もある。だが、それらの世界が他の世界よりもうまくいっているとは聞いていない。 (上巻 P238)

はははは。

ジョナラム党残党の計画はまたしても間一髪で阻止されたのですが、しかし予想外の(読者には予想がついたけど(^^;))“暗殺者”の手によりクレオン皇帝は殺されてしまうのでした。


その後、軍事政権が暫定的に帝国を支配、首相を辞したセルダンは再び大学に戻って心理歴史学の研究を続けます。

第三部の冒頭、60歳の誕生日を目前に控えたセルダンは、「ああ、やだやだ、60歳なんて冗談じゃない」と年を取ることをやたらにぼやいています。

40歳になったレイチは第二部で知り合ったマネルラという女性と結婚、ウォンダという8歳の娘がいます。

なのでセルダンは“おじいちゃん”に、ドースも“おばあちゃん”になってるわけですが。

ドースは優雅に年を取ってきた。全然、年を取らないように思われるときがあるほど、優雅に。 (下巻 P43)

頭髪には白髪が混じったが、その白髪を透かして、いまだに若々しい艶が輝いて見えた。顔色は黄ばみ、声はちょっとハスキーになった。そして、もちろん、彼女は中年にふさわしい衣服を着た。 (下巻 P43)

……化粧で顔色を変えていたんでしょうかね。髪も染めてたのかしら。セルダンの配偶者として28年、人間なら50歳をとうに超えているはずの彼女。人前に出ることはきっと少なくしてたんでしょうけど、28年もの間“息子”として一緒に暮らしてきたレイチは何の疑問も抱かなかったんでしょうか? “嫁”のマネルラは?

マネルラとドースの“嫁姑問題”、面白いんですけどね。マネルラは第二部でセルダンの命を救っていて、普通ならセルダン夫人たるドースはそれを感謝すべきなのに、逆に“許せない”と思っちゃう。

ドースは、彼女なりの奇妙な心理によって、これを自分の特権への侵害と考え、決してマネルラを完全には許そうとはしなかった。 (下巻 P16)

レイチがマネルラと結婚したいと言った時も「あの売女!」とか言って諦めさせようとするし、なんというか、ホントに普通の“母親”で、まぁこんなに人間くさい態度を取られたんじゃ、レイチもまさか母親をロボットだとは思わないか……みたいな。

孫娘ウォンダの見た“奇妙な夢”から「セルダンに対する陰謀がある!」と確信して、あれこれ探りを入れるドース。レイチもセルダンも「まさか」と言って取り合ってくれない中、ドースは久々に「タイガーウーマン」と呼ばれる自身の“尋常でない戦闘能力”を発揮して、軍事政権側に脅しをかける。

でもそれ、完全に逆効果というか敵の思うツボで……。嗚呼、ドース。

本当なら50歳過ぎてるはずの中年女性があっという間に兵士を制圧して、拳で机を凹ませたりしちゃうんだから、そりゃ「ロボット」を知っている人には疑われるよね。そしてその正体を人間が――セルダンを追い落としたい人物が知ったら。

「長年努力したあげく、正体を剥がれる気分はどうですか、ヴェナビリ博士? あなたが実に上手に正体を隠してきたことは、認めなくてはなりません。これ以前に、他のだれも真相に気づかなかったとは、驚くべきことです」 (下巻 P150)

28年連れ添って、セルダンの安全を第一に“生きてきた”ドース。もとは「命令」だったものが、自分自身の意志になり、欲求になり、その“特権”を侵害したマネルラに激しい敵意を燃やすほどにまでなった。

第一部で、ドースはこんな述懐をしています。

それがいつ、個人的欲求の問題になってしまったのかしら?(中略)いったいあの男に何があって、かれが視野に入らないとわたしは不安になるのだろうか? (上巻 P69)

「セルダンが視野に入らないと不安になる」。

愛だろ、愛。

セルダンを守るため、ついにドースは人を殺してしまい、機能停止=死んでしまう。本来ロボットは人を傷つけてはいけなくて、ドースはこれまでにもセルダンを守るために「人間に怪我をさせる」ことはしてきた。ロボット三原則よりも「セルダンを守る」方が上位の命令だったんでしょうね。それが、「人類全体を守る」ことにも繋がると、ダニールは考えていたから。

でもさすがに「直接自分の手で人を殺す」はロボットとしてやってはいけないことで……しかも相手は電子機器の機能を狂わす装置を使ってドースをそもそも「不調」にしていた。

どうにか「息を引き取る」前にセルダンに会えたドース。第一部では「ドースがロボットに詳しいことを不審に」とか言ってたセルダンだけど、ドースの異常な様子を見て、

どういうものか、ハリは心の奥深くでつねに知っていた。友人――ロボット――が自分に護衛――ロボットをつけてくれたと。(中略)唯一の問題は、ハリがその護衛――ロボット――に恋をしてしまったことだった。 (下巻 P153)

って自覚するんですよね。
ロボットに恋をした男。そしてロボットも男に恋をした。

「さようなら、ハリ、愛してるわ。いつまでも忘れないでね――あなた、とてもわたしによくしてくれたわ」
「何もしなかったよ」
「愛してくれたわ。そして、あなたの愛が、わたしを――人間に――してくれた」 (下巻 P154)

うわぁん、ドースぅぅぅ(´;ω;`)

でも、セルダンを看取る側にならなくて、ドースは幸せだったのかな、って。ダニールみたいに、ベイリを看取り、フレンド・ジスカルドを看取り、心を通わせることができた大事な人たちを次々と見送って、たった一人長い長い時を生きるのは……。

どんなに心を砕き、どんなにドースが頑張ってセルダンを守っても、いずれ時が来れば、セルダンの命は終わる。寿命からは守れない。

セルダンの死を見ずに済んだこと。セルダンの腕の中で“死ねた”こと。

ああ、ドース……。

もうね、ドースの出てこない第4部なんてどうでもいいんですけど。ここで、第3部で終わっちゃって良くない?

