2017年7月11日火曜日

『銀河帝国の興亡』第3巻/アイザック・アシモフ



(1巻の感想はこちら。2巻の感想はこちら

はい、3巻です。この3巻目をもって『銀河帝国の興亡』はヒューゴー賞を取ったそうで。

うん、面白かったです。

今回も前半と後半、二つのお話に分かれていて、まずは2巻の続き。ミュールの話です。セルダン計画では予知できなかった「突然変異体(ミュータント)」のミュール。他人の感情をコントロールする能力で第一ファウンデーションを脅かし、「第二ファウンデーション」の所在を掴むべくその正体を隠して奮闘していたミュール。

もう少しのところで第二ファウンデーションの秘密が……!というところだったのをベイタという女性に阻まれて2巻はおしまい。

それから5年。ミュールは32歳になり、「ミュール帝国」の第一市民を名乗っています。2巻でミュールにより「転向」させられたプリッチャーは帝国の将軍に。ミュールはプリッチャーとチャニスという若者にコンビを組ませ、第二ファウンデーション探索の旅に出します。

ミュールによる精神支配を受けていないチャニスとプリッチャーの凸凹コンビがなかなかいい感じで面白いです。最後にはまたどんでん返しがあるし……。

なんかね、ミュールちょっと可哀想でした。他人の感情を操作するって決していいことではないけど、「突然変異」であるがゆえに宇宙で一人ぼっち、その能力と引き換えなのか肉体的に欠陥があり、子孫も残せない。

目だけが、ミュールという人間全体の茶番を裏切っていた。その優しさ――〈銀河系〉最大の征服者にしては奇妙な優しさ――の中に、悲哀の情が完全に和らげられることは一度もなかった。 (P20)

誰か彼の孤独を理解してあげていたら……。そう、2巻で彼の野望を挫いたベイタこそは、ただひとりミュールが心を開けそうな相手だったんだけれども……。

今回の敵はしゃあしゃあとこんなこと言っちゃうんですもん、ひどい。

「第二に、われわれはきみの肉体的な欠点、ことにきみにはたいそう重要らしいのだが(中略)、きみの劣等感からきた付加的な精神の歪みを知らなかった。われわれは誇大妄想狂だけを考慮し――ひどく精神の錯乱した偏執病をも考慮することはしなかったのだ」 (P122)

優しさの中に悲哀の情を隠せないミュールの目。そんな目をしたひとりぼっちの支配者に、こんな失礼な言葉を投げつけるなんて。

セルダン計画にとっても、「宇宙の歴史」にとっても、ミュールはイレギュラーなあだ花、「悪役」なのかもしれないけれど、ミュールにはミュールなりの想いがあって、その短く寂しい人生の主役だったのに……と思っちゃいました。

で。

後半、ミュールが亡くなった後、今度は第一ファウンデーションが第二ファウンデーションを探しています。その存在を隠されてきた第二ファウンデーション。心理学によりミュールのように人の精神をコントロールできる人々。

ミュータントのミュールより、組織的に、それを“正義”として行ってる第二ファウンデーションの方がよっぽどたちが悪いような。

後半はベイタの孫娘、14歳のアーケイディアがヒロイン。祖母の活躍に憧れ、盗聴器を仕掛けて父親達の会話を盗み聞き、第二ファウンデーション探索の旅に飛び出していっちゃう彼女。その冒険譚にはわくわくヒヤヒヤさせられます。

アーケイディアの父親は脳波グラフの分析により「第二ファウンデーションによる精神コントロールの有無」を判定する研究を行っています。第二ファウンデーションに対抗しようとする科学者たちのひとり。

終盤彼が

くそっ! 人間はいつになったら、自分が傀儡でないと知ることができるのだ? どのようにして傀儡でないと知ることができるのだ? (P351)

と嘆くところが非常に印象的です。この3巻の主題って、まさに「それ」のような気がして。

ただでさえ、「敵」というものはスパイや裏切りを生むもの。味方のふりをして近づいてきたものが実は敵だったり、途中で寝返ったりしてしまうことを考慮に入れないわけにはいかない。

しかも「敵は自在にこちらの精神をコントロールできる」のです。本人にはまったくその自覚がないまま、敵に都合のいい情報だけを喋らされたり、“思うツボ”にはまらされる。自分で選んだはずの道が、実は敵に選ばされたものなのかもしれない。

味方が味方のまま、敵に有利なように動いていく。そしてそれは、他ならぬ「自分自身」にも言えることなのです。

自由意志だと思っていることが、全部「第二ファウンデーションによる操作の結果」なのかもしれない。自分自身すら信用できない。「信用できない」と思うその気持ちさえもが……。

アーケイディア側のお話の合間に、第二ファウンデーション側のお話も挟まれます。〈第一発言者〉と呼ばれる存在と、〈学生〉との対話。

ミュールの出現により狂ってしまった「セルダン計画」。けれども

「成功の蓋然性は最後の算定によるもので、まだ二十一・四パーセントある」 (P171~P172)

ミュールが第一ファウンデーションに取って代わろうとしたことよりも、彼のおかげで第二ファウンデーションの存在が明るみに出てしまったことがより重要なんですよね。

これまで「自分達こそ次の新しい帝国を築いていく母体」だと信じていた第一ファウンデーション。それが、「実はもう一つファウンデーションがあって、セルダン計画を破綻させないよう秘密裡に見守っている」ということになれば、当然第一ファウンデーションの人間としては「なぁんや」と思う。

何か困難が起こっても第二ファウンデーションが救ってくれるだろうと思ってしまうし、自分達だけが特別ではないと思えば、努力や犠牲を払うことが馬鹿馬鹿しくなってくる。

そして何より、「自分達は彼らにコントロールされているのかもしれない」というのは、非常な不快感をもたらし、第二ファウンデーションへの敵意が生まれてしまう……。

だからこそ、第二ファウンデーションの存在は極秘にされてきたのでしょう。

まぁ、当たり前ですよねぇ。「一生懸命がんばって、自分で成し遂げたと思ったことが、実は全部第二ファウンデーションによる精神介入の結果」だったとしたら……。たとえセルダン計画がダメになるとしても、第一が第二を排除しようとするのはしごく当然のこと。

最終盤は「真相」→「真相の真相」→「いやいや、これこそ本当の真相」みたいなことになってて、「ふおー、よくもまぁアシモフさんたらこんなこと考えるな」と面白かったけど、「もし自分がアーケイディア側だったら…」と思わずには。

第二ファウンデーションという姿を借りてはいるけど、「人間の自由意志とは何か?」というのはこの「銀河帝国の興亡」全体のテーマであるような気もします。「セルダン計画」自体が、“集団として人はこのように動いていく”という知見を元にして「レールを敷く」もので、「個々の自由意志は全体としては関係ない」みたいなね。

“くそっ! 人間はいつになったら、自分が傀儡でないと知ることができるのだ?”


『銀河帝国の興亡』はこの3巻で完結……のはずだったのが、30年の月日を経て続編が書かれました。果たして第一と第二のファウンデーションはその後どうなったのか。セルダン計画の通り、1000年後に「第二帝国」が築き上げられるのか。

いざ、4巻目!

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