――されど人生は続く。

セルダンは、この世で最も親愛な人を失ったのが、ほんの昨日のことであったかのように、深い悲しみを感じた。 (下巻 P171)

(彼女が破壊されてから四年もたっているのに、かれはその名前をいうのに、このように苦しむのである) (下巻 P184)

第三部の終わりからまた10年経って、いよいよ本当の老人、70歳を迎えてしまったセルダン。でもどんなに月日が流れても、ドースを失った痛み、ドースへの想いは変わらない。(“四年もたっているのに”というくだりは、途中の回想シーンです)

孫娘ウォンダのニュータイプ的素質のおかげで「心理歴史学」は革命的な進歩を遂げ、第二ファウンデーションの設立も可能になるのですが、ちょっと、「つじつま合わせ」のようにも思えてしまいます(^^;) 何しろ、「その後どうなったか」はすでに描かれてしまっているんですからね。どこかで第二ファウンデーションを支える精神感能力を持った人々が出てこなければならない。

宇宙に進出して長く経つと、人類ってそういう方向に行くのかなぁ。ジスカルドに「人間の精神をプッシュする能力」があって、それをダニールが習得(?)できたっていうのも、「プログラムでそんなこと可能なの?」と思ったけれども……。

それはそうと、帝国の首相まで務めたセルダンの晩年は苦難の連続でした。まずはお金がない。没落の一途を辿る帝国には心理歴史学に費やす予算がなく、セルダン自ら出資を頼みにあちこち回らなければならない。そしてずっと「帝国の衰退」を口にしてきたセルダンは、「それを防ぐために心理歴史学を研究している」にもかかわらず、市民から「不吉な予言者」と見なされてしまっている。

なので街を歩けばチンピラに襲撃され、先回りして自衛すれば「相手はただあんたの後ろを歩いていただけなのに、いきなりあんたの方が攻撃したんだぜ!」と逆に警察に拘留。

70歳で次々にこういう目に遭うってほんと、「しんどい」以外の何物でもないですよね……。

「わたしは嫌われているんだよ。あまりにも長い間、帝国の没落を説き続けてきたので、今こうして没落が始まると、わたしはそのために非難されるようになってしまったんだ」 (下巻 P274)

「あなたが帝国は衰亡しつつあるというのは、かれらが衰亡しつつあるというのと同じことです。そして、これを、ねえ教授、平均的市民は直視できないのですよ」 (下巻 P293)

人間って、ほんとになぁ(´Д`)


最後、第5部はエピローグ。
セルダンは81歳。
32歳でトランターにやってきてから――心理歴史学に取り組み初めてから、およそ50年の月日が流れた。

なんかね、ホントに上巻の、第一部の時代(セルダン40歳)が遠い昔のように思えて。
最後の一行を読み終わった時、なんとも言えない感慨で胸がいっぱいになりました。

最後の一行は。

ドース! (下巻 P341)

うぉあぁぁぁぁぁ(嗚咽)。

この作品はアシモフさんの遺作で、これを書き終えた後、アシモフさんは72歳でお亡くなりになるんですけど、60歳になることを嫌がるセルダンの描写とか、

また旧友が逝った。デマーゼル、クレオン、ドース、今度はユーゴ……年を取るにつれてますます空虚に、孤独になっていくセルダンを残して。 (下巻 P212)

なんて文章には、アシモフさん自身の“嘆き”が入っているのかなぁ、とつい思ってしまいます。

「ドース!」という一行の前には「これが、わたしのライフワークだった」という言葉もあって、「ロボットに恋した男」の一代記は、ロボット工学三原則を打ち立てたSF作家アイザック・アシモフの人生そのもののようにも。


本編終了の後、銀河百科辞典の「ハリ・セルダン」の項が引用され、そこにはこんな話が。

この式に、セルダンの旧友である元首相エトー・デマーゼルが出席したことは、特筆に値する。 (下巻 P342 ※「この式」というのはセルダンの公式追悼式のこと)

うわぁぁぁぁぁ、最後の最後にまたなんちゅう泣ける仕掛けを。アシモフさんっっっ!

でもデマーゼル(=ダニール)、首相を辞めて姿を消してから40年経ってて……もう誰もデマーゼル
の顔をちゃんと覚えてなかったとしても、さすがに「若すぎる」と思うんだけど。

せいぜい30歳ぐらいにしか、きっと見えないわけでしょう。クレオンの前の代から皇帝に仕えていたはずなのに(皇帝たち、誰も不審に思わなかったのか……)。

でも、セルダンを悼むために危険を冒して公の場に姿を現したのだと思うとほんとに泣ける。

ああ、ダニール。


はぁ。

ドース、ダニール、セルダン、そしてアシモフさん。
お疲れさまでした。ありがとう。


